日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
緊急事態条項で、とにかく反対の野党になれ

緊急事態条項で、とにかく反対の野党になれ

「何でも反対」、「追及ばかり」と見られているうちは、たとえそれが真実ではないとしても、立憲に希望はない。憲法改正についても、各党の姿勢は総選挙前とあまり変わっていないが、もともと衆議院の3分の1を大きく下回っていた、国民民主党を除く左派野党の議席が10以上減り、維新の躍進と国民民主党の増加で雰囲気が変わった。大多数が改憲を熱望していて、反対の少数派は空気が読めていないという雰囲気だ。

しかしこの憲法改正についてこそ、例外がある。それは緊急事態条項だ。コロナ対策について、政府が強制力のある措置をあまり採れず、要請に頼らざるを得なかった事が、緊急事態条項が求められる理由だ。

後者には確かに危険性がある。まず、日本国民の同庁圧力に頼る面があるし(行き過ぎて「自粛警察」のような問題が起こる)、人の命を守るというような、もっともらしい事を大義に、要請を、事実上の強制にするという面があることだ。

従わない企業を公開するなどの措置もそうだが、今回はまだ、事の重大性に比して、自制が効いていたと思う。しかし今後は分からない。国民が慣れてしまうという事もある。

今回だって、非常に危険な兆候が表れてはいる。酒類提供中止の要請に応じない飲食店に対して、西村コロナ対策担当大臣(当時)は、金融機関に働きかけてもらうことを考えた。これは最悪だ。飲食店にお金を貸している銀行等に、脅すような事をさせようとしたのだ。立場の強い者が脅せば良いという発想を、優位政党の有力議員が持ったら、もうそれだけで民主政の瀕死状態だと言える。そもそも金融機関が言う事を聞くというのが前提で、まるで独裁国家だ。西村が総選挙でなぜ再選されたのか、本当に理解に苦しむ。いや、筆者は当選すると思っていた。日本の民主政が瀕死状態にあることは、もう知っている。

このような事が受け入れられるという事は、自衛隊の創設と同じく、違憲の疑いがあっても、必要な事は何でもできるという事だ。「必要な事」とは何か、それはもちろん内閣が好きに決める。

筆者は軍隊は必要だと思う。だから憲法9条の改正に賛成だ。しかし自衛隊のケースと同じような事を、今後繰り返すべきではないとも強く思う。特に、【国民を抑えつける策であっても、必要な時には採る】という事があまり問題にされなくなると、政権は弾圧でも何でもできるようになってしまう。大げさな表現をしているが、それでも起こり得る事ではある。そのようなケースをこそ、警戒するのが民主主義である。例えば経済は重要だが、経済の方が大事だと言って、自由の確保を軽く見るのは危険だ。

このような危険もあるから、緊急事態条項を憲法に設けること自体には、筆者は反対ではない。【どういう時に、何ができるか】を明確にし(しかしこれも難しい事で、明確にし過ぎると、使えない、つまり「破る事が許される」ものとなってしまう)、厳格な監視機能をつける。これが実現するなら、賛成するかもしれない。

しかしそれでも筆者は、今、憲法に緊急事態条項を設ける事には絶対に反対だ。なぜ「今」かと言えば、現状、日本は選挙による政権交代がないに近い、1党優位の国であり、その、政権交代のない1党優位の経験しか、今の日本人にはほとんどないからだ。歴史を学んだところで、1党優位ではなく、かつ、選挙による政権交代があった時代など、日本にはないと言える(『政権交代論』「歴史上一度だけの政権交代」参照)。このような、しかも空気が支配する国で緊急事態条項ができれば、政権は、違憲の疑いがある中でやるよりも、ずっと楽に国民を抑えつけることができる。いや、抑えつける事などしなくても、いつでもそれができると見せるだけで、メディアを含め、多くの組織、多くの人々、特に勝ち馬に乗りたがる者達を従順にさせることができる。考え過ぎだろうか。すでに似たような事は起こっているのではないだろうか。

以上から、筆者の考えだが、憲法改正に緊急事態条項が含まれる場合に限り、立憲民主党は徹底抗戦をすることが許される。他の法案等では賛成もする姿勢を見せた方が有効だとは思うが、少なくとも緊急事態条項創設を含む改憲については徹底抗戦でいく。「そればかりだ」とか「やり過ぎだ」とか、批判はあって当然だと思う。だが、警鐘、監視が必要であるのに、野党にはそれをする制度上の力はほぼない(国政調査権だって過半数がなければ使いものにならない。官僚の仕事を増やしても批判される)。そのような状況、政権交代という究極のチェックもない状況で、憲法に緊急事態条項を設けるのは、本当に危険なことだ。

この危険性を認識する人は少なくはない。一部の人を呆れさせることになったとしても、一定の議席を維持できるだけの支持は得られると思う。そして自由を縛られる事に対する反感、恐怖は、安全保障の問題などと違って、無党派層にもかなり浸透するだろう。少なくとも、立憲が野党第1党の立場を守れるほどに浸透することも、期待できると思う。「ライバル」の維新は賛成するだろうから、再び1対1の構図になる。これも一つのチャンスだし、警鐘を鳴らす役割は非常に重要だ。

最後に確認しておくと、有利だから抵抗するのではない。危険な事に対して警鐘を鳴らし、改めるために抵抗をし、そこに結果がついて来ることを期待するというだけである。と断言したいところだが、政権交代なき1党優位である上に、警鐘を鳴らす勢力が壊滅した日本に、明るい未来があるだろうか。そういうことでも、あるにはある。

 

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