日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
第3極(⑩)~予算案、増税案に対する第3極の議員の賛否~

第3極(⑩)~予算案、増税案に対する第3極の議員の賛否~

予算案、増税案に対する賛否について、第2読会に進むことの是非を問う、記名投票の結果が残されている(『帝国議会衆議院議事速記録』22第24回帝国議会90~93頁)。それを見ていく(各会派の賛否、棄権の数は衆議院の議事録、『議会制度百年史』院内会派編衆議院の部等を基に数えたもので、当時の報道等とは、わずかながら数に差異がある)。酒造税法中改正法律案等の酒税関係の法案と、砂糖消費税法中改正法律案は、第2読会を開くべきか、一括で採決が行われた。その結果は賛成が222、反対が128であった。大同倶楽部では、賛成が39、反対が14、票を投じていない議員が7名であった。大同倶楽部の久保伊一郎は酒増税についての修正を試みたが、挫折した(同91~92頁)。猶興会は賛成が3(問責決議案反対の3名と同じ奥田義人、尾崎行雄、望月小太郎)、反対が30、投票していない議員が3名であった(離脱者について補足すると、立憲政友会に移った板倉中と中西新作が当然ながら賛成、無所属となった小林仲次が反対に投じた。小林は進歩党出身で、同党を離党して同志会を結成、その直後の第5回総選挙では立候補しておらず、第9回総選挙で議員に復帰し、有志会から同志研究会系に参加、後に立憲同志会)。立憲政友会が賛成、憲政本党が反対でまとまっていたのは、政党として当然のことだが、前者では江間俊一が反対し、後者からは乾奈良吉(無名倶楽部、同攻会出身)と北畠具雄という2名の賛成者が出て、江間は自ら離党(1908年2月5日付東京朝日新聞。『議会制度百年史』院内会派編衆議院の部では2月5日とされているが、2月4日に選挙区の事情で離党したと報じている)、憲政本党の2名は除名となった(以後総選挙で当選していない)。立憲政友会入りしていない大同倶楽部の離脱者を見ると、川真田徳三郎、板東勘五郎が賛成、岩本晴之が反対をしている。彼らは第10回総選挙後に立憲政友会入りし、川真田は後に新政会へ)。なお、かつて河野広中と共に自由党を離党して東北同盟会を結成し、上に見たように立憲政友会に買収されたと報じられた愛沢寧堅は、賛成に投じている。愛沢は第10回総選挙で落選し、以後当選していない。

石油消費税の増税案は、賛成182、反対158であった。こちらは票を投じた者に限定すれば、大同倶楽部は反対でまとまった。賛成は立憲政友会の他、憲政本党の乾と北畠、猶興会の奥田、望月、無所属の一部であった。2月13日に、憲政本党の大石正巳と猶興会の島田三郎の主張に基づく、予算案を政府に返附するという動議も否決された。こちらも記名投票の結果が残されており、猶興会の尾崎と望月が反対をしていることが分かる(『帝国議会衆議院議事速記録』22第24回帝国議会126~127頁)。

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