日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
旧民進党の中立派は立場を明確にすべき時

旧民進党の中立派は立場を明確にすべき時

ずっと保守を自認してきていながら、一文字目が社会党→社民党と同じ「社」になる、そして社民系の政党にとっては特に重要な「社会保障」を、自らの会派名の頭につけ、「社会保障を立て直す国民会議」という、「社」民党、「立」憲民主党、「国民」民主党の合流を目指す気持ちを表すような会派名を付けた野田前総理には、その一部が意図的なものではないとしても、頭が下がる思いすらしてしまう(2文字目が保守の「保」であるし、「社保会」と略すと、社会保守主義という、かなり右寄りの言葉も浮かぶが、現状を知っていれば、後者については当てはまらないことが分かる)。

筆者は安易な消費税の引き上げには反対だが、野田を見ていると、財務省(そして財務副大臣から同大臣となった野田の、前任の財務大臣であり―もともと大蔵省出身―、新進党時代にも先輩議員であった藤井裕久)に影響を受けているようにも見えるものの、決して安直であるようにも見えない。

北欧型の社会民主主義では、間接税も、福祉国家の財源を賄う非常に重要な税だ。法人税や所得税ほど景気の影響を受けやすくない。全ての人が負担するものでもある。だが、社保会が民進党の再統一を唱えるのなら、まずは立憲、国民両党との、現段階での類似点、相違点を明確にした上で、合流後の路線について、どうあるべきか、考えを示して欲しいと思って、筆者は見てきた。どこまで妥協できるのかということもある程度で良いから知りたい。それで合流が遠のくのだとしても、せっかく分裂したのだから、今しかできないことをすべきだ。国民も注目すると思うのだ。

話がそれるがもう一つ。民主党出身ではなく、維新の党から民進党の結成に加わり、今なお民主党系に残っている議員達にも、敬意を表しておきたい。彼らは民主党系に新しい風を吹かせられる重要な議員達だ。彼らが党の中心になってしまうと、左派政党としてはバランスが悪くなるという問題もある。だが、あくまでも後から左派政党に入るのだから、それでも良いとすら思える。活発な議論をして見せてくれるのなら。

1998年の民主党拡大の時は、後から入る保守系議員、保守系候補の数がかなり多かった。そしてもともとの民主党のカラー自体が不明瞭であった。社会党の色を消すことが内外から求められ、新自由主義的な面も含む改革が好まれていたためである。その点が今とは違う。とにかく彼ら【民主党系を去らなかった第3極出身者】には報いて欲しいと、生粋の民主党系の実力者達に言いたい。

さて、一部繰り返しとなるが、民主党系の中立派が、民主党全体の再統一に熱心であること、しかしそれが進まない状況であることを踏まえて、改めて述べたい。

立憲民主党と国民民主党が合流しても、もはや印象が悪くなるだけである。これまでのドタバタを見せられた後では特にそうだ。合流したところで、多くの人に期待をされないどころか、「コロナ禍で大変な時に何をやっているんだ」と言われかねない。そうであれば、立憲民主党が中道よりも左の票を比較的多く取って、国民民主党が中道の票を比較的多く取るという作戦も、否定されるべきものではないと思う。合流した場合よりも、合計の議席が多くなるということも、十分あり得ると考える。人を引き付ける野党間の議論こそが必要なのだ。そしてその結果として掲げられる、玉虫色でない方針が。

だから筆者は、岡田克也らの無所属の会が、以前に希望の党と民進党の合流に反対したことは、正しかったと思っている。さらに言えば、立憲民主党が、民主党系の正当な後継であると見ている。だから無所属の会の多く(岡田ら)が立憲民主党の会派に入ったことは正しいと考える。一方で、他の一部(野田ら)が残り4名となった無所属の会を拡大・改称して中立に留まったことも、間違ってはいないと考えている。全てはこれからだ。

筆者は、堅物の岡田元副総理にも好感を持っている。しかし岡田の、民進党(民主党)の再統一以外あり得ないというほどの強いを姿勢には、やや否定的である(自民党に切崩されるリスクを考えれば、納得できるのだが・・・)。

 

生まれるべくして生まれたはずの、立憲民主党の苦労→

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