2.キーワードで考える日本政党史

実業派の動き(③⑦)~限界と可能性~

山下倶楽部の地価修正要求は、これの実現によって地租増徴を実現させようという戦略と、地価修正を求める議員を含んでいたことによる(坂野潤治『明治憲法体制の確立』158-162頁)。なお、各党派に属する実業派の議員達には外債募集を求める声がある一方、当時無所属であった田口卯吉などのように、消極財政志向が強い議員もいた。山下倶楽部には、その構成上、税制の公平化を目指す資質があった。公平化とは、地租増徴による実業家と地主層の公平化(民党の背後の地主層-に有利な地租以外の税負担ばかりが増えないようにすること)、地方間の公平化(実体に応じた地価の修正による税負担の公正化)であった。しかし連携した2大民党を前に、山下倶楽部が存在感を示すことは困難であった。2大民党の一方のみに接近することは、実業派にとってあまり望ましい選択ではなかったものの、2大民党が対立関係に戻り、自らがキャスティングボートを握ることが、彼らの成功には有利であったといえる。山下倶楽部の建議について、自由党の票が賛否に割れたことは、やがて状況がそのように変化し、彼らが役割を果たし得る状況となることを暗示していた。いずれにしても当時は、実業家層の主張を代弁する勢力を一方とする2大勢力(2大政党)が形成されるような状況にも、まだなかった。改進党系は三菱と近く、自由党系が実業派との接近を策していたから、変化の兆しはあったが、実業派の利害が衆議院に反映されるには、日本の産業構造がさらに大きく変化するのを待たなければならなかった。