※ こちらを書いたのは今年(2025年)の夏ごろで、その後の変化については反映していません。
政治家を、その発言を、暴力で封じることは許されない。安倍自民(安倍、菅、麻生の影響力が非常に強い、2012年に生まれたとも言える右寄りの自民党)は野党によって、選挙で倒されるべきだった。民主党政権は、選挙による政権交代で誕生した、初めての政権であったと言える。その民主党政権に対する失望の反動で強すぎる存在となった安倍晋三氏は、だからこそ、野党(できることなら民主党系)に倒されるべきだった。それが暴力で倒されては、日本の民主主義はズタズタになってしまう。筆者は安倍氏殺害の日、感じたことのないような、やるせなさに襲われた。もちろん単純に、自民党が同情票で圧勝するであろう事に対する不満もあった(事件と圧勝による自民党の右翼的な面の強化も恐れた。ただしその次世代の有力なリーダーは思い浮かばなかった)。
しかしその後、事件に対する印象は少し変わった。絶対に許されない事であるのは間違いない。それについては揺るがない(少なくとも日本が本当に完全な独裁国家にでもならない限り、あるいは他国の統治下に無理やり置かれるのでもない限り、揺らがせてはいけないと思う)。しかし安倍、自民党にも問題があったという印象も、持たざるを得なくなった。
日本の民主主義はズタズタにならなかった。翌年現役の総理大臣(岸田氏)まで襲われる中、そうならなかったのは本当に良かった。ただ、日本の民主主義がそんな心配をするほど立派なもなのかという、筆者がこの事件と分けて考えようと思っていた事が、安倍ら主に自民党の政治家と、統一教会との関係が浮上したことで、嫌でも結び付いた(統一教会と自民党のシンボルマークの類似性を認識した事は、感覚的に、筆者をさらなる失望へと急き立てた)。
もちろん日本の民主主義がズタズタになっても、今とたいして変わらないなどと言うつもりはない。日本が民主主義の国であるのは確かであり、良い点もたくさんある。それを守りたい。しかしもう少し誇りを持って守りたいのだ。独裁政権を高く評価するのでもない限り、日本の民主主義をもっと誇れるものにするべきだ。そうでなければ世界の変化を前に、良からぬ方へと簡単に流されてしまう。その兆候はすでに十分にある。
自民党と旧統一教会が結び付いていた(いる?)事がなぜ、民主主義国として問題なのか。
まず単純に、政権・優位政党の権力と権威で、統一教会にお墨付きを与えてしまう効果がある事だ。創価学会と統一教会ではかなり異なるが(※)、創価学会・公明党も、自民党と連立を組むことで、それ以前より警戒されなくなったと聞く。今回の事件はまさにこの点(お墨付きを与えるような行為に対する反発)が直結していた。
※ 創価学会は政界進出前後、かなり強引な布教活動を行っていた。しかしその後穏健化し、統一教会のような悪質な行為があるという事は、筆者は聞いた事がない(個人の関係で多少強引な事はあるかも知れないし、政治に関することは推測でしか語れないが)。筆者は創価学会について、政教分離問題とは異なる点を、問題視している。それについては『政権交代論』の「公明党は第3極になるべきか」で述べている。
統一教会系から寄付を受けた政治家の中には、「少額だし、自分はそんなもので統一教会に利用されたりしない」という者もいるだろう(水面下でより多額の寄付があった可能性も否定はできないが、それについては分からないし置いておく)。しかしその「少額」は多くの場合、信者となった者から事実上強奪したものであり(洗脳されている場合、自主的な献金とは言い難い)、その背後には信者の家族の苦しみもある。それを想像できない者に、国民を代表する議員の資格があるとは思えない。
次の問題点はより危険なもので、統一教会が優位政党・内閣を自らに都合良く動かしてしまう事だ。やや消極的な性質のものでいけば、統一教会が、自らが起こした問題を理由に、何らかの制約を受けたり、宗教法人の認定を取り消されたりしないようにする事だ。
