日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維新の会は自民党であり民主党であり公明党であり共産党でありれいわ新選組でありN国党である?

維新の会は自民党であり民主党であり公明党であり共産党でありれいわ新選組でありN国党である?

※ こちらは2021年の総選挙より前に書いて、公開していなかったものです。

維新の会は保守政党に分類され、その路線はかつての小泉自民党に近い。同時に、竹下派の流れが中心であった頃の、自民党のようになる可能性がある。大阪では優位政党の様になってきているし、下地幹夫、鈴木宗男、片山虎之助をメンバーとしている。下地はカジノに関する収賄の疑惑があって除名されたわけだが、それは維新の改革でさえも、新たな利権をもたらすことを想像させる(維新の会の、特に中心人物達がしっかりしていれば深刻なものにはならないが)。大阪では、維新はもう10年以上も政権を握っている。今後、自民党型バラマキに変化する可能性もないわけではないし、少なくとも政党間の競争がない状況で、維新が自らに都合の良いように、改革を進めるリスクはある(小泉内閣の方が、伸長していた民主党の脅威があり、無競争の度合いは小さかったのではないだろうか)。

同時に維新の会は、改革政党と見られ、改革政党を自認していたころの民主党にも似ている面がある。民主党は大阪で人気があったし、都市部では選挙に強かった。ただし、民主党が維新のように、地方自治で高い評価を受けているわけではないというのは大きな違いだ。

民主党は、小泉自民党との改革競争、現実主義的路線では支持を大きくは広げられず、社民化していった(社会党への先祖返りともし得る状況になった)。維新の会は、社会党とはほぼ無縁だが(元社会党→自民党の谷畑孝がいたが、2020年に議員を引退)、改革路線に寄っていた時の民主党のように、1区現象(都市型の選挙区、県庁所在地のある各県1区では勝てる―)で議席を稼ぐことはできても、政権は取れない可能性はある。そこまでもいかずに挫折する可能性も高いと思うが、個々を突破するのは本当に難しい。農村部の過疎化、それに伴う選挙区の定数の是正が進み、票の重みが極端に軽くなるか、日本全体が、都市部に合わせるように均質化するしかない。その可能性はあるが、まだ織り込むほどに確かなもの、すぐに訪れるものではない。

このような壁にぶつかって、維新も変化するということは十分考えられる。良くない変化、民主党を再現するような変化を回避するためには、現段階でも、1票の格差の是正を徹底するなど、策が考えられるが、自民党に不利となる変更に、自公政権が乗るとは考えにくい。そうなると、第2党(野党第1党)にあんるより、何とかキャスティングボートを握って、それを土台に状況を変えて・・・、ということになる。

そう、維新の会は公明党のようでもある。もちろん、自民党にぶら下がることで、活路を見いだしている点においてだ。当然、だから公明党とは、競合関係になり得る。

公明党は全国に、ある程度の強弱はっても、ほぼ満遍なく票を持っており、自民党とのすみ分け(ごく一部の選挙区を自民党が譲っているだけではあるが)、協力が定着している。そうである以上、その効果が目に見えてなくなっていかない限り、維新の会に勝ち目はない。唯一勝ち目があるとすれば、自民党内が、かつて自社さ派(社民党とさきがけ、そして後には、両党から誕生した民主党との連携を重視)と、保保派(新進党との保守連携を重視)に分かれたように(ほぼ全派閥内の主導権争いと一体化し、それらが軒並み分裂した)、自民党内が、自公派と自維派に分化することだ。ただ、今の自民党には、良くも悪くもそんなエネルギーはないように見える。

さて、維新の会は共産党のようでもある。かつて共産党は、他の野党との間に溝があった。「共産党を除く野党」という主語が定着していた。今は「維新の会を除く野党」が定着していると言える。共産党は軟化せざるを得なかったが、維新の会はどうだろうか。共産党と違って、自民党と連立を組むことも予想される。

