日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
(準)与党の不振・新民党(①)~熊本県で強い吏党系、九州で弱い新民党~

(準)与党の不振・新民党(①)~熊本県で強い吏党系、九州で弱い新民党~

第10回総選挙で半減した大同倶楽部(吏党系)だが、その核の旧帝国党の中でもしっかりしていた熊本国権党の地盤の熊本県では、県内の市部(定数1)を含む全9議席のうち、市部を含む6議席を得ている(九州では他に宮崎県郡部選出の川越進がいた)。衆議員の全議席の12分の1にも満たなかった大同倶楽部が、熊本県では3分の2を得ているのだから、非常に善戦していたと言える。また30弱~30議席であった第10回総選挙後の大同倶楽部の、5分の1(以上)が熊本県内選出の議員であったというのは、かなり偏っているともいえる。実際にはそうも言えないのだが、大同倶楽部の根拠地が熊本県であったようにも見える。なお、大同倶楽部の事実上の指導者となっていた大浦兼武(第2次桂内閣農相無大臣)は、長州閥の山県-桂系一方であったが、薩摩藩(現鹿児島県)の出身であり、熊本県、宮崎県の元知事であった(都道府県知事は大日本帝国憲法下では、民選ではなかった)。

一方の、又新会(新民党)の議席は45弱~45議席であったが、九州の選挙区から選出された議員は久留米市選出の浅野陽吉ただ一人であった。以上は、九州で吏党系が支持されていて、新民党が支持されていなかったというよりは、どちらかと言えば、その地方にそれぞれの有力議員がいたりいなかったりした結果であると思われる。

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