日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
野党の2択・1党優位の傾向(⑥)~政党を直撃した日糖事件~

野党の2択・1党優位の傾向(⑥)~政党を直撃した日糖事件~

3税廃止案の否決は、憲政本党内では、非改革派がより不満を抱く出来事であったと考えられる。しかし、それが必ずしも同派の力を弱めるというわけではなかった。もともと可決は難しかったし、不満を持つ勢力がむしろ活気付いて、再編に進む可能性もあった。そんな中、日糖事件で改革派の方が深刻な状況に陥ったわけである。事件は1908年4月に明るみに出て、拘引される衆議院議員が次の通り、多く出た(第10回総選挙で当選している議員を記した)。そして、拘引された憲政本党の議員は皆、改革派であったのだ(註1)。しかし、このような大事件が、最も多くの逮捕者を出した優位政党よりも、第2党に影響を与えるのが、本当に日本らしい。

立憲政友会:荻野芳蔵、奥野市次郎、小沢愛次郎、川島亀夫(1909年5月14日に繰り上げ当選。当時の衆議院議員で唯一無罪となった)、栗原亮一、佐藤虎次郎、沢田寧、長谷川豊吉、松浦五兵衛、村松愛蔵、森本駿、横井時雄

憲政本党 :神崎東蔵(改革派)、木村半兵衛(改革派)、西村眞太郎(改革派)、安田勲(改革派)

大同倶楽部:臼井哲夫(註2)、横田虎彦

なお、これらの議員の辞職を受けた、繰り上げ当選、補欠選挙があった。これによって大同倶楽部の2議席が立憲政友会のものとなった(臼井の分の繰り上げと横田の分の補欠選挙)。立憲政友会は再選が多いが、同党と憲政本党の間で多少の議席の行き来があり、両党の議席数はこの事ではほぼ変わらなかった。立憲政友会の原敬は選挙干渉(政友会にばかり厳しい取り締まり、検挙)を疑っている(『原敬日記』第3巻337頁。1909年8月14日付)。非政友会内閣下で選挙が行われる事のリスクを確認しているのだろうが、干渉がなければもう少し議席が取れたという事でもあるのかも知れない。

註1:一覧は『立憲政友會史』第参巻115ページ、東京朝日新聞を基に作成した。改革派か非改革派かの判別は、1906年11月1日付東京朝日新聞、1908年12月24日付東京朝日新聞、『憲政本黨黨報』第3巻第7号18頁を基にした。

註2:『安達謙蔵自叙伝』116~117頁によれば、臼井が日本製糖に談判して2万円を得て、それを個人的に会派の議員に配ったようだ。安達は熊本国権党として受け取る形にし、党の費用に充てた(この際安達は他の党員に相談せず、大畑、大淵議員は不満を持っていたという事も記されている)。臼井は大同倶楽部の議員を個々に呼び、日本製糖からの金だと言わずに配ったが、浅羽は警戒して受け取らなかった。臼井と横田は裁判において、配った事を否定した。

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