日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
歴史・戦後編No.1~5

歴史・戦後編No.1~5

歴史・戦後編No.1

今回から戦後編です。国民が自ら政権を選択する機会がまともにないまま、外圧による民主化を迎えた事を、政党システムの状況と合わせて整理してみました。

 

歴史・戦後編No.2

藩閥の次はGHQと、上からの大改革が続き、国民、政党が成長する機会が十分になかった事は、状況、優先順位の関係上仕方がなかった事だとは言え、克服されずに今も影を落としています。この事は今後、55年体制成立後を見る中でも、考えていきたいと思います。

 

歴史・戦後編No.3

日本が保守と自由の2大政党制、保守と社民の2大政党制(実際は1党優位の2大政党制から1党優位の多党制に)に向かいながらも、それをマスターできなかった原因について図にしました。戦前の話になりますが、日本で中小規模の商工業者に一定の独自性があった事、自由党系に三井、改進党系に三菱がつく形になった事は、一党優位の傾向の緩和、農村部への利益誘導偏重の緩和(国土開発、インフラ整備は必要でも、政治的選択肢というよりも封建制の延長、依存の構造になり、時代の変化に遅れる)の緩和という点で意味がありましたが、2大政党間の差異を乏しくした面もあると思います。上からの近代化が自由主義政党を有効な選択肢にしなかったという面がある事について、ドイツと類似性があると感じます。戦前の話になりますが、日本で中小規模の商工業者に一定の独自性があった事、自由党系に三井、改進党系に三菱がつく形になった事は、一党優位の傾向の緩和、農村部への利益誘導偏重の緩和(国土開発、インフラ整備は必要でも、政治的選択肢というよりも封建制の延長、依存の構造になり、時代の変化に遅れる)の緩和という点で意味がありましたが、2大政党間の差異を乏しくした面もあると思います。上からの近代化が自由主義政党を有効な選択肢にしなかったという面がある事について、ドイツと類似性があると感じます。

 

歴史・戦後編No.4

戦前の政党内閣期、終戦後間もなく、55年体制成立時の主要政党の政治姿勢を整理しました。前々回、前回と内容が重なっていますが、次回から、背景にも焦点を当てたいと思っています。

 

歴史・戦後編No.5

終戦後、55年体制ができ上るまでの背景について図にしてみました。GHQの支配とその方針によるところも当然大きいですが、戦争、敗戦の辛い経験や戦前の弾圧も非常に大きく影響していると感じます。社会主義運動の硬軟への分化は西欧でも見られました。しかしそれはどちらかと言えば、議会政治、政党政治が発展して、議会を通じた平等重視の政策の実現に希望が持てるようになったからで、それゆえに右派優位で安定しました(同時に左派も全く弱くない)。やはり日本とは状況が違うと感じます。もちろん政党内閣と同じで、日本にもう少しゆっくり発展するだけの時間があったのなら、状況は変わっていたと思います(その場合は他の条件も変わるので、実際には無意味な想像ですが)。

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