55年体制から残されている課題

「日本には政権交代がほとんどない」と言っても、1980年代前半までの、社会主義協会が強かった社会党が政権を取ったら、それこそ同党による独裁になっていたのではないかという疑問はある。筆者が知っていたのは、あくまでも1989年以降の社会党であったし、その時も子供であったから、世代によって、筆者の考え、「社共共闘路線」的なものを受け入れられない人がいるのも分かる。

では55年体制下、民社党を選べば良かったのか。そもそも国民が中選挙区制下、民社党を野党第1党にすることは可能であったのか。これも難しい問題だ。今、国民民主党を新たに結成した議員達を批判している筆者だ。その当時成人であったとしても、民社党を支持していたとは、なかなか思えない。社・公・民・共の全てが協力しなければならないと、それが難しいと分かってはいても、主張していたと想像する。民社党系には、経営者側によって生み出された、経営者の側に立つ「御用組合」の問題もある。55年体制について言えば、国際競争に負ける危険がある今とは違う、日本の企業が強い、あるいは強くなっていく時期の御用組合である(もちろん、抵抗自体を最優先とする左翼的な組合も問題ではあるが)。

しかしそれでも、次のように言うしかない。国民は共産党と公明党を伸ばすのではなく、もっと社会党右派(左派から右派になったと捉えられる勢力を含めて)と民社党を、労組に全面的には頼らず当選、活動できるように支え、少しずつでも状況を変えるべきであった。当時の状況を後から学ぶことで知ったに過ぎない筆者、共産、公明両党が困難を抱えた人々に浸透したことを知っている筆者だが、それをどこかでやる必要があったとは、言わざるを得ないのだ。

日本がバブル崩壊の頃からずっと停滞しているのが、自民党、自民党中心の構造に、ほとんどライバルが存在しない事も大きいと考えると、意外と経済問題そのものよりも、これは重要な事なのかも知れない。

今の立憲民主党は、かつての社会党ほどには非現実的ではないから、かつての社会党右派あたりだと捉えて問題はないと思う。そして今は小選挙区中心の選挙制度であるから、国防等について注文を付けつつ、野党第1党の立憲を育てるしかないと思う。もう議会開設当初でもなく、普通選挙になったばかりでも、第2次大戦後間もなくですらないのだから、いい加減そろそろ野党第1党を育てなければ遅きに失する。

グローバル化、ITの発達による変化と競争の激化。少子高齢化に、環境問題、中国等の脅威、途上国はどう変わるか。国民が決断し、選択する政治にするために、もう遅いのかも知れないが、急がば回れ、本当の民主政治を手に入れるしかない。「速さ」を得るかわりに、民主も自由も手放して、独裁体制を選ぶのではない限り。

しかし21世紀は独裁でも成功する時代なのだろうか。

 

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