ちなみに、本稿では統一教会という名称を用いている。今は「世界平和統一家庭連合」に改称しているが、「統一教会」という名称のほうが知られているからだ。そもそも、この改称そのものが問題なのだ。統一教会が求め、文化庁が抵抗していたところ、自民党の圧力で実現した経緯があるようなのだ(鈴木エイト『自民党の統一教会汚染』32~33頁)。かつて統一教会は霊感商法(詐欺と言ってよいだろう)で批判を集めていた。この事と、教祖が勝手に結婚相手を決める(知らない人といきなり結婚する事になる)合同結婚式が、かつて大々的にメディアに取り上げられていた。その悪い印象を、統一教会は改称することで無くそうとしたのだ。相手に統一教会だと悟られずに勧誘できるようになるという事だ。
このやや消極的な面(政治家にとっては積極的な面に加担するよりも負担が小さい)だけでも十分深刻なのだが、そこからさらに、統一教会が日本を動かす事にでもなれば、危険極まりない。
もちろん、統一教会が自民党を簡単に動かせるはずがない。創価学会より節度はないだろうが、信者数がはるかに少なく、仮に独自の政党を結成したとしても、影響力は皆無だろう(幸福実現党を結成した幸福の科学が参考になるか)。しかし、自民党は当たり前だが一人一人の人間の集まりだ。そこには他党の候補に負けたくない(負ければ人生が狂うという恐怖)、出世や当選のために、党内のライバルよりも良い条件が欲しいという隙があるものだ。統一教会はそこにつけ込んだ。
具体的には票と人員派遣だ。多くはない組織票でも、他党や同じ政党(※)の候補者に勝つためには非常に重要だ。
※比例や大選挙区。そして小選挙区でも候補者調整がうまくいかず、双方が立候補する場合(双方または一方が無所属で出馬し、当選した方が自民党所属議員という事になる)。
選挙権は平等。みな同じ1票だ(一票の格差などの問題はあるが)。確かに有力者であれば、その票を集める事、動かす事はできる。しかし一人一票だから、やはりカネのようには集められないし、カネほど確かでもない(選挙が秘密投票である以上、投票先を確かめる事は困難)。ではカネほど明確、直接的ではない。だから自民党の議員・候補者には、数多くの団体等の、組織票を合わせることで、ライバルに勝っているという面がある。これが少しでも崩れれば、程度の差はあれど、落選へと近づく。だから一つの団体が支持をやめる事は、脅しにもなる。政治家は票が減るだけで弱った印象を持たれる場合があり、それが他の団体の離反を招く事だってあり得なくはない。
だから統一教会も、政治家に一定の影響力を持ち得るわけである。統一教会は出せる票こそそこまで多くはなくても、信仰に基づく票なので、その数はかなり正確に読める。この確実性は政治家には助かる。さらに統一教会は票の少なさを、これも議員・候補には非常に助かる、人員の派遣でカバーしてきたのである。
さらに現状では、統一教会はいざとなれば、自らの評判の悪さを利用するかも知れない。自らと関係のある議員を、その事をばらすぞと脅して、動かす(少なくとも自らの側に引き止める)こともあり得るのだ(もちろん実際にはもっと巧妙に、そう追い込んでいく。もちろん相手を見なかったり、やりすぎたりすれば、自滅する危険もある)。
こうやって一人一人の議員を動かせば、最終的に統一教会は、優位政党・万年与党の自民党を動かす事ができる。いや、さすがに有力者はそんな事に手を染める必要がないと言われるかも知れないが、そんな事はない。有力者は有力者で、票やカネを動かす事によって、ライバルより少しでも多く、自分を支持してくれる議員、子分を増やそうとする(分かりやすい例で言えば党首選で勝つため)。政治はどうしても数であり(少数派に一定の配慮ができるなら、それ自体を悪い事とも言えない)、数を増やすには、票、カネ、ヒトを提供してくれる団体は重要である。ここにつけ込まれる隙は生じる。安倍元総理も、統一教会が出す票を差配していた(特定の比例候補に融通していた)と言われる。親から支持基盤を受け継ぐ世襲議員は、非世襲議員のように無理に団体の要求を聞く必要がない、問題のある団体と関わらなくて済む、という格差も問題だが、安倍の場合は、危険な団体との関係を、まさに祖父の代から受け継いでいるのだ
