日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
支持政党に牙をむいた連合

支持政党に牙をむいた連合

今回(2021年総選挙)の立憲民主党の敗北には、連合も一役買っている。分析が待たれるが、一役どころではないかも知れない。何せ連合の芳野新会長は、立憲民主党と共産党の連携を、総選挙前に公然と、強く批判して見せたのだ。

そう、選挙と連合について述べる時、芳野友子連合会長の顔が真っ先に思い浮かぶ。初の女性会長という点で印象的なのは間違いないが、神津里季生前会長以上に、共産党との連携を批判していたからだ。いや、これは正確ではないかも知れない。芳野会長が言う通り、基本的な路線は変わっていない。表現もそう違わないのかも知れない。神津会長の場合は、希望の党騒動で支持を広げ、民主党系の主流となった立憲民主党に、配慮せざるを得なかった面がある。

しかし芳野は、会長に選出されたのが総選挙の前だったからとは言え、そして立憲が以前よりも共産党と協力しているように見えた(後述)からとは言え、総選挙前に支持政党(の路線)を強く否定する形になった。こんな事は世界的に前代未聞なのではないだろうか。実際どうか、確認はしてはいないが、政党の最大の支持基盤が、その政党を下院の総選挙前に強く批判するというのは、それくらい驚くべき出来事であった。

確かに、立憲、共産両党が閣外協力で合意した事は、連合にとっては「懸念を示す」という段階を過ぎている。総理大臣・自民党総裁が、自民党内では穏健な(左派とも言える)宏池会(岸田派)の岸田文雄になるという変化もあった。

安倍・菅路線が終わるなら、【共産党と組んででも政府の右傾化を止める】という必要性は薄れる(※)。本当は自民党自体、自民党内の力関係はあまり変わっておらず、また安倍路線に戻る可能性も十分にある。「安倍路線は終わった」という捉え方が行き過ぎるのは、実に日本的だと思う。政党の理念が非常に軽く、属人的な面があまりに大きいからだ。政党のトップが交代する事と一体的に、政党の路線が変わる事は当然ある。しかしその場合はそう宣伝される。重要な事だからだ。しかし日本の場合はそういう、波風が立つ事、一部の支持者が離れるような事は避けられる(この点でも、小泉自民の誕生→小沢民主の誕生は、日本が変わる機会であったと分かる)。

※ 強権的かつ右寄りの安倍・菅義偉内閣は駄目で、岸田内閣なら良いと言うのであれば、連合ははっきりそう言うべきだ。そのような考えの国民は多いだろう。「自民党を負けさせて、それによって安倍・菅路線が復活するよりは、岸田内閣が続く方が良い。だから今回は、左派野党ではなく、自民党に入れておこうか」という人までいるのだろう。しかし自民党は勝っても負けても、党内抗争の結果、あるいはその方が有利(不利になりにくい)という事であれば、簡単に変わるのである。

 

労働組合の集合体のトップである連合の会長は、その職務の性格上、調整型である。そして何より、連合は民主党系の最大の支持基盤だ。これまで、社会党・民社党の時代から、非自民連立政権の実現に動くなど、労働組合の連合体という存在を越えているところもあるが、支持政党のマイナスになるような事を、連合が選挙前に公然と主張、発信する事は、筆者が知る限りはなかった(直接釘を刺す事は度々あっただろうが)。

この芳野による立憲批判は、連合内のガス抜き、分裂の予防にはなり得ても(それも分からないが)、立憲民主党の選挙戦には、明らかにマイナスであった。共産党とどうこうというより、支持する政党に牙をむくような行動に、筆者はショックを受けた。

筆者の事など、本来はどうでも良い。だが、労働組合員でも立憲の党員でもなく、積極的な意味での支持者でもなく、それでも立憲の伸長に期待していた筆者を落胆させるというのは、残念な事だと思う。組合員でも党員でもなく立憲に投票した人で、後ろ(?)から撃たれたと感じた人は、少なくないのではないだろうか。

立憲の枝野代表(当時)は、これまでの民主党系以上に、共産党との協力に前向きであった。しかし共産党が候補者を降ろす選挙区が多い中、立憲が候補者を降ろした数少ない選挙区で、共産党を応援してもバチは当たらないはずだ(旧立憲民主党の時代に、枝野はそこまで踏み込んだ。2019年の参院選で、福井県選挙区で野党統一候補となった共産党の候補者を応援したのだ。しかしこれ以外の例を筆者は知らない。そんなレベルだ)。共産党が立憲の選挙を手伝うのを、拒む理由も本来はないはずだ。共産党が立憲、連合への浸透を図っているという見方があるから、「本来」とつけたが、そんな事は信頼関係を築けば済む話だ。うまくやっている地域もあると聞く。上層部のコミュニケーション能力の問題だと思う。それに欠けるような連合では、あまり存在価値はないと思う。

共産党のやり方、主張を批判する芳野会長、そして、共産党を全体主義だと批判した玉木国民民主党代表(「昨日までいた陣営をけなして見せる玉木代表」参照)だが、連合からも国民民主党からも、「共産党はただ候補者を立てないでいてくれればいいのに」という思いはにじみ出ている。事実上そう言っていると言えるような発言もしばしばある。「野党の候補者が何人もいたら自民党を利するだけ」と、自分達は共産党に譲る気もないのに、共産党を念頭にそう言うのは、さすがに卑怯だと思う。教育上よくないとすら、思う(筆者が最近聞いたのは、国民民主党の榛葉幹事長の発言。参議院静岡補選に関するものだ)。旧立憲民主党系にだって、こういう傾向がないわけではない。

共産党を批判し(公平を装い、「評価できる点はあるが、組む事はできない」という言い方にとどめて見せる事はあっても)、しかし「候補者は立てないでね」という姿勢は、共産党に批判的な国民にすら、あきれられる。

国民民主党は総選挙後こそ、共産党とも戦うという姿勢を採っているが、それは同党が今回の総選挙で、共産党が候補者を立てた選挙区においても、当選者を出せたからだ。それ自体はすごい事だが、その結果を見て態度を変えたのなら、恥ずかしい事だと思う。

この事に関して述べると、国民民主党が候補者を擁立した選挙区は少ない。そのうち、共産党も候補者を立てた選挙区は、当然ながらもっと少ない。共産党との連携に否定的な連合(会長・旧同盟系)としては、そのごくわずかな選挙区に力を集め、国民民主党の候補者を当選させる。そして同時に立憲のイメージを悪くして、その獲得議席を壊滅しない程度に減らせれば、【共産党と組まない方が勝てる】という雰囲気、分析を生む事ができる。それが図られたかは知らない。だが、共産党に候補者を立てて欲しくはない。しかし立てられてしまったら、そこを最重点区にして結果を出す。あり得る事であり、とても気になる。

 

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