排除される対象となった旧2大政党の最大勢力(生まれるべくして生まれたはずの、立憲民主党の苦労 註)


小泉によって排除されたのは、主にかつての竹下派の流れである。と言うと、やや大げさである。あくまでも郵政民営化反対派に竹下派の流れを汲む派閥の議員が一定程度いたということである。他派閥の議員ももちろんいた。ただし、小泉は総理就任以前から、優位派閥であった竹下派の流れを敵視していた面がある。次に小池だが、彼女が敵視したのは、民主党系の左派であり、それはイコールではないが、さかのぼれば社会党にたどり着く。そして小泉と小池はかつて同じ森派に属しており、改革派であった。同時に伝統重視の面がある。このような欧米のスタンダードな右(保守)の大物が、かつての五十五年体制の、2つの主役(あるいは主役と相手役と言っても良い)を排除しようとしたことは興味深く、つながった事象であると言える。この点では維新の会やみんなの党に近い。安倍も森派出身であり、小泉に出世させてもらったわけであるから、安倍が維新の会と近いことも自然なことだと分かる。だが五十五年体制の双方の主役を、変化させずに締め出して、どうするのかと思う。締め出した勢力が固まって、それと彼ら新自由主義的改革保守が対峙するということだろうか。しかしそれにしては、排除は二段階でなされたわけだし、完全に実行されたとも言い難い。古い勢力を追い払い、自分たちが主役になるという域を出ていないように思われる。国民が選択するには、【正しいvs間違っている】という非現実的なものではなく、それにぞれに長所と短所がある勢力が対峙するような形になる、重要な対立軸が必要なのである。この点が不十分であったからこそ、小泉内閣期が終わると、自民党は曖昧な政党に戻ったし、小池ブームはすぐに説得力を失ったのだと思う。敵をつくれば良いのではない。良い勝負を生むには、敵の質も重要なのだ。