統一教会が国教になるような事はもちろんないと思うが、統一教会は韓国で生まれた宗教団体だ。日本から上がった寄附が韓国に流れるだけでも損失だし、その一部が北朝鮮に流れているという説もある。これだけでも十分不利益だ。国教にはならなくても、日韓トンネルができて、国防上のリスクが増す(そこまでいかなくても、日本の損にもなり得るややこしい問題が多く生じる)とか、それによって教団が潤うとか、そういう事もあり得る。そして統一教会は本当は、「反日」である。
筆者はこの「反日」という言葉を本当は使いたくない。韓国に反日感情があっても、それは少なくとも不思議な事ではないし、そういうものがあってもうまく付き合うのが外交、国民同士の交流である。「あの国は反日だ~」と反発するのは、世界では世間知らずという事になる(最近こういう知恵が失われる危険を感じる)。しかし宗教、それもカネや権力にどん欲な宗教団体が入って来るなら話は変わる。そんなものが政治家(特に優位政党・万年与党の政治家と)と結び付くのは、かなり危険だと思う。
この事を考えると本当に、安倍を支持していた右翼(ほぼネトウヨ?)はどう考えているのだろうかと思う。統一教会の影響を受けて、日本の政権が韓国に不必要に有利な動きをする危険を考えないのだろうか(安倍がなかなか改憲に動かなかった事と同様、目をそらしているのだろうか)。いや日韓関係を持ち出さずとも、根に反日感情のある宗教団体が政治と結び付く事の危険性を考えないのだろうか。
統一教会は冷戦期から、社会主義(共産主義)を敵視し、それを主眼とする勝共連合等の別団体をつくり、利用する事で、韓国以外の政治家ともつながってきた(しかし北朝鮮とのつながりも噂される・・・)。だから安倍晋三を待たずとも(とは言っても安倍の祖父の岸田からのつながりだが)、社会主義を警戒する保守~右翼には、統一教会に好意的な者が多かった。しかし今、日本が社会主義化する危険があるのだろうか。むしろ右側からの全体主義化を警戒すべき時ではないだろうか。
さて、安倍氏が殺害された事件の影響は、統一教会に関する問題の再浮上だけではなかった。自民党内右翼とかなり重なる、自民党安倍派が急速に弱体化した。それについては改めて述べるが、簡単に弱体化したのを見る限り、その主張は、選挙での得票や世論調査における支持率の高さほど、あるいはネットでの声の大きさほど、正当性のあるものではなかったようだ(経済政策等については状況の変化もあるが)。
だから安倍的なものは、自民党全体を覆う事ができなくなった。それが安倍支持者(安倍の地元は別として、自民党よりも安倍を強く支持するような人々)と共に、他の政党、新党にも広がって、逆に見えにくくなって世に浸透する事もあるだろう(最近の右派ポピュリズムの強さを見れば)。欧米における右派ポピュリズム(右翼ポピュリズム、極右)の台頭が日本でも起こる可能性はないとは言えない。しかし日本は尾宇部とは異なる段階、状況にあり、今、次のステップに移った事は確かだと思う。
最後に、安倍氏殺害後に統一教会を追い込めば、犯人の行為を認める事になると言う人がいる。これは論外で、政治家にもそういう事を言う者がいるのには驚かされる。それが通るなら、ある悪質な団体が、保身のため、今回のような事件を自作自演する事が有効になる(実行役を洗脳したり脅したりする事をためらわない団体だって存在し得る)。
「政治家を殺せば注目されて、この問題を世に訴えられる」と思う者はいるだろう。しかしそう思う者の多くは、先行する事件が無くてもそう思うのではないだろうか。現に安倍氏殺害事件の前には、しばらく類似の事件はなかった。
問題は、それでも少数はいるであろう模倣犯のような存在だ。
