日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
労働組合同士、敵対する理由は今もあるのか

労働組合同士、敵対する理由は今もあるのか

確かに、野党に戻ってからの民主党系は、政権を取る前よりも弱くなり、それを単に、共産党とのすみ分けで取り繕おうとした(それでは取り繕えないという見方もあるが、共産党が候補者を立てただけで、多少なりとも不利になる状況、選挙制度である事も、忘れてはいけない)。

本来は、民主党政権についての自己検証を徹底的にし、反省点を公表し、それを活かして次にどうするのかを、しっかり述べるべきであった。それを十分せずに、共産党で埋めようとしただけでは、姑息だという批判も、笑い飛ばすことはできない。しかしこの見方だけでは一方的だ。

そもそも、2009年の政権交代は奇跡である(本来、非常に不利な立場にあった民主党にとって、多くの有利な条件が、奇跡的にそろった。その一覧はこちら)。それ以前も、自民党が、連立を通して創価学会の票までをも獲得する一方、民主党は、自由党、社民党、共産党と、政権批判票を分け合わなければならなかった。だから民主党は自由党を吸収し、社民党と選挙協力をするようになった。共産党すら、2009年には、多くの選挙区で自発的に候補を降ろした(供託金を没収される候補者も多くいた事から、資金難のためだとされているが、政権交代、それも自民党より左だと言える政党への政権交代の可能性が高まった事も、背中を押したのかも知れない)。共産党と協力するかという問題は、実は民主党政権以前から存在したのである。もっとさかのぼれば、社会党時代にも存在した(社会党は今の民主党系よりも左に位置したから、不思議な事ではないと感じられるが、共産党だって、今よりも左に位置していたと言える)。

そして注意しなければならない事がある。共産党が敵視していたのは大企業という存在と(今は規模に応じた社会的責任を果たせという立場だと言えるが、かつてはより明確に敵視していたと言える)、何よりその経営者層、そして資本家であり、そこに務めている一般的な人々については、この限りではない。

大企業という存在を批判しても、あまり意味はないと筆者は思う。その横暴、問題点はあったとしても、有力な企業のない国など、吹けば飛ぶような国だし、大企業を国営にしても、それはなかなかうまくはいかない。一般の被用者の合議制にするのも非常に難しいだろう(もちろんその企業が成功するかという意味でも)。大企業の存在を積極的に認め、独占、寡占などの問題が起こる事を防ぎつつ(※)、その強さに見合った納税を求めるのが、社会民主主義だと思う。後者については現状、IT企業、グローバル企業がものすごい力を持つ中で、明らかに足りない、追いついていないと言える(むしろ法人税を下げ続けている)。

そもそも、企業の「強さ」というのも、グローバル化による競争の激化、新たな技術の導入競争があるから、全く盤石ではない(日本の場合は、と言うべきか)。それは、トヨタ労組の愚行にも表れている。

※ 社民系は、国民の生活に関わるインフラなどについて、国営を志向する面が当然ある。国営は独占である場合もあるし、そうでなくても、民間企業を不利にする危険がある。しかし社民系の政党がなんでも国営化したがるという事ではない。社民系の政党の中での議論、支持者の意見、全体的な世論によって、変化するものである。

 

共産党を事実上の野党統一候補にしたトヨタ労組→

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