(日本では)新自由主義も必要

維新の会の、新自由主義的な面が問題だという人がいる。これには筆者は同意しない。むしろ必要だという立場である。地方自治体はオール与党体制である。自民党の利益誘導的なバラマキ路線に、社民型のバラマキが融合している(自民党が何でもありであることと、一時期多く存在した、革新自治体-「日本維新の会と日本政治の今後」参照-の影響によるところが大きい)。その上、中央集権的な日本では、国民が納めた税の多くは国に入る。その一部を国が地方に「下ろす」のだが、使い道が決められているものも多い(国庫支出金)。選挙で方針が決まるのではなく、万年与党自民党を中心に、多くの団体、政党までもがぶら下がって、自民党中心の微調整で決まっている。理念に乏しい、先送りばかりの、調整型の政治の根が張り巡らされている。これでは立ち行かなくなって当然だし、改革しようとしても、からみあったものをほぐすだけで一苦労だ。

借金に頼っても、それはその場しのぎに過ぎない(明確なインフレになるまで通貨の発行→支出を増やせるというMMT理論が注目されているが、供給を上回る需要を生むほどの紙幣を発行すれば、インフレになる)。増やした歳出を困っている人のため、または消費を喚起するために使うのは良いとしても、日本の癒着、利益誘導のシステムに流すだけでは、どこかでしみこんで終わりだ。例えば公共事業を増やしても、そのお金が企業の内部留保や、ごく一部の人々の、使われない貯金になってしまっては、効果が期待できない(企業の内部留保がイコール預金・現金だと誤解されているというのは、また別の話である)。

貧しい人々、弱い人々を仮に助けるのだとしても(それに厳しい条件を付け、機会の平等をより重視するのが維新の会だと言える)、行政のスリム化、単純化は必要であると思うし、規制に守られるばかりでは、企業も発展しない。新自由主義的な改革は、活性化のために必要なのだ。ましてや地方自治体は、自由に公債を発行することができない(許可制から協議制になるなど、自由度は上がってきている。しかしなお、制度上、事実上の制約は、小さくないようだ)。さらには、地方交付税交付金が臨時財政対策債という、地方の借金に変えられていった(期間限定で地方の借金にしておくはずが、定着している)。もちろん国のように、公債を日銀に買ってもらうようにすることも、自力ではできない(日銀は独立性の高い機関であるはずだが、安倍内閣期は内閣と一体的であった。これについては賛否両論あるが、インフレばかり気にしていた日銀は問題であったと、不勉強ながら筆者もずっと思っていた)。

現状では少なくともしばらくは、節約して費用をねん出するしかない。地方自治は国政よりはシンプルなのだから(その分国との関係で制約が多いわけだが)、批判も多いとしても、そこでやってみる価値はある。それと同時に、財源をもっと地方に移し、その時に弱い地方自治体をどうするか、方向性を定めなければならない(あるいは中央集権の方が良いのだとしても、【これまでの政治の在り方+中央集権】ではだめだから、考えなければいけないことに変わりはない)。こちらのほうは国政の課題だが、先送りばかりなのである。