日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
新民党・(準)与党の不振・1列の関係(⑥)~桂寄りが非民主的な存在でなくなる日~

新民党・(準)与党の不振・1列の関係(⑥)~桂寄りが非民主的な存在でなくなる日~

1909年1月3日付の読売新聞は、又新会の「某有力者」が、戊申倶楽部の幹部派と憲政本党改革派が計画していた新党が、立憲政友会に対抗するものであり、桂を擁する「閥族の忠勤黨」になろうとするもので、主義、節制の無い烏合の衆になるとした。一方でその有力者は、桂が、かつて西郷従道がしたように旧職軍人となって政党の領袖となり、非政友会の各団体を糾合し、政見を発表して一大政党を組織するならば、従来の行掛りと感情を捨てて参加するとしている。非政友会を前提としつつ、理念や政策がしっかりとあり、薩長閥に利用されない新党でないと意味がないという考えである。それを桂がつくるなら(桂が薩長閥の要人であっても)参加するというのは、その後立憲同志会に参加した、同志研究会系(又新会系)の一部の行動と一致する。この、【桂が政党をつくるなら】という事には、【衆議院が1強のままにならないように】・【薩長閥と優位政党の談合、政権のたらい回しが続かないように】という狙いがあると言える。「薩長閥と優位政党の談合」とは言っても、優位政党の立憲政友会は、自由党系と伊藤系が合流したものである。次にもし桂が政党をつくるなら、【薩長閥と桂新党の談合】になるという事も、考えられなくはない。しかし立憲政友会がよほど弱らない限り、立憲政友会を軽視した体制というのは存続し得ない。1月6日付の読売新聞は、又新会の有力者が語った事として、桂総理が立憲政友会の協力を必要とする議会開会中は、新党の結成が実現しないとしている。立憲政友会が弱るのはどんな場合かと言えば、同党が長く野党である場合だが、これは立憲政友会がよほど弱らない限り起こり難い。先に弱る必要があるのだ。そして先に弱るためには、桂新党に立憲政友会の議員が多く参加しなければならない。そうなると立憲政友会の残部はさすがに弱るが、今度は桂新党の非政友会新党という面が弱くなり、憲政本党、又新会の議員は非常に参加しにくいものになる。つまり、【薩長閥と桂新党の談合】にはなり難いのである。そうであるなら、【伊藤新党として出発した面のある立憲政友会と、桂新党の2大政党制】になる可能性が高い。障害となるのは政党に否定的な薩長閥の要人達だが、頑固なのは山県有朋くらいになっていたし、薩長閥の流れも汲む2大政党中心の政治が浸透し、元老はそれを認めるかわりに、時に人事も含め、注文を付けるという形になる可能性が高かった。

又新会の「某有力者」の狙いを、上とは別に表現をするなら、【薩長閥から政権をもぎ取る事ができる唯一の政党となり、利益誘導政治で力を付ける立憲政友会という政党を非民主的な政党と見て、同党からその地位を失わせる勢力(政党)を目指す】となる。その成功の先には、非政友会勢力が、立憲政友会と同じように薩長閥と交互に政権を担う政党になるのか、それも含めて政治を変える、つまり非政友会勢力と、力を弱めた立憲政友会、あるいはそれとも違う政党が、交互に政権を担う議院内閣制へ移行する(制度的に移行しなくても、慣例化させる)のかという分岐がある。前者であっては、新たな立憲政友会が生まれるだけで、立憲政友会が弱らない場合、単なる権力闘争が続く状態になる。立憲政友会が弱る場合は、その新党が優位政党になるだけで終わる。そもそも筆者が含めた「立憲政友会という正当を非民主的な政党と見」る事と矛盾する。桂新党と薩長閥と交互に政権を担う場合はもちろん、その政党が半永久的に政権を担う場合にも、真の議院内閣制とは言えないと思う(そんなことを言えば、戦後の日本の政治も、議院内閣制ではないという事になってしまうが)。

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