日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
新与党の分裂(⑨⑩)~万年野党の政権獲得と増税、官僚~

新与党の分裂(⑨⑩)~万年野党の政権獲得と増税、官僚~

井上馨は民党に政権を渡すことを提案した。伊藤は実際に民党に政権を渡した。そこには「どうせもたないから一度やらせてみよう」という、後に自由民主党が政権を明け渡す時(1993年、2009年)にも、一部に聞かれた考えもあった(ただし自民党の場合は、首班指名投票で敗れた結果、自動的に政権を明け渡したに過ぎない)。実際に与党憲政党は分裂し、政権は失敗に終わる。これは1993年、2009年の場合も同様である。それは、新たな与党が、長い野党暮らし(一時的な連立参加はあっても)による経験不足、待望の政権獲得による興奮状態(猟官に熱中するなど、政策実現に向けて冷静に一歩一歩進むことが困難な状態)という問題を抱えてスタートを切るためであるが、ここで挙げた例に共通するのは、政権を担うことで、自らが反対してきた増税の問題と向き合わなければならなくなることである(1993年は自由民主党の離党者でない新与党が該当する。1994年に成立した自社さ政権も同様である)。憲政党内閣は、地租以外の増税という方法で乗り切ろうとしたが、同党が地租増徴を回避し得たのは、ごく短期の政権に終わったためだと考えられる。村山内閣(日本社会党、自由民主党、新党さきがけ連立内閣)、野田民主党内閣(民主党、国民新党連立内閣)は、総理大臣を出していた与党の、本来の主張に反して消費税の増税を決め、後者ではそれを要因として、与党が間もなく大分裂を起こした。憲政党内閣にも、そのようなリスクはあったといえる。また、野党暮らしが長いために関係が良くはない官僚からの、抵抗を招いたという点は、憲政党内閣と民主党内閣は同様であった(民主党政権には、自由民主党を離党したばかりの議員達、または同党の所属議員達を多く含んでいた細川、村山内閣と比べ、与党経験の豊富な議員は少なかったといえる)。憲政党内閣の場合は、現在の野党とは完全に異なる地位にあった薩長閥が倒閣の意図すら持っていた点で、より困難な立場にあったといえる。

 

 

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