1.政権交代論

1列の関係・2大民党制(⑧⑨)~鳩山和夫の移動~

他の党派に直接協力を依頼せずに郡制廃止法案を衆議院で可決させたことだけを見ても、衆議院の主導権を立憲政友会が握っていたことは明確だが、それを示し、政界全体に占める立憲政友会の重みをも示す出来事が、大同倶楽部の分裂と、憲政本党の要人であった、鳩山和夫の離党である。これらは、原が他の勢力の切崩しに動いていた、その成果であったと言える(大同倶楽部分裂の全てがそうであったとまでは言えないが)。後者について確認する。1907年3月4日付の原敬の日記によれば、憲政本党で異分子と見なされていることが鳩山のためにならないこと、大石、犬養が常に政界の観測を誤って逆境に陥っていることから、立憲政友会に投じることが鳩山のためであると、原が鳩山に勧告した(『原敬日記』第3巻31~33頁。これに対して鳩山は、改革派と歩調を一にして犬養を放逐しようとしたものの、犬養がそれを察して改革派の希望を容れたことで、憲政本党が分裂を免れたこと、将来は自らの一派を率いて独立し、他日立憲政友会に投じる意志があることを述べた。原は、すぐに入会(入党)して、立憲政友会の議席数が過半数を上回るようにすることが、立憲政友会のためにも、鳩山のためにも得策だとした。鳩山は、憲政本党を離党するような問題がないとした。この際鳩山は、山県が郡制廃止反対に熱心でないことから、大同倶楽部と提携しても無益だと、憲政本党内で主張したものの、これが水泡に帰したことを挙げた。大同倶楽部と連携することへの反対を、鳩山は離党の大義にしようとしていたのだ。それを意図していたかは別として、鳩山が憲政本党でした指摘は、自由党系ほどに強くない勢力が薩長閥に寄っても、肝心なところで軽視されてしまうという歴史から、当然なされるべきものであった。大同倶楽部との連携を離党の大義とすることには、当時、立憲政友会が大同倶楽部との間の溝を広げていたことから、矛盾が生じる恐れが小さかった。だが憲政本党は、内部が2つに割れており、大同倶楽部との連携には、改革派の方が犬養ら非改革派よりも積極的であった。その党内で連携反対の立場を採ることは、長く主流派であった犬養らに与することになりかねず、党のあり方に反発してきたような、議員や党員から広く支持を得ることは難しかった。だからこそ離党すればよいのだが、わかりやすい離党理由にはなりにくかったのである。それは当然、選挙区の支持者の理解を得られるかということにも関わることである(立憲政友会よりも大同倶楽部を嫌う支持者ばかりならば問題ないが)。

また、鳩山は原に、郡制廃止法案の採決の際、自派の議員で不在である者、つまりその時点で東京にいない者を、そのまま欠席させる意思を示した。鳩山は入閣の可能性をも探ったが、原は約束できないとした。3月6日付の原の日記(同33~34頁)には、鳩山が大石に、自身に立憲政友会入りを勧める者があることを話すと、大石が自らも立憲政友会に入るとしたこと、原が鳩山にそれを不可としたこと、鳩山が地盤の関係上、大問題がないと立憲政友会に移れないとしたことが記されている。原は、大浦が大隈を次の総理大臣だとして、彼らを動かしたという説があることから、鳩山らが成り行きを見守っていると考えた。なお、大石が立憲政友会入りするというのは、個人でということもあり得るが、憲政本党(の改革派、またはより多く)と立憲政友会との合流を策したものだと考えることもできる(大石は2大政党の合流を志向していた―例えば『原敬日記』2巻続篇(276~277頁―)。大石は薩長閥との連携を模索するようになるし、第1次西園寺内閣成立前には、山県-桂系が中心の内閣に、立憲政友会と共に入ることも考えていた(後者の根拠も原の日記ではあるが)。第2党が必要だという考えも、原にはあったであろうが、憲政本党の一部とはいえ吸収して、それが立憲政友会内で一派閥となるようなことは、自身の地位を動揺させるリスクを、多少なりとも大きくすることとして、回避しようとしたのだと考えられる(原が伊藤に述べたことでもある-『原敬日記』第2巻続篇275頁1905年9月17日付-)。

1907年11月2日付の原の日記には、岡崎邦輔が鳩山に単独入党を進めたこと、原が鳩山を2、3ヶ月アメリカに送り、帰国後入党させることとし、鳩山も同意したことが記されている(同112頁)。鳩山は結局、1908年1月20日に単独で、憲政本党から立憲政友会に移った。鳩山は1月18日、自らが開会を求めた常議員会において、立憲政友会を支援することを提案した(憲政本黨黨報第2巻第5号24頁)。そして、これが容れられなかったことを口実として、立憲政友会に移った。その際、他の議員を勧誘しないとした。1月19日の憲政本党の党大会では、戦後経営、鉄道経営の失敗、外交の不振、予算編成の無責任さを詰責すること、増税案反対、政府の税制整理に反対することが議決された。なお、原の1月18日付の日記は、鳩山が入閣を求めなかったとしており、原はやはり入閣させる意思はなかった(『原敬日記』第3巻150~151頁。原は前年に鳩山に憲政本党にいても仕方ないと話したが、鳩山が大石に話すと、大石は提携論を持ち出し、話がそこで終わったと記されている。提携論というのは、2大政党のそれだと言える。それが岡崎と望月の仲介で、改めて鳩山と面会したのであった)。