日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
第3極・野党再編(⑤⑥)~再編の矛盾を示す3税廃止案~

第3極・野党再編(⑤⑥)~再編の矛盾を示す3税廃止案~

非政友会勢力合流の最大の障害は、3税廃止問題であった。軍事費等の抑制を含む消極財政による3税廃止に熱心であったのは、憲政本党の犬養ら非改革派、戊申倶楽部の中野武営や西村治兵衛ら実業派(実業派の全てではないから、厳密には商業会議所派とした方が適当だという面がある)、そして又新会だ。この3派にはもちろん、3税廃止の主張を取り下げる気はなかった。一方で憲政本党改革派、大同倶楽部、戊申倶楽部の第2次桂内閣寄りの議員達は、内閣との対決を避けようとしていたから、3税廃止のための法案の提出には慎重、あるいは否定的であった。なお、商業会議所連合会は1909年2月18日の決議において、第一に3税廃止、第二に営業税や所得税の改正、第三に歳出の削減をそれらの財源とすることを謳っている(1909年2月19日付東京朝日新聞)。しかし3税よりも営業税の方が幅広い実業家の利害に関わる問題であり、徴収を厳しくして税収を上げる事がすでに1908年度から行われていた(※)ことから、3税廃止を最大の争点として第2次桂内閣と対決することに、否定的な実業派の議員もいたと考えられる。

※石井裕晶『制度変革の政治経済過程―戦前期日本における営業税廃税運動の研究―』109頁。臨時商業会議所連合会の会長であった大橋新太郎の名義で、1909年9月に桂総理宛に出された意見書内において、徴税の恣意性が批判されている(薄田貞敬編『中野武營氏翁の七十年』251-252頁)。

 

図⑩-F

Translate »