日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
第3極も繰り返し出現

第3極も繰り返し出現

自民党に対する不満、民主党に対する不安と不満から、この10年ほど、第3極がブームになっている。しかしこのところ、それは急速にしぼんでいるように見える。このような第3極に対する期待と失望も、何度も繰り返されてきている。また「繰り返し」なのだが、それだけ日本人が、過去の成功も失敗も、参考にはしていないということである。だから今からでも参考になることはないか、見る必要がある。

上に見た第2党の再編による強化のうち、戦前のそれは、2大政党制へとつながっている。一定の成功を治めているのだ。その背景にはすでに述べた通り、衆議院で多数派とならなくても総理大臣のポストを得ることができるという、今とは異なる制度がある。しかしそれだけではない。筆者はそれに加えて、第3極の影響力を見る。どういうことか、戦前の「第3極」について簡単にまとめつつ、述べることとしたい。

なお、1党優位の傾向が強く、よってしがらみも強く、世襲議員が多くなった日本では、日本新党ブームのようなものがなければ、議員の新陳代謝が滞るというのも事実だ。日本新党を例に挙げたのは、同党のかつての新人議員が、今では民主党、自民党の双方で要人になっている。ブームが起こっても、次に落選し、そのまま議員に戻れないのでは意味がない。しかしブームによって膨らんだ議席は、基本的には消し飛ばされてしまうものだ。日本新党の場合は、再編の中でそれを免れたというだけだ(だからと言って再編を繰り返せば良いということでは、もちろんない)。

それに関してもう一つ、ここで述べておきたいことがある。日本維新の会、小池新党(希望の党)という、国民の大きな期待を背負っていた政党を、選挙の準備が整わないうちにつぶそうと、時の総理(前者は野田佳彦、後者は安倍晋三)が衆議院を解散した節がある。これは戦略としては正しい。第1、2党間の駆け引きという面もある(前者は野党自民党が強硬に衆議院の解散を求め、後者は野党民進党が弱っている時であった)。その後を見れば、日本維新の会も希望の党もチャンスを自ら手放した面があるし、筆者は保守2大政党制を望まない。よって、保守の第3極の伸長については、保守の刷新につなげれば支持するし、左派政党の弱体化ばかりもたらすようでは支持できない(左派政党がしっかりしなければならないということは、置いておくとして)。しかしそのようなことは関係なく、求める選択肢を有権者が満足に与えられなかったという点では、非常に残念な解散であると思う。有権者が蚊帳の外に置かれるという、日本の悪しき文化の一つの表れであると言える。

 

帝国議会開設当初の第3極→

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