日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
実業派の動き(③)~第2次桂内閣に対する実業派の姿勢~

実業派の動き(③)~第2次桂内閣に対する実業派の姿勢~

商業会議所には第2次桂内閣に対して硬軟両論があった(1908年12月12日付読売新聞。東京では軟派が多いとしている)。結局商業会議所連合会は、内閣の方針を一定程度は評価しつつも、公債整理にとどまらず、税制整理をも可能とする財政整理の方針が見られないという批判的な立場を採り、歳出削減、偏武的財政計画の適正化、確実適当な歳入(3税廃止等の税制整理を含むものだと考えられる)を求める決議を為している(『立憲政友會史』第参巻17-19頁、1908年12月13日付読売新聞)。1908年7月12日付の読売新聞は、実業家の方面における評判では、桂が西園寺より上であるとしている。そしてその理由として、西園寺の恬淡な、桂の如才ない性質を挙げている。実業派は山県-桂系に不満があっても、立憲政友会にはもっと不満があったのだと考えられる。よって独自の政党か会派の結成を目指すのは自然な事であったし、そこにはかつての、単なる中立とは異なる意図があったのだと言える。

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