まず一つ。動機は何であれ、犯罪は許されないのだから、法に基づいてしっかり裁く。同時に、暴力で政治を変えようとする事が許されず、過去にどんな結果を招いたかを、しっかりと教える、報じる(あまり遡ると現在の価値観とは離れてくるが、それでもあえて言えば、幕末~明治維新はいささか美化され過ぎていると思う。もっと物語ではなく現実として、教訓を得るのに活かされるべきだろう)。
そしてもう一つは、政治とは何のためにあるのかという事を忘れない事だ。安倍をはじめとした自民党等と統一教会の関係。そして何より統一教会の過度な寄付集めには明らかに問題がある。それが改められ、今後似たような事が無いようにする事は、誰にとっても喜ばしい事だろう(自民党だって統一教会を利用こそすれ、心から大切に思っていた訳ではないのは、見れば分かる。少し調べればさらに分かる)。そんな良い事に取り組むのが政治家の使命のはずだ。そこに前提を付けて改善に抵抗するのは見苦しい(統一教会は間違っていないし、自民党との結びつきも全く問題ないと考えているのなら別だ、それはその政治家を選ぶ、有権者の責任になってくる)。
より強い言い方をすれば、「元総理の命が失われた事と、それで問題の改善・解決が封じられる危険が増す事のどちらが重いか?」という事だ。どちらが重いなどと簡単には言えないが、そんな比較をさせるような状態を、事件後にあえて呼び込むのが、「犯人の思うつぼ論」だという事だ。そもそも問題があると分かっていながら放置した責任が、政治(自民党)にはある。
「テロのおかげで問題が解決して良かった」と結び付けられないようにする事は、明らかになった問題を改善する事と同時にできるし、政治家はそれをしつつ、犯人の行為を許す事はなくても、犯人の心の傷自体には(因果関係が明確な場合に限れば)、理解を示すくらい、国民の事を思っていても良いと思う(安倍氏に対抗していた勢力がそれを見せるのは反発も招くので、もしそのような思いを見せるのなら、安倍氏に近い政治家のほうが良い思うが)。
社会の中で、思い詰める人を一人でも減らす努力を続ける。同時にこの社会を維持するため、どんな理由があっても犯罪を許さない。犯罪を起こして何とかしようとする人の心に耳を傾けつつ、その考え自体は絶対に許さない。この当たり前の事について、地味に努力を重ねて初めて、より良い社会、より良い国になるのではないだろうか。
加えて事件の後、安倍派(安倍が会長になったのは総理辞任後だが、それまでも事実上、派閥のトップに近い存在であった)を中心とする、自民党の裏金問題も明るみになった。事件との直接的な因果関係がない事は非常に重要だが、この事件(安倍氏の死去)がなかった場合、安倍派を中心とする自民党の負の面が明らかにされる事はあったのだろうか。という事は重く考えなければならない。犯行も、裏金も悪いという事だ。もちろん人の命、特に政治家の命を直接奪った前者のほうがはるかに罪深い。「特に政治家」としたのは、政治家の命が一般人の命よりも重いという事ではなく、政治を歪める危険がある事による。しかしその政治がもともとゆがんでおり、それが隠されていたのだ。これを「重く受け止めなくて良い」あるいは「事件を否定するために問題視しない事にしよう」と言われて納得する事も、事件と同様、民主主義の危機につながる。
この事件について「も」、忘れない事が何より大切だと思う。忘れれば同じような事が繰り返される。政治の質も向上しない。
最後の最後に、筆者の関心事に結び付けて、あえて次の事も言いたい。良からぬ団体が特定の政党と結び付く事は、それでも時に起こってしまうだろう。非常に危険なのは政権交代がない事だ。政権交代がなければ、この良からぬ「連合」が、いつでも権力を握り、それを監視する事が難しくなるからだ(※)。そうなるとその犠牲となる人々は、ただでさえ苦しいのに、その声は政治に届かず、強い疎外感にも襲われ続ける事になる。それは悲しすぎる。
※ 政権交代があれば解決するというわけではないが、政権交代が定着すれば、一つの政党、少数の政治家に権力、そしてこういう団体が集まる事はない、抑制が効く。
