日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
野党の2択・野党再編(⑩他)~地方で見られた非政友会大同団結~

野党の2択・野党再編(⑩他)~地方で見られた非政友会大同団結~

櫻井良樹氏は、立憲政友会の「党弊」に対する官僚派と非政友派の連合が、少なくとも一時的なものとしては、地方レベルでは当時存在していたことを、大阪の例を挙げて指摘している(櫻井良樹『大正政治史の出発』82~83頁。同著「はじめに」の註18(18頁)において、地方における非政友会勢力の結集に関する先行研究が紹介されている)。櫻井氏は東京市の鉄道、電気に関して、自らに近い企業を優先させる立憲政友会に対して、官僚や非政友会の議員達が対抗した経緯を明らかにしている(櫻井良樹『大正政治史の出発』第7、8章)。宮島正人氏は、「国民主義的対外硬派」が、東京市制について立憲政友会に対抗したことについて、詳しく述べている(宮地正人『日露戦後政治史の研究―帝国主義形成期の都市と農村―』268~274、291~294頁。宮地氏が用いる「国民主義的対外硬派」とは、筆者が新民党と分類する勢力と、特に期間を限れば重なる-筆者の「新民党」は、戦前に限るが、その中では特に時期を限らない-。筆者は基本的には衆議院に議席を持つ勢力を想定しているが、それと重なる、あるいは連なる勢力を排除して捉えているわけでもない)立場が近い勢力も含むものである)。このことは櫻井氏も指摘しており、同氏が示す、電気料金値下げ運動に関わった人物、賛成した人物の中には、戊申倶楽部に属していた岩下清周(後には同志会に参加)、江間俊一の名がある(櫻井良樹『大正政治史の出発』280頁)。櫻井氏も扱っていることであるが、これらの問題は、第27回帝国議会における市制改正法案、第26(不成立)、27議会における電気事業法案という内閣提出法案等において、帝国議会にも現れている。ここでは踏み込まないのだが、立憲政友会は前者において、市政と関係のある業者の被選挙権の制限の範囲を狭める修正を実現させ、後者において、消費者保護の目的があった料金の認可制に反対するなどした。後者については、主務大臣が必要と認めた時に、料金を制限し得るというように修正された。同じくここでは踏み込まないが、衆議院の補欠選挙の一部において、改進党系と吏党系の協力が見られた。1909年7月7日付の東京朝日新聞によれば、戊申倶楽部、大同倶楽部、憲政本党改革派が、日糖事件のために辞職した議員達の選挙区の補欠選挙について、申し合わせた。1911年12月18日付の東京朝日新聞によれば、岐阜県郡部選出の立憲国民党の大隈三之助(有罪判決により失職)の補欠選挙に、高橋義信が中央倶楽部、立憲国民党の双方に推されて出馬を決めている。

なお、『政界革新論』において島田三郎は、衆議院で決したものが貴族院で修正される事を「大いなる汚辱」としている(38~42頁)。しかしそれは貴族院批判ではなく、島田は衆議院が国民の信頼を得ていない事に起因すると捉えている。その例として挙げられているのが、鉄道国有化法案で、衆議院が軍事のために必要であるわけでもない支線まで、国有化しようとした事である。その動きの中心は立憲政友会であった。島田は憲政本党と大同倶楽部のそれぞれ一部もこれを助けたとしている。彼が属していた有志会や同志研究会系はまともだという意味も含まれているのだろうが、貴族院のほうが、利益誘導による党勢拡大ばかり考えている政党、議員(がいる衆議院)よりも評価できる面があったという事だ。この考えは、いつか議院内閣制に持っていく事を最重要視する立場とは矛盾するように見える。しかし、政友会内閣が度々誕生する事で議院内閣制になるとは限らない。それよりも、目の前の問題で政党、衆議院に対する国民の信頼が無くなれば、それこそ議院内閣制が遠のくと見る事もできた。貴族院もいずれは政党化されるかもしれないし、それなら反政友会の立場を優先させるべきだという考えを、おかしなものだとは言えない(島田が当時、そこまで考えていたかは別として)。

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