日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維国連携はあるか

維国連携はあるか

国民民主党が維新の会と組む可能性はあるのだろうか。国民民主党の支持基盤が、民間中心とはいっても、労働組合である以上、相性は良くないはずだ。連合の旧同盟系すらまともに支持団体にならない状況になると(今のところ小さくない一部が支持団体になりそうではあるし、連合全体も国民民主党に配慮する姿勢を見せているが)、新たな国民民主党は比例票をわずかしか得られなくなるし、ただでさえ少ない議員を、増やすこともできなくなる。一方で、維新と連携する障害は完全になくなる。

国民民主党が部分的にでも、旧同盟系の支持を得られるのなら、同盟を支持基盤とした、かつての民社党のような政党だとは言えるわけだが、立憲民主党と組まなくても、総選挙では議席の微増が狙えるだろう(現職議員のほとんどが引き続き小選挙区で当選し、加えて比例で議席を得る)。選挙に強い議員が多いし、連合に属す国民民主党の支持団体に配慮して、立憲民主党は対立候補を立てにくい。だがそれでも、国民民主党が小党であることにかわりはなく、独自に存在感を強めるのは難しい。旧立憲民主党の風下に立つのが嫌だからこそ合流しなかったのだから、立憲の別動隊とはならずに、自民党入りでも狙うのではないだろうか(新たな国民民主党に参加した議員に、「政策が一致しさえすれば、立憲と合流したかったのに・・・」と思っている者がいるようにはあまり見えない)。そして与党になる方が、ある意味では立憲民主党を見返せると、考えられないこともない。

この「立憲民主党を見返したい」という感情が強い場合、新たな国民民主党は、自民党の方へと流されていくと考えられる。非自民連立が実現する少し前の民社党も、自民党への合流を考えていたらしい(鈴木東一『永田町大乱』290~291頁。当時の大内民社党委員長が、汚職で批判を招いていた自民党に、他の勢力を入れた新党を結成することを提案)。五十五年体制下の民社、公明両党は、社会党を共産党から引き離した上で、社会党中心の野党連合を形成することに努めたが、それが実現して野党第1党の社会党の一人勝ちとなると、急に冷めてしまう、ということを繰り返していた(社会党も配慮が足りなかったと言えるが)。

共産党と組むことについて否定的なのが、新しい国民民主党であるが、今いくら選挙に強くても、自分の選挙で「共産党は候補者を降ろしてくれなくて結構だ。」とまで言い続けられる議員がどれだけいるのだろうか。選挙に強い議員が残ったといっても、彼らはこれまで第2党として選挙を戦ってきた(2012年は第1党として。希望の党は2017年の総選挙の前は、前議員の数で第2党であった)。所属政党が小さくなれば、入る票が多少なりとも減るのではないだろうか。共産党と距離を取ろうとし過ぎると、共産党に配慮する立憲との関係も悪くなり、立憲民主党に対立候補を立てられるということも、考えられなくはない。そうなればより大きく票を削られることになり、さすがに落選の危険が大きくなる(つまり立憲民主と国民民主の共倒れになる)。

共産党に否定的であっても、あるいはそのようなポーズを支持者、支持団体に向けて見せていなければいけなくても、今後の暗黙のすみ分けには期待している議員も、なおいるのではないかと、どうしても想像してしまう(国民民主党は、立憲民主党との統一会派を解いた参議院においても、首班指名投票では、共産党との連携を唱える枝野立憲民主党代表に、共産党と同じく投票した―その後、衆議院でも会派を解消―)。

一方で維新の会は、共産党を完全に敵視している。なにより、立憲民主党から離れられないでいる限り、国民民主党を維新が信頼することはない。

維新の会と最も相性が悪い(維新の改革に対する抵抗勢力である)公務員の労働組合は、立憲民主党の方を支持している。その立憲民主党より右の国民民主党と、維新の会は十分組み得るという見方もある。しかし維新の会が雇用の流動化を唱えている限り、かつ国民民主党が労働組合の支持を得ようとする限りは、やはり難しいだろう。できるのはせいぜい、選挙におけるすみ分けと選挙協力の間くらいのことだろう。

だが新たな国民民主党の候補者が出ないくらいでは、維新にとってはあまり魅力がない。例えば衆院選について言えば、現在の国民民主党の現職議員7名を除けば、左派野党の統一候補でもない国民民主の候補が立つかどうかで、維新の候補の当落が左右されることはないだろう(国民民主党が維新とすみ分けをする場合、同党の候補が左派野党の統一候補になることは考えにくい)。一方で、大阪府周辺の議員もいる国民民主党は、現職議員すら、維新(特にその支持率が高い時)とバッティングすれば落選する者がでてくるだろう。つまり、維新の候補が(今まで通り)出ないことで国民民主が得られるものと比べ、維新のそれは非常に小さいのである。

