1-20期待の星、第3極の新党の問題点1.政権交代論

社公共は第3極にはなれなかった?

社民党、公明党も、かつて第3極を自称していたことがある(公明党は一時的に第3極になるとしていた)。これらの既成政党には、すでに見た、新党特有の問題はない。これらが第3極を担うということは考えられなかったのだろうか。

公明党は五十五年体制下には、社会党か自民党か、迷っていた時期もある。しかし徐々に自民党に寄り、遅くともその終結当時には、明確に自民党寄りになっていたと言える。ただ、自民党の中でも小沢一郎らに近かったため、非自民・非共産連立政権、そして新進党に参加したのであった。野党に転落し、新進党として政権を奪取することも難しいと分かった時、公明党の系譜は、自民党系の、権力を握る側、つまり残留派につくことを決めたのだと言える。1998年の参院選で自民党が大敗すると、中立を建前としていた公明党の系譜は揺れたように見えた(首相指名選挙の参議院における決選投票で、菅民主党代表に投じた)。しかし、民主党が政権を奪取するようには見えなかったこと、そして、キャスティングボートを握ったことで、より有利に自民党と組めるようになったことから、路線を変更することはなかった。

公明党よりも、社民党、共産党の方が、第3極的であった。それは2000年前後、自民党と民主党が、行政改革を競うような第1、2党になり、社会(民主)主義政党が、第3党以下にしか存在しないような光景となったからだ。しかし、社会民主主義、ましてや社会主義政党を求める有権者は少なかった。社共両党の非現実的な(後の維新の会やみんなの党とは異なる)、頑固さが敬遠され、さらに、社民党と北朝鮮の関係が明るみに出たことなども、災いした。だが何より、「自民党か民主党か」という、2大政党制への期待が膨らんだことで、第3党以下(自民党と選挙協力をしている公明党を除く、第4党以下)が埋没したのである。

しかし、似たような方向の改革を競う2大政党というのは、差異が不明瞭になる。このことによる民主党の限界が分かっていた小沢一郎によって、民主党は左に大きく舵を切った。欧米の政党制の基本とも言える、新自由主義的保守対社会民主主義に、つまり自社対立の本来の理想形とも言えるものに、日本はたどり着いたのである。

そうなれば、社共両党は、民主党の陣営に入るのが自然だ。共産党については時間がかかったが、実際に、そのようになった。ただし、民主党の左旋回に比べ、自民党のばらまき型保守から、新自由主義的保守への変化は中途半端であった。だから、それを補完する第3極が表れたのである。

五十五年体制においては、社会党がかなり左であったため、穏健な社会民主主義政党も、中道勢力として第3極になり得た。しかし、保守系議員も含む民主党は、社民、共産両党よりは、ある程度右であった。このように第2党が中道(付近)にあると、(他の)中道的な政党は存在し難い(今も、民進党系―国民民主党―以外には存在しにくいと言える)。

1党優位でなければ、中道的な政党は、自民、社会両党に自らの政策の実現について協力を求め、応じた方につくということができたであろう。しかし1党優位制だと、権力(自民党)に寄って政策の一部だけでも実現をお願いするか、社会党と共に権力を倒すか、ということになってしまう。このため、キャスティングボートを握れそうになかった第3極(中道の勢力)は、自らの政策をうまく実現させられない、中途半端な勢力にとどまったのである。