1-33民進党の分裂に就いて1.政権交代論

民進党の弱体化と分裂への道

2017年10月、民進党はボロボロであった。小池新党に議員を切り崩され、総選挙では大阪に続き東京でも壊滅しそうな状況であったし(すでに小選挙区で当選者をほとんど出せなくなっていた東京において、自民対維新が定着した大阪のように、自民対小池が定着する可能性があった)、反安倍自民票を得て、多少なりとも議席を増やすはずが、減らしそうな状況になった。そうかと言って、希望の党が過半数を上回ることはあり得なかった(候補者も小選挙区289区中198区のみ、全部で過半数233を2上回るに過ぎない235名と、政権交代を狙う政党としては少なすぎた)。そのまま行けば、自民党に維新、小池、公明がぶら下がる形になっていったと思われる。希望の党は、自民党にとって代わることができないのなら、自民党に自らを高く売ろうというスタンスであったと考えられるからだ(自民党が与党第1党であり続けた場合、小池東京都知事が、自民党を敵に回しづらい状況となる一方、自民党も首都東京の知事と議会の第1党が敵であることは、当然避けるに越したことはなかった)。同党の人気が、少なくともしばらくは、それを許すように見えた。それでは、普通は国民にフラストレーションがたまっていくものだ。しかし、左派政党の少数の明確な支持者を除けば、右も左も、改革派もそうでない人も、多くは敵役の左派政党の凋落を楽しみつつ、かつての自民党内の派閥間(有力者間)の争いのごとく、この枠組みにおけるパワーゲームについて、支持政党に感情移入したりしながら、楽しむことができそうな状況であった。なぜそんなことになったのだろうか。

1つには、民主党政権時代の総括の不足があった。これにより民進党が、議席を増やすことはあっても、政権交代が可能なほどに伸びるということは、不可能に近かった。どのような背景があったとしても、民主党政権が醜態をさらしたことは間違いない。その記憶は簡単には消えない。議席増は許しても、政権獲得となると、躊躇する有権者が多数であったと言える。

次に蓮舫代表の二重国籍の問題であった。これは、一部の右翼的な人々以外にとっては、二重国籍そのものよりも、説明が二転三転したこと、誠意が感じられるような説明ではなかったことが問題であった。政権を任せようと思われるような対応ではなかった。

しかし、これら以上に問題であったのは、右往左往する所属議員達であった。自分達が選んだ代表を、言うべきことは言いながらも、一丸となって支えるという姿勢が見られないことは、民主党政権時代の内部対立を思い出させた。国民の多くに、何も変わっていないと思われたのである。

蓮舫が、民主党政権の公約違反、民主党の退潮に責任があり、かつ自分のグループのトップである野田佳彦を幹事長としたことについては、心情的には理解できても、センスのない人事であったと言わざるを得ない。しかしこのことについては、菅直人~野田佳彦路線が正しかったのか、その前の、政権交代前後の小沢一郎~鳩山由紀夫路線が正しかったのか、総括がなされていないことこそが、問題であった。総括をせずに反発した議員達に、同情はできない(人事よりも、しっかりとした総括がなされていなかったことに、自らの力不足を恥じながら、反発していたのなら、まだ分かる)。もちろん蓮舫も、代表と幹事長を同じグループの議員にするのなら、代表選の時に示すか(人事を事前に明かせば票を失うが)、新代表の方針について、まずは党内で了解を求め、それを進めていくために、最も有効な人事なのだということを、説明しなければならなかった。

民主党の公約違反は良くなかったが、政権に就かなければ経験を積めないことも含め、その背景には、これまで見た通り、1党優位性という病がある。民主党だけを責めることはできない。民進党系が自ら総括をすることも絶対に必要だが、今、転換する前と後の民主党の路線の、どちらを採ることが正しいと考えるのか、あるいはどちらとも異なる路線を採るべきなのか、議論の末に結論を出すということが、最も重要である。転換後の民主党というのは、時期的にはほとんど、2010年の参院選で敗北した後の民主党である。参院選の敗北でねじれ国会となったことにより、民主党の政策は、自民党か公明党の了解を得なければ実現しない状態がが続いた。このことと経験不足が重なり、民主党政権の政策は、自民党政権のそれと、あまり変わらなくなった。だから、与党経験のない中で欲張りすぎた面もある、転換前の政策の、取捨選択と必要なリニューアルをするのが良いと考える。

