ここで、戊申倶楽部と又新会の議員達の分化について見ておきたい。まず、それぞれの議員がどの政党、会派へ移動したかを見る。議員の氏名(分化の時点で離脱している場合は氏名の次に「×」を付した)、選挙区、職歴(地方議員を「地」、地方自治体の長を「長」、府県知事を「知」、技術官僚を「技」、他の官僚を「官」、海軍を「海」、鉱山経営を「鉱」、他の実業家を「実」、畜産業を「畜」、農業を「農」、検事を「検」代言人、報道関係を「報」、判事を「判」、検事を「検」、弁護士を「弁」、教育関係を「教」、宗教関係を「宗」と記した)、次に主な出身政党、会派、その後に参加した主な政党、会派を記したが、不要と考えた場合は省略した(議員の経歴については『中小会派の議員一覧』参照)。
・戊申倶楽部
中央倶楽部へ
安東敏之 名古屋市 弁・実 立憲同志会系へ
石田平吉× 門司市 地・実 すぐに離脱、立憲同志会系へ
江間俊一 東京市 地・弁 立憲政友会出身、立憲同志会系へ
加治壽衛吉 丸亀市 実 大同倶楽部出身、立憲同志会系へ
木村艮 京都郡 官・技・実 立憲同志会へ
木村省吾 京都市 宗・実
小橋栄太郎 函館区 地・鉱 大同倶楽部出身
斎藤巳三郎 新潟市 地・農・実 立憲同志会系へ
清水市太郎 愛知郡 官・弁 すぐに離脱、立憲政友会へ
鈴木久五郎 高崎市 実
千早正次郎 岐阜市 官・実
中村豊次郎 三重郡 農・実
中村弥六 長野郡 地・教・官・実 大成会→巴倶楽部→同盟倶楽部→公同倶楽部→立 憲革新党→進歩党→憲政→憲政本党→中立倶楽部→戊申倶楽部→中央倶楽部
中安信三郎 京都市 地・実・右 立憲同志会へ (後に大日本国粋会会長)
牧野平五郎 富山市 地・実
丸山孝一郎 米沢市 地・海・実
村田虎次郎 大津市 長・実 立憲政友会、政友倶楽部~中正会へ
森田俊左久 広島郡 地・長・畜・実 戊申倶楽部→中央倶楽部→無所属団→立憲政友会
八束可海 静岡郡 地・弁・実
丸山孝一郎 米沢市 地・海・実
立憲国民党へ
片岡直温 三重郡 官・実 国民協会、山下倶楽部出身、立憲同志会系へ
倉光藤太 長崎郡 水産 立憲同志会系へ
仙石貢 高知市 技・実 立憲同志会系へ
富田幸次郎 高知郡 報 立憲同志会系へ
豊増龍次郎 佐賀市 地・弁・実 立憲同志会系へ
肥田景之 宮崎郡 宗・官・実 国民協会出身、公友倶楽部~新政会へ
和田尊義 高知郡 教・実
立憲政友会へ
井上敏夫× 四日市市 海
稲茂登三郎 東京市 地・実
世良静一× 広島郡 検・弁
高橋政右衛門 滋賀郡 地・実
戸水寛人× 金沢市 学・弁
米田穣× 石川郡 地・報・長
渡辺千冬 長野郡 実
※星一は「無所属に」に含めたが、立憲国民党の結成から約1年半後に立憲政友会入りしている。
無所属に
飯田精一 山口郡 官・実 維新会→新政会へ
磯部安次 茨城郡 実 中正倶楽部、立憲政友会へ
岩下清周 大阪市 実 同志会~中正会へ
加藤恒忠 松山市 官
高野孟矩× 宮城郡 検・弁 1903自由党出身
中野武営 東京市 地・官・実 立憲改進党~憲政本党出身
西村治兵衛 京都市 地・実
星一 福島郡 報・実 立憲政友会へ
松尾寅三× 下関市 地・実 立憲政友会出身
・又新会(※猶興会出身者の使命の次に「・」を付した)
憲国民党へ
入江武一郎・ 岡山郡 地・弁
卜部喜太郎・ 埼玉郡 弁
蔵原惟郭・ 東京市 教・記 立憲同志会へ
河野広中・ 福島郡 官 自由党、憲政本党等出身、立憲同志会系へ
坂本金弥・ 岡山郡 実 進歩党~憲政本党出身、後に立憲同志会、立憲国民党、 維新会→新政会
島田三郎・ 横浜市 地・記・官・実 立憲改進党~憲政本党、日吉倶楽部、有志会出身、立憲同志会→憲政会、革新倶楽部へ
鈴木寅彦・ 福島郡 実 立憲同志会系へ
高木正年・ 東京郡 地 立憲改進党~憲政本党、三四倶楽部出身、後に立憲国民党→大隈伯後援会、公友倶楽部、憲政会系
西村丹治郎・ 岡山郡 記 憲政本党出身、後に革新倶楽部、立憲政友会、立憲民政党
濱田国松・ 三重郡 地・弁 後に革新倶楽部、立憲政友会
守屋此助・ 岡山郡 弁・実 立憲改進党~憲政本党出身、立憲同志会→憲政会へ
金尾稜厳 広島郡 地・宗・知 協同倶楽部、独立倶楽部、進歩党~憲政本党出身、後に公友倶楽部、憲政会
小寺謙吉 兵庫郡 地・長・実 立憲同志会系へ
佐々木安五郎 山口郡 官・鉱 後に無所属倶楽部、革新倶楽部、新正倶楽部
桜井一久 神戸市 判・弁