同時に維新の会は、かつてのみんなの党のようでもある。これは説明を必要としないだろう。そして、NHKという敵を設定している、N国党(党名変更を繰り返いしているが、こう呼ぶ)のようでもある。N国党の会派には今、みんなの党を率い、その後日本維新の会に属した、渡辺喜美がいる。会派名はなんと、みんなの党である。

 

維新と令和の共通点だが、まずは主張が明確な点だ。既成政党はどうしても、コアな支持層(幅が広い事が前提の自民党の場合は、総裁となった人物のコアな支持層という面が大きい)に向けて、右傾化、左傾化して見せつつ、選挙を考えて多数派の「普通」の国民に、「そんなに右じゃないよ」、「そんなに左じゃないよ」と、消極的なアピールもしなければならない。まだ第3党以下の、「挑戦者の挑戦者」である維新とれいわにはその必要はない。

しかしそれは同時に、政権の中心を担う政党を本格的に目指す時、壁にぶつかる事を意味している。自民党1党優位に政治、経済、社会が形作られている面がある日本では、これらの威勢の良い新政党も、政権を狙う時にはかつてのみんしゅとうのようなもんだいをかかえるのだ。小沢系がかつて、その民主党に合流せざるを得なかったのは分かりやすい例だが、そこまで明確でなくても、みんしゅとうのようなせいとうになっていかざるをえないのだ。その点、今なお未熟で問題を抱えていても、民主党を経験している立憲民主党、国民民主党はむしろ、期待できると筆者は考える。もちろんまだまだ、冷戦後の試行錯誤の途中なのだが。

さて、ロシアがウクライナを侵略すると、この維新、れいわの2党の、特殊性が浮上した。維新の会の創設者であると言える橋下徹の、連日のツイートやテレビでの発言が、ウクライナという国、その国民の歴史、気持ちを軽視するものだと批判を浴びた。また所属議員の鈴木宗男(元自民党で、新党大地の代表でもある)の、ロシアの侵略を批判しつつも同国を擁護するような発言が批判を浴びた。他にも、インターネットを見れば、維新の危うさを指摘する記述があふれている(安易に信用するのは問題だが、所属議員等が起こした問題、批判された発言などを歪曲せずに、解説を付けずに、つまりそのまま列挙したものも多い)。

一方のれいわ新選組も、 ロシアを非難する決議案に反対し、全会一致での可決を失敗させた。もちろんこれも、批判を浴びている。異なる見方、考えがある事は重要だが、両党が特殊である事は間違いなく、そウである以上、これらを与党第1党にしてしまう事にはまだ、かなりリスクがあると言える。政権担当能力に疑問符が付いているという事だ。維新は大阪で政権を担っていると言えるが、それは中央集権の度合いがなお強い日本では、政権担当能力があるとはし難い。

だから筆者は、維新は保守、れいわは社民的な面が比較的大きいし、それぞれ自民、立憲の陣営に入って、少し時間をかけて育てる、成長してもらう必要があると考える。それはその間、両党が主張を控えるという事ではない。第1、2党に影響を及ぼす事で、保守対社民という違いのある選択肢を、それぞれ壊す事なく、改善させることができると考えるのだ。選挙区ではどうしても自民党、立憲民主党に力を集中させる必要があるが、双方の陣営を支持する有権者、維新、れいわを強く支持している有権者は、比例代表ではこれらの政党を伸ばし、それぞれの陣営内での発言力をまずは強めれば良い。それはそれぞれの陣営の幅を広くし、豊かにすることにつながり得る(もし悪影響を及ぼすのだとしても、それはそのような選挙結果をもたらした、国民全体の責任だ)。それぞれの陣営の中での議論も、非常に重要だと筆者は思う(「中での」というのはもちろん、議論を非公開にするという意味ではない)。

 

維新の会は改革派ポピュリズムか右翼ポピュリズムか→

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