犬養による中国改進党の結成は、互いに溝もある対外硬派を、自由党に対抗し、薩長閥政府が無視し得ないような大政党にするための手段であった(五百旗頭馨『大隈重信と政党政治 複数政党制の起源 明治十四年-大正三年』206-207頁)。互いに対抗関係にあった複数の政党、会派が連携、合流するためには、このような連結器が必要であることが多い。中国改進党、その後継の中国進歩党に特徴的なのは、連結器となるべく結成されたことである。
犬養による中国改進党の結成は、互いに溝もある対外硬派を、自由党に対抗し、薩長閥政府が無視し得ないような大政党にするための手段であった(五百旗頭馨『大隈重信と政党政治 複数政党制の起源 明治十四年-大正三年』206-207頁)。互いに対抗関係にあった複数の政党、会派が連携、合流するためには、このような連結器が必要であることが多い。中国改進党、その後継の中国進歩党に特徴的なのは、連結器となるべく結成されたことである。