唯一維新が得をするのは、次のケースだ。国民民主がギリギリまで立憲側にいて、それによって立憲民主が選挙区を一定数国民民主に譲る。ところが選挙前に突然、国民民主は維新側に寝返る。すると立憲民主は、国民民主に譲った選挙区で候補者を立てようとしても、間に合わない。しかしこんな手は一度しか使えないし、政界でも、そして国民にも、信用を失う。国民民主党が意図的にそんなことをすることは、さすがに考えられない。

国民民主党が労組と離れた場合どうなるだろうか。労組と全面的に離れるということは、最低でも、現在の左派陣営からの離脱を意味する。労組の票が得られなければ国民民主党は比例票をほとんど得られなくなる可能性が高い。維新と組んで国民民主の比例票が増えるというのも考えにくい(維新に好感を持っている人々は、あくまでも維新に票を入れるだろう)。おそらく当選できるのは現職議員+数名といったところだろう。これでは、維新とも立憲とも協力しない場合と、変わらない。国民民主が候補を立てて、維新が協力する選挙区も多少は出てくるだろうが、そこで、維新より支持率がずっと低い国民民主の候補が、自民や立憲民主の候補に勝てるだろうか。おそらくほとんど無理だろう。このこともあって、自民が強くて維新が捨てている選挙区以外は、国民民主が維新の候補を推薦する形になるのではないだろうか。それではいずれ吸収される。そして前述の通り、そのことで維新の票が大きく増えるということも、考えにくい。

新たな国民民主党は結局、自民、立憲、維新の中で、自分達にとってもっともましな政党に吸収されると、筆者は見ている。バラバラに吸収されることもあり得るが、それは解散してからというより、存続している間に、ポロポロと抜けて、他党に移るという形になるだろう。

玉木についた議員・候補は、近畿地方選出なら維新に嫌われないように、他では共産に嫌われないように、あるいは、いつか入りたい自民党に嫌われないようにと、別々の方を向いている、あるいは向くようになるのではないかと想像する。その影響が出たのが、都知事選だと言えるのではないだろうか(旧国民民主党のことではあるが)。

話がややそれたが、もし国民民主党と維新の会が接近すれば、政権交代、左派政党を必要だと考える筆者にとって、脅威というのとは違うが(もともと維新は脅威だ)、よりやっかいではある。そんなことになるのなら、国民民主党には維新の会と立憲民主党との仲介役、さらには野党全体をまとめる大役に挑戦して欲しかった。難しいことは分かっているが、だからこそ、やりがいがあるではないか。少なくとも、国民に野党共倒れのデメリットをもっと知らせることは、できたのではないだろうか。

維新を野党第1党にするには、もっともっと同党への全国的な国民の支持を広げ、安定させなければならない。今の第3党以下の政党の中で、維新と組み得る唯一の政党だと言える、国民民主党が少数となる状況、そして自民から維新に流れた国民を、菅自民党が取り返しているように見える状況では、それは非現実的だ(追記:後者については吹き飛んだ感があるが、前者だけでも十分非現実的だ。それに自民党内閣の支持が減れば、立憲も有利になる)。なおN国党とも組めない事はないだろうが、議席があまりに少なすぎるし、維新の会が除名した丸山穂高、渡辺喜美(会派のみ)が参加している。それにN国党は危なっかしいので、わずかな議席、票のために、さらに危なっかしさを増やすのは、リスクの方が大きいと言える。

立憲と維新の橋渡しは、今からでも挑戦できることではある。だがそれをやるにしろやらないにしろ、玉木代表には、打算や意地ではなく、良いと信じることにまい進してほしい。左派陣営を弱めることに手を貸して欲しくはないが、敵をつくって得意になる悪しきポピュリズムとは違う、玉木代表の魅力に賭けてみたいという思いも、筆者にはある。筆者は、玉木が打算ばかりで動く人間だとは思えないが、自民党と組めば政策の一部ではあっても、直ちに実現できるかも知れない。維新と組めば、野党第1党を狙えるかも知れない(筆者は無理だと思うが)。これらの誘惑は、そうとうやっかいなものだと思う。特に前者は、政策を優先させることと矛盾しないどころか、整合し得る(国民民主党は改革中道を謳っているから、後者も政策軽視と批判されることはないだろう)。しかしこれまでの歴史が示す通り、それでは政治は変わらないし、実現させた政策も、自民党政治の中で孤立し、力を失ってしまう。

 

再編はこれで最後に→

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