田川大吉郎 長崎郡 報・官 後に同志会~中正会を経て憲政会、革新倶楽部→新正倶楽部
佐野春五 兵庫郡 地・弁・記 憲政本党出身
鈴木力 長崎市 報 憲政本党出身
村松恒一郎 愛媛郡 地・報 憲政本党出身、後に純正国民党、新政会、立憲民政党
高木益太郎 東京市 地・弁・実 憲政会系へ
服部綾雄 岡山市 教
鈴置倉次郎・ 愛知郡 官 立憲政友会出身、立憲同志会系へ
三浦逸平 愛知郡 実 立憲同志会へ
中央倶楽部へ
浅野陽吉・ 久留米市 実 有志会出身、立憲同志会へ
近江谷栄次・ 秋田郡 地・実
立憲政友会へ
小川平吉・ 長野郡 弁 立憲政友会出身
尾崎行雄・× 三重郡 地・官・記 改進党系であったが立憲政友会に参加、離党し同志研究会系、立憲政友会復党後再度離党(以後略)
富島暢夫・ 広島郡 地・判・弁 立憲政友会出身、後に維新会、新政会、清和倶楽部、新政会
山口熊野・ 和歌山郡 地・報・実 立憲政友会出身、後に政友本党へ
横山金太郎× 広島郡 地・判・弁・長 立憲政友会出身、又新会 後に中正会、憲政会系へ
又新会残留
石橋為之助・ 大阪市 記 同志会~中正会
梅原良・ 神奈川郡 地・実
大竹貫一・ 新潟郡 地 元新潟進歩党等、同志会~中正会を経て憲政会、革新倶楽部、国民同盟へ
加瀬禧逸・ 千葉郡 弁 同志会~公正会へ
小泉又次郎・ 神奈川郡 地・教・記 同志会→亦楽会を経て、立憲同志会系へ
関口安太郎・ 前橋市 地・蓄
花井卓蔵・ 広島郡 弁 中立倶楽部出身、後に同志会~公正会、正交倶楽部
堀谷左治郎・ 横浜市 地・実
松本恒之助・ 津市 地・実 有志会出身、同志会~中正会を経て憲政会へ
三輪信次郎・ 東京市 官・実 交友倶楽部、有志会出身、同志会~中正会へ
才賀藤吉 愛媛郡 実 憲政本党出身、同志会~中正会へ
大西五一郎 堺市 地・長・実 同志会~公正会へ
多木久米次郎 兵庫郡 地・実 後に無所属団~公正会、立憲政友会、政友本党、立憲政友会
橋本太吉 尾道市 地・実 後に同志会~公正会、無所属団~正交倶楽部
藤沢元造 大阪郡 教 又新会
細野次郎 群馬郡 地・鉱・実 壬寅会出身、同志会~亦楽会へ
田坂初太郎× 愛媛郡 実 憲政本党出身、議員辞職
早速整爾・ 広島市 地・実 同志会~中正会を経て憲政会へ
神藤才一・ 神奈川郡 陸・教 立憲政友会出身、立憲同志会へ
又新会から立憲政友会に移った議員が、全て立憲政友会の出身者(つまり復党)であるという事以外、戊申俱楽部にも又新会にも、明確な傾向は見られない。又新会については、実業派の議員が多く残留している印象を受けるが、実業家にも色々あるから、もう少し細かく見る必要がある(今後の課題としたい)。戊申倶楽部では、立憲国民党参加者、立憲政友会入党者に郡部選出の議員が多い。前者には明確な理由がある。高知県内選出の、いわゆる土佐派が立憲国民党に参加したからだ。高知県の中で市部選挙区は定数が1の高知市だけだから、郡部選出の割合が高くなって当然だ。だが、立憲政友会入りする議員達を見ると、立憲国民党参加者のように同一の地域の議員が多いわけではない。だから、自由党系と改進党系の本流である2大政党、特に前者(自由党系の立憲政友会)は、郡部選出議員にとっては特に、所属する事にメリットがあったという面はあるのかも知れない。では市部選出の議員はどうだろうか。その代表的な人物、実業派の代表的な人物だと言える中野武営は、又新会に最も近かったと考えられる。中野と第2次桂内閣とは、現実的に採れる政策について、一致点が多かった。具体的には、緊縮路線でまずは財政を立て直さなければならないという事だ。中野はその先に税制整理を期待したが、桂総理はやはり国力強化を優先する立場であった。中野はまた、薩長閥と近かった政商や、大財閥を代表する立場ではなかった。立憲政友会はやはり郡部優先の積極財政路線の政党であったし、憲政本党は内部が真っ二つに割れ、その一方は立憲政友会を真似ようとしていた。であればやはり、又新会残留派と合流するのが中野にとって最善であったように思える。実際にそのような報道もあった(次の、新民党・実業派の動き(⑩)~又新会の解散、揺れる無所属的議員~で述べる)。そうならなかった理由を筆者は知らないが、第2次桂内閣に期待し、立憲政友会入りの希望を原敬に伝えた(あくまでも原の日記に寄ればだが)中野にとって、又新会残留派では、さすがに野党色が強すぎたのかも知れない。