日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
野党再編(⑥)~憲政本党の2派と政界再編~

野党再編(⑥)~憲政本党の2派と政界再編~

憲政本党の内部対立は、第2次桂内閣を支持するかどうかという事と関係していた(支持:薩長閥に寄る、不支持:立憲政友会と組む事も排除せずに非薩長閥政権を目指す)。そして同時に、非政友会勢力の再編の形に関係していた(非改革派:桂内閣不支持・吏党系を排除する小合同、改革派:桂内閣支持・大合同)。

総理に返り咲いた桂の対議会策(一視同仁)は、憲政本党改革派にとって、憲政本党が与党になって拡大するための絶好の機会であった。山県-桂系と近くなる事で、その基盤に支持される事を期待できた。なぜなら、山県-桂系は独自の政党を持っていなかったし、それに近い存在であった吏党系は、再編による拡大を志向していた。つまり憲政本党と組む事が可能であったからだ。もちろん、伊藤系と自由党系が、自由党系にとってうまく合流できた(合流後間もなくは伊藤主導に不満があっても、事実上伊藤を追い出すような形になった)事と、同様の事を期待するのは難しかった。山県が伊藤と違って政党に否定的であったからだ。しかし山県-桂系中心の内閣の下で総選挙が行われるだけでも、それに近い政党にとっては有利な事であった(当時は野党に厳しく、準与党に甘い選挙の取り締まりがなされていた。-政党にとっては、選挙も管轄する内務大臣を出す事が非常に有利な事であった-)。

どれくらい有利になるかは定かでなくても、桂総理の一視同仁によって、万年野党的な存在、万年第2党的な存在であった改進党系(憲政本党)の、限界が突破される可能性が出てきた事は確かだ。吏党系(大同倶楽部)と合流すれば、山県-桂系とさらに良い関係を築く事が期待できた。ただしそれには、山県-桂系の意に反する事をしなければ、という前提がある。少なくとも有利な地位を得ることで、優位政党となり、さらにその地位を揺るぎにくいものにできれば別だが、さすがにそれを(短期間で)実現させる事は不可能であったと言える(実際の歴史を見ると桂が新党をつくり、その正式な結党の前に死去する事で、状況は大きく変わるのだが、それについては11章以降で見る事になる)。

さらに、親薩長閥(親桂内閣)としての再編は、【憲政本党+大同倶楽部】よりも広がる可能性が高かった。戊申俱楽部にも親山県-桂系の議員、中立的な議員がいたから、彼らも参加する可能性があったのだ。また親薩長閥ではなくても、その消極財政は支持できるし、難しい事は分かっていても、その先に3税廃止、営業税の改正を期待して、そして何より、地主層・農村部重視、積極財政・利益誘導型の立憲政友会に対抗するために、合流に参加する議員が出て来る事も考えられた。憲政本党が市部の議員、実業派と合流すれば、それは矛盾をはらむが、郡部で(さらに)弱くならずに市部で強くなれば(全国的な大政党とはそもそも、このような矛盾を抱え、その優先順位付け、調整、統合によって自らの理念を維持しつつ、政策を修正するものである)、立憲政友会1党優位の状況を変える事も不可能とまでは言えなかった(少なくとも改善への前進にはなる)。例えば、市部選出議員、実業家の議員が多く加わることで、改進党系(憲政本党)の、自由党系に比して都市型政党の色が濃いという傾向が、復活する可能性がった。政党に属さない市部選出議員、実業派の選挙区における基盤は、一部を例外として、それほど強くはなかった(そもそも政党の所属議員と比べ、連続当選を志向する議員が少なかった)。なお、市部選出の議員が増える可能性は、憲政本党が反薩長閥的な再編に進む場合にもあり得た(薩長閥を敵に回さない場合と比べると、少なくなると思うが)。

憲政本党改革派の路線について述べたが、実際には同派は党内で主導権を握り切れず、日糖事件(本章⑥参照)の影響で、党の主導権を完全に失った。また、市部選出議員との合流に関しては、米価が下落し、地主・農村部が利益誘導以上に地租軽減を求めるようになる事から、郡部と市部の溝が広がる事態となる。

憲政本党の主導権を一応は取り戻した非改革派は、大同倶楽部との合流には否定的であった。大同倶楽部、戊申倶楽部(の一部~多く)と合流して、山県-桂系に連なる勢力となるのか、又新会と合流して民党の色の強い勢力となるのか、非政友勢力が全て合流して、とりあえず立憲政友会に対抗するのか、この3つの可能性が当時あった(図⑩-E参照)。改革派が志向していた大同倶楽部、戊申倶楽部との合流が不参加議員無しに実現すれば、その議席数は約134議席(1908年3月24日の第25回議会会期終了日の時点)になる。これは193議席(同上)の立憲政友会にまだまだ及ばないものの、桂内閣期に総選挙が行われることになれば、逆転も不可能ではないレベルの議席数であったと考えられる(特に立憲政友会が以前よりは不利な立場になる事で、不安定になれば)。さらに又新会、無所属全員も含めて大合同が実現すれば185議席(同上。無所属抜きでは178議席)となる。多少不参加議員がいても、立憲政友会と対等、いや、もし順境であれば対等以上になると言える(不利となった立憲政友会から移って来る議員によって、選挙なしに議席が逆転する事もあり得なくはない)。内部対立はより深刻になり得るが、順境であれば求心力も強まりやすい。しかしこれが民党路線となると、憲政本党と又新会で109議席(同上)となる。さらに参加者が出る可能性もあるが、不参加者が出る可能性もあるから、良くて110議席前後と想像される(不参加者が出ない前提で挙げた上の数字とそろえるなら、良くて125程度となると思うが)。これでは立憲政友会の193、過半数の190議席にはあまりに遠い。しかも非改革派の路線は、薩長閥、立憲政友会を敵に回すという非常に不利なものである。これでは党勢が縮小していく危険性の方が高い。このことからも非改革派は、遠い存在となっていた立憲政友会との、非薩長閥連合構想を捨てられなかったのである。最後に補足すると、憲政本党が親薩長閥、あるいは反薩長閥の合流に進んだ場合、これに反対する勢力と、真っ二つに割れてしまう可能性があった(この分裂は、実際には一度回避された後、起こるのである)。そうなれば、上の試算から30議席程度引かなくてはいけなくなる。よほど順境にない限り、さすがにかなり厳しい状況となる。

 

 

 

 

 

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