1-27この国を守るために、左派も左翼も必要な理由1.政権交代論

右派も左派も必要

右派と左派、右翼と左翼という言葉は、冷戦が終結した今でも使われる。もうそんな時代ではないという声もよく聞くが、日々の仕事、暮らしに忙しい有権者が、政党の性質を判断する基準として利用するのに、なお有効だと、筆者は考えている。何をもって右、左とするかは、国や時代によって違うのだが、多くの人々が、だいたいのイメージを持っており、それにそのまま当てはまらない場合、あるいは不明瞭な点がある場合に、「我々は左派だが、~については、皆が思っている左派とは違う政策がある」などと主張すれば、分かりやすい。具体的かつおおざっぱには、右派は伝統重視、競争重視、軍備充実重視、左派は伝統からの自由重視、平等重視、軍備充実よりも対話重視というところだろう。

しかし右と左の、不毛なののしり合いにはうんざりする。それぞれを求める人がいるから、双方が存在するのである。片方が全てにおいて絶対に正しいというわけではないから、双方が存在するのである。右派による左派の、左派による右派の、健全なチェックが必要なのだ。自分が絶対に正しいと考えているような人を、筆者は信じることが出来ない。信念を持っているのは良いことだが、「自分は間違えているかもしれない」という慎重さは必要ではないだろうか。それも持っていれば、他人を頭ごなしに否定せずにすむはずだ。

極端な右翼、左翼が要るかと言えば、筆者は不要だと考えているが、極端な主張が、時に差異が無くなりかける穏健な左派と右派を補ったり、逆にその極端すぎない主張に、説得力を持たせたりすることもあるように思われる。右翼や左翼に乗せられて、日本人の多くが感情的になったり、過激になったりすることもないだろうと思う。しかし、民主主義は絶対ではない。簡単に死んでしまうこともあるのだから、警戒する必要はある。

第2次世界大戦、それに至るまでの経緯について、筆者は連合国軍が善で日本が悪であったとは全く考えていない。欧米諸国が過去にどれだけの侵略、略奪をしたか、日本が、(今も同様だが)どれだけ危険な場所に位置していたか、これを考えずに今の常識で悪いことをしたと考えるのは、愚の骨頂である。しかしどんな理由があれ、日本人には中国に対するおごりがあり(中韓に対するおごりも現在と同様、仕方のない面はあるが)、非常に多くの国民を死なせる、ぼろ負けの戦争をした(戦争の中で、日本人による犯罪が少なからずあったこと自体は、他国も同様であったとは言え、否定できない)。結果だけを見れば、これは民主党政権の失敗と比べ、はかり知れないほどの大きな失敗である。これを単に美談とする、あるいは少なくとも軽視する人々は、社会主義者と変わらないくらい、危険である。原爆投下など、アメリカの戦争犯罪を問題と考えない人々は、平和主義者、(韓国のように、いつまでも恨む必要はないが)、非現実的平和主義者と変わらないくらい、「お人好し」である。国を間違った方向に向かわせる。

アメリカに関して言えば、日本が国防について、アメリカを頼り過ぎているという問題は、左右双方が突き付けられている。アメリカと組んでさえいれば、アメリカにさえ本気で嫌われなければ安心という時代ではなくなっている一方、日本の平和はアメリカあってのものであるという面は、むしろ大きくなっているとさえ言えそうだ。

ともかく、一方が完全に正しいなどということは、まず考えるべきではない。それくらいでちょうど良いのだ。筆者にとっては、世界の強国と渡り合えるだけの、軍事力、諜報力の強化が理想である。しかし、「そうじゃない。日本は自衛隊も廃止して、平和国家として生きるんだ!」という、非現実的な声が起こっても仕方がないくらいの、敗戦をしたと考えている。そして何より、そのような声が無くなったら、アメリカの言いなりに、そして虚栄心を満たすために、軍事力強化にまい進する国になるだろう。このような「うるさい」声がある中で、法案が通っている現状は、現実的な線なのかも知れないとすら、思われる。

やっかいなのは、国防の問題も、1党優位体制と不可分になほどに融合してしまっていることだ。親米&親中、軍拡&専守防衛の不明瞭な自民党対、理想主義・反自民主義的野党という構図である(もちろん、自民党は中国と対決しろという意味ではない)。

右派政党は日米一体化で良い。アメリカの力が必要な状況だ。問題は左である。この右の車輪に対抗する、有事に国を守れる政策が必要だ。左右の車輪が対等になってこそ、日本は足元を見られることもなく、バランスよく前に進める。左の車輪は対米自立・中立平和であろう(やや親中でも良い)。筆者などに言われなくても、これこそ左派政党の主張なのだろうが、そのためには軍事力の強化は避けられない。

核武装も考えるべきだと言うと、過激だと言われる(最近ではそうでもないが)。しかし、核兵器に否定的でありながら、国連で核廃絶に反対せざるを得ない矛盾こそ、問題だ。世界中の国々を前に、日本の性質が悪い方に出ている例だ。議論を避けて、なんとなくでお茶を濁し、いきあたりばったりであるという、性質だ。唯一の被爆国だから、再びそれを落とされる危険があっても、核兵器を断固否定するのか、唯一の被爆国だからこそ、もう決してそれを落とされないよう、抑止力としての核兵器を自ら持つのか、議論すべきだ。どちらかが正しいと言うことではなくて、議論する中で、どちらかにせざるを得ないのか、他の方法があるのか、惰性でなく、間を採ることができるのか、答えを見つけるべきなのだ。「核兵器は持ってないけど持ってるよ」というのも、間違いではないだろうが(アメリカの核の傘に入っているという状況を一歩進めて、核兵器の共有という方法もある)、日本が「なんとなく」でいては、機能するものではない。

なお、政権交代の戦略も同じである。野党がとにかく合流するのが良いのか、差異のある政党の連合軍ということでいくのか、議論が必要なのに、いつも何となくで進められてしまう。議論を避けて、なんでも上辺を取り繕うことを重視してきたから、この国は停滞しているのだ。