話が少しそれたが、ただでさえ1党優位の状況下、「一強」の安倍総理が、消費税増税について、「賛成の反対なのだ」と、バカボンのパパのセリフを言っているかのような姿勢でやって来ているし、そもそも積極財政志向なのか、消極財政志向なのかもよく分からない状態である。絶対にどちらか一方だけでなければならないわけではないが、安倍内閣はスローガンを用いて仕事をしていることをアピールする割に、基本的な方向性が見えづらい。批判されないように、見えにくくしていると言える。それに対して、民主党→民進党だけが方針を定めること自体、選挙では非常に不利なことであった。民主党政権の路線転換の後では、金融緩和で景気の回復を印象付けた安倍総理が、国民も迷っている消費税の増税に関して、責められることはなかった。もちろんそれでも、民進党が理念、政策をビシッと打ち出さなかったことは確かである。社会党時代と同じく、しかしずっと地味に、弱々しく、左派と右派の綱引きでエネルギーを消費していった面も、あった。

そんな状況下、小池新党、希望の党が誕生したのである。希望の党は、実態は何もないような政党であったが、公約や小池の従来の主張を見れば、日本維新の会と近い、新自由主義的な政党であった。つまり民進党の敵である(しかし民進党も、民主党と、新自由主義的な維新の党が合流した政党であり、新自由主義的な議員がいた・・・)。日本維新の会に勢いがなくなっていたところ、民進党は再び、自民党だけではなく、野党にも強敵がいる環境に置かれた。しかも人気、勢いのある敵であり、民進党が第3党に転落する可能性も、当初こそ低かったものの、上がっていった(総選挙の3ヶ月半ほど前の都議選の、都民ファースト55、民進党5という結果は衝撃的であった)。これでは動揺しないはずがない。しかも小池新党は、民進党を切り崩していった。民進党には、実際には様々な考えを持つ議員達がいたから、政策を無視した切崩しであったとまでは言えないが、小池側に移った議員達は、左傾化する民主党→民進党の中で十分に戦うことなく、小池人気の沸騰を見てから声を上げたという感が否めなかった。

希望の党が結成される前、民進党について筆者は、つらい経験を耐える中で、少しずつ問題点が改善されるのではないかと、期待をしていた。それは政権交代の定着を焦っていたからで、今は反省しているところもある。

あせっているのに「少しずつ」というのは変なのだが、現状の一定の改善により、自民党に対する失望が大きくなった際の、受け皿にはなり得るだろうと、浅はかにも、大事なことから目を背けていたのだ。今は「急がば回れ」で、結局民進党の分裂は良かったと思っている。分裂そのものが良かったというよりも、リセットの機会を、残念ながら外からだが、得られたことが良かったと思う。もちろん、それを活かせればの話だが。

ここで分裂の経緯を確認しておく。当初、小池は直接国政に乗り出す意思を示さず、腹心で自民党を離党した若狭勝と、民進党を離党した細野豪志が、新党結成に動いていた。これに、やはり民進党を離党した長島昭久、日本維新の会を除名された渡辺喜美などが参加すると見られていた。このような「半小池新党」が、東京都、その周辺である程度躍進し、民進党は議席を多少増やすものの、それらの都県では苦戦すると見られたのである。

ところが、民進党からポロポロと、小池新党に移りそうな離党者が出た。首都圏で立候補しようとしていた候補者にとって、小池新党は脅威であり、民進党から小池新党に移った方が有利だと見られたからだと言える。都議選前の、民進党の候補者の多くが都民ファーストに移り、民進党が大きく議席を減らした光景が、再現される懸念が生じた。衆院選は、東京都だけが舞台の都議選とは違っていても、同様だという印象を少し持たれるだけでも、離党者が少し出るだけでも、持ちこたえるだけの力が、当時の民進党にはなかったと考えられる。

衆議院の解散が決定的になると、事態はついに、小池都知事が自ら新党、希望の党の結成を宣言するに至った。日本のこころの党首であった中山恭子までもが、自党に未来がないと、参加を決めた。中山や、内閣府の副大臣でありながら、自民党所属としては対立候補の江田憲司(民進党)に勝てそうになかった福田峰之も参加した。これは希望の党の、「第2民進党」というイメージを薄めるために有効であった。何しろ、結成時の議員13名中、この2名と若狭勝を除く10名までもが、民主党、民進党出身であったのだ。

小池が前面に出たことで、民進党は、行われることが確実になった総選挙において、より不利になった。そしてもう1つ大きな問題があった。日本維新の会の衰退によって、大阪府以外ではようやく、自民・公明両党対野党4党(民進、自由、社民、共産)という構図になったところ、双方とは別陣営の、しかも人気のある政党が誕生したのである。非自民・安倍内閣不支持の票が、大きく2陣営に分散し、自民党を利することが明確な状況となったのである。

このような事態を前に、社民、自由両党との統一会派結成に動いていた前原民進党代表は、民進党の希望の党への合流を決断した。状況を見ればしかたがないと思いつつも、1998年の1月から約20年ずっと第2党(一時は第1党)であった政党が、瞬く間に無くなるのは、しかも、結成されたばかりの小党に合流するのは、筆者にとってショックであった。

「しかたがない」と思