日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
1列の関係(⑦)~2大民党の変化~

1列の関係(⑦)~2大民党の変化~

積極財政志向を強めていた自由党では、地価修正が実現するならば地租増徴はやむを得ないとする声が広がり始めた。日清戦争後に拡大した財政を縮小に向かわせることは、やや非現実的であった。しかし進歩党は、地租増徴に反対した。再編によって、自由党の離党者等の、低地価の東北地方選出議員を吸収していたことなどから、地価修正にも否定的であった。ここにも1列の関係が良く表れている。進歩党と共に野党ではあっても、自由党は優位政党らしい、薩長閥との妥協も比較的容易になるような、現実的な立場を強める傾向を見せたのである。ただし、民党らしい施行を残す議員もいたし、党内の主導権争いもあったから、地価修正に対する賛成と反対に、自由党が分裂する危険はあった(賛成に投じた議員のうち、約30名が離党届を出した)。だが第3次伊藤内閣が、地租増徴とセットの地価修正すら(成功する保証がなかったためでもあるが)受け入れず、衆議院を解散したため、結局は進歩党と共に地租増徴に反対することで、表面上はまとまることができたのである。進歩党は行財政整理がしっかりと行われた上での地租増徴を否定していたわけではなかったが、自由党が地租増徴賛成に転じた場合、唯一の反対政党として、有権者からの支持が強まる可能性があった。1列の関係の劣位にあることがメリットとなるケースだが、そうであるからこそ、それは政界縦断に反対することと、ほぼ同義であり、また、自らの受動的な性質を認めるものでもあったといえる。しかも第6章で述べるが、支持が強まるということも特にはなかった。なお、改進党系における東北地方選出議員の数が増えたことに関しては、自由党系の離脱者が新民党(ここでは同志倶楽部→立憲革新党)を結成し、改進党系と合流したことで、改進党系の性質が、自由党系に比して民党的なものとなったことを確認することができるわけである(河野広中が結成した東北同盟会の本流も、改進党系の本流を汲む憲政本党に参加する)。

 

 

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