1-18左派政党の刷新も政権交代も、イタリア人は成し遂げた

日本と似ていたイタリア政治

よく言われていることだが、戦後のイタリアの政治には、日本と共通する点が多い。日本では、社会党に政権を渡さないため、自由党の系譜や改進党の系譜(戦後の日本進歩党→民主党の系譜)が合流し、自民党という優位政党を結成した。カトリックの総本山(バチカン市国)が首都ローマに存在するイタリアでは、カトリックのキリスト教民主主義(キリスト教民主党とも訳される)が圧倒的に強かった。同党を中心に、共産党と社会党、国家ファシスト党の流れをくむ右翼政党(イタリア社会運動)を排除した連立政権が形成された。選挙が比例代表制であったこともあり、キリスト教民主主義が単独で過半数を上回ることは難しく、連立政権が常態化した。

考えてみれば、日本の自民党も、前身の自由党と日本民主党、そのさらに前身の諸政党にルーツを持つ、派閥の連合体である。

イタリアでは、共産党と決別した社会党が連立に加わるようになったが、日本では自民党自体が、左にもウイングを広げ、1993年までほとんどずっと、自民党単独政権であった。イタリアでは、社会党、時には議席数の少なかった共和党が首相を出したが、自民党では、小党にルーツを持つ小派閥が、首相を出すことがあった。五十五年体制崩壊後(冷戦終結後)の自社さ連立を、キリスト教民主主義や社会党の連立(こちらは冷戦期)に重ねてみることも、できなくはない。

共通点が多いが、大きな違いがある。日本では冷戦・五十五年体制が終わって初めて、それ以前のイタリアのような、優位政党を中心とした連立の政治が、始まったに過ぎないということである。イタリアが優位政党中心の連立政権であった時代、日本は優位政党の単独政権であった。イタリアが政権交代のある2大勢力(2大政党のそれぞれに近い政党が集まる形)への移行に成功した時代、日本はまだ既存の優位政党が中心の、連立の時代であった。優位政党とはもちろん自民党のことで、日本が連立の時代に入ってからの25年の間(2018年現在)、自民党が野党であったのは合計わずか4年あまり、自民党が第1党でなかったのは、そのうちのわずか3年3ヶ月だけだ。

さて、上で述べたことも含め、日本とイタリアの共通点、相違点を整理しておこう。共通点には(共)、異なる点には(異)とつける。

 

(共)冷戦下、中道右派政党が優位政党であった(イタリアではカトリック系が幅広く集結。日本では、社会主義者以外が幅広く集結した政党)。

(共)両国とも冷戦期、政官財の癒着政治の下、利益集団や地方への利益誘導によって、与党の支持基盤が盤石であった。

(共)両国とも、汚職が問題となる中(マフィアの問題もあったイタリアは、特に深刻であった)、冷戦の終結によって再編期に入った。改革派の議員が唱えた小選挙区中心の選挙制度への変更の実現が、それを助けた。

(異)冷戦終結後、イタリアでは優位政党が雲散霧消したが、日本では存続した(大きくはなかった一派閥+αが、離党するに留まった)。

(異)イタリアは小選挙区中心の選挙制度を、比例代表制に戻した。しかしそれでも、状況が後退したという面は小さい(右の大政党が分裂し、新党が多く結成されたが、右派ブロック対左派ブロックの構図は残った-ただし第3極と呼び得る新党が台頭し、変化が起こってきている)

(共)イタリアでは戦前、かつて第1党であった自由連合がカトリック勢力と協力関係を築いた。日本では、冷戦終結後に自民党が、創価学会という宗教団体が生んだ政党、公明党と結び付いた。両国のケースはあまりに差異が大きく、これを共通点というのは無理がある。自由主義政党が宗教政党と結び付くということは、他の国でも起こっている。どちらも保守政党に分類することができるから、おかしなことでもない。しかしイタリアの場合、双方は本来相容れない勢力であったし、日本の公明党は当初左派政党であり、創価学会はあくまでも新興宗教であった。何でも飲み込む傾向は、1党優位制の出現と、無関係ではないだろう。

以下は、第2党、左派政党に関するものである。

(共)戦後、社会民主主義政党よりも、社会主義政党が強く、万年第2党であった。

(異)その社会主義政党というのは、イタリアでは共産党であったが、日本では社会党であった。

(共)イタリアの社会党は冷戦期、日本の社会党は冷戦後、優位政党と連立を組み、首相も出した。しかし双方とも、その後雲散霧消した。

(共・異)雲散霧消としたが、日本の社会党は、民主党に生まれ変わったのだと言える。イタリアの共産党も、民主党に生まれ変わった(双方とも、それに参加しなかった議員が、それぞれ社会民主党―あえて大雑把な述べ方をしておく―、共産主義再建党となった。ただし、日本の場合は排除された議員、イタリアの場合は再編に反発した議員達)。つまり、万年第2党であった左派政党が、共に民主党に生まれ変わったのである。

(異)日本の民主党は、一度政権を担いはしたが、万年第2党でなくなったとは言い難い状況である。それに対してイタリアの民主党は、政権の中心を何度も担う政党になった。

(共)日本の民主党もイタリアの民主党も、ポピュリズム政党に支持を大きく奪われた(ヨーロッパに他にも同様の国はある。ポピュリズム政党は保守政党の票も奪ってはいるが、被害は左派政党の方が大きい)

(共)社会党から右派の一部が離党し、一定規模の、中道的な社会民主主義政党が誕生した。

(異)戦前のことだが、イタリアの共産党の誕生は、社会主義政党の最左派の離党者が結成したという、ヨーロッパの典型例であるが、日本はそうではなく、社会党内に、共産党に負けないくらい左の勢力が少なからず含まれた(だから日本社会党は、イタリアの社会党とも、イタリアの共産党とも、類似点があるのだろう)。

以下は、左派政党以外、第3党以下についてである。

(共)優位政党が中道色の比較的強い右派政党であったことから、中道政党が伸びなかった(優位政党に対抗したのは、万年野党の左翼的政党であった)。冷戦終結後は中道右派~右派と、中道左派~左派による、2大政党制なり(ただし日本では、双方が対等となるには至っていないと言える)、中道政党、右翼政党、左翼政党は伸びなかった。

(異)冷戦期、日本には国会に議席を得るような右翼(極右)政党はなかったが、イタリアでは存在した。冷戦後、それがある程度穏健化し、大政党になっている。日本では、優位政党の右に位置する政党という試みは、21世紀に入って、優位政党の離党者によってなされたが、完全に失敗した。

※(異)以上から、日本はイタリアとは違い、極端な政党に揺さぶられるというほどではなかったのに、本格的な政権交代がほとんど起こらなかったということになる。

(共)両国とも、第1、2党(勢力)双方への不満が高まる中、タレント(ただし、イタリアの場合はコメディアン、日本の場合は弁護士が本職であった)が結成したポピュリズム政党の性格を持つ新党が躍進した。イタリアは五つ星運動、日本は日本維新の会である。

(異)その新党が、日本の場合は、大都市で改革を進めた上で躍進したのに対し、イタリアでは躍進の一つの現象として首都の市長などを獲得したが、芳しい成果はあがっていない。それでもイタリアの五つ星運動は第1党の地位を得た(政党連合が普通のイタリアであるので、最大勢力にはなっていない―ともに与党である同盟との結びつきが深まれば、最大勢力になるだろうが―)。今はこれ以上述べないが、日本維新の会と五つ星運動には、多くの大きな差異がある(それぞれについて、『政権交代論』の第3極関連、『他国の政党、政党史』のイタリアの「冷戦後~現在」で述べている)。

最後に特大の差異を。

(異)イタリアでは、優位政党も、非優位の左派政党も有権者の支持をかなり失い、前者は消滅し(離合集散を繰り返しながら比較的小さな勢力としては残っているが、新たな保守政党、フォルツァイタリアと北部同盟が、その基盤を奪った)、非優位の左派政党は、より現実的な中道左派政党へと生まれ変わった。つまり、第1党(右派政党)、第2党(左派政党)の双方が、交代、刷新したのである。対して日本では、優位政党が変化はしつつも、優位政党のまま存続している。

(異)この背景には、イタリアにおける地域間の差異(北部が先進的な工業地帯となったのに対し、南部ではそのような変化に乏しく、マフィアの問題も深刻であった)が影響している。具体的には、カトリックの国でありながら、北部ではカトリック政党の票を、北部中心主義的な政党が奪う形になり、それが変化のてこになった面がある。

(共)両国とも、カリスマ性のある政治家が、保守政党を復活させたという面がある(イタリアはフォルツァイタリアを結成したベルルスコーニ、日本は自民党の延命に成功した小泉純一郎)。

 

以上であるが、イタリアの方が抜本的な刷新に成功している。もちろん、それが必ずしも素晴らしいというわけではない。

例えば上では述べなかったが、イタリアでは、積極的にではなかったとは言え、国家ファシスト党のムッソリーニを、国王が総理大臣に就けた。このこともあり、戦後、国民投票によって王制が廃止された。自らの国の在り方について、国民が自ら決めるのは素晴らしいことだが、日本の天皇とイタリアの国王を容易に比較することはできないし、天皇は今もなお、多くの国民に支持されている。イタリアの真似をすればよかったということは、全くない。イタリアで仮に国王が存続したとしても、それはやはり、権力を持たない、象徴的なものになっていたであろう(戦前に政党内閣が定着していたことがあったのだし)。だから王制の問題には、実際の政治の問題とは異なる面がある。政治について見れば、問題となっていたことが、イタリアですべて解決したというわけでは全くない。日本の政治が、何もかもイタリアよりも劣っているというわけでも、全くない。日本の方が安定もしている。イタリアでは、改革の中心であった小選挙区制が捨てられ(2017年に一部復活)、ポピュリズム政党が第1党になった。

しかしそれでも、イタリア人が、保守政党と社会民主主義政党、新興の政党から、政権を任せる政党を、自ら選び取っていることは間違いない。このことは大きい。国民(正確には有権者)が自ら責任をもって、選択するということが、定着しているのだ。混乱することはもちろんあっても、長期的に見れば、民主制を実のあるものとするためには、大きなプラスだと思う。

なお、新興のポピュリズム政党の台頭は、EUに規定された緊縮財政や、EUそのものに対する反発、そして、EUに加盟していることで深刻になっているという面もある移民、難民の問題に起因しており、イタリアだけではなく、ドイツなどの、少なくない国々で起こっている(その中には、既存の右翼的な政党とし得るものが、議席を伸ばしているケースもある)。これはEU加盟国の大きな試練だという見方もできる。

たとえ債務不履行に陥る危険性が小さいとはいえ、日本は借金大国である。人口減少を補うための、外国人労働者の受け入れも増える(産業構造の転換が遅れているという面もあるが)。北朝鮮が崩壊すれば、大量の難民が押し寄せるだろう。しかし日本は、新たな試練どころか、何十年も前の試練(冷戦終結を受けた、五十五年体制からの転換)、いや、それどころか100年も前の試練(政権交代のある政党政治の達成)から、いまだに逃げ回っている・・・。