日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
実業派の動き・野党再編(①④)~戊申倶楽部と野党連携~

実業派の動き・野党再編(①④)~戊申倶楽部と野党連携~

6月20日付の東京朝日新聞は、6月18日に中立議員の会合が開かれ、各中立議員が不偏不党、小異を捨てて大同を取り、精神的結合をなして、議会においてなるべく一致の運動を為すこと、21日に在野党連合懇親会を開くことを決め、すぐに電話で憲政本党、大同倶楽部、猶興会に交渉し、3派とも同意したことを伝えている。呼びかけ人の一人としてあいさつをしたのは戸水寛人であった。戸水はかつて対露開戦を政府に迫っていた七博士の一人であり、当然ながら対外強硬派であった。記事には会合に出席した19名の衆議院議員の氏名が挙げられている(他に、26名から電信か書面で、中立議員の結合を希望する通知があったという)。そのうち、立憲政友会に加盟した中村舜次郎、大同倶楽部に加盟した松下重次、又新会の結成に参加した蔵原惟郭と服部綾雄以外は、戊申倶楽部の結成に参加している。21日には実際に、野党による会合が開かれた。22日付の東京朝日新聞によれば、野党3会派以外からは、商工倶楽部の片岡直温、中野武営、西村治兵衛、無所属の中村弥六、加治壽衛治、平田穣(米田穣の誤りだと思われる)、仙石貢、肥田景之、戸水寛人が参加している。この商工倶楽部、無所属からの全参加者が戊申倶楽部の結成に参加している事を考えれば、戊申倶楽部は基本的には非政友会勢力の連携を志向する会派であったと言える。なお、7月1日付の読売新聞は、中野武営、西村治兵衛が8月8日に有志議員会を開いて実業党の組織を計画し、財政経済救済策について一致の方針を採ろうと、無所属の有志議員30名に通知したことを報じている。中立的な会派の結成、さらには非政友会勢力結集の動きが進む中でも、その核となる事を目指してか、商工党結成という選択肢は残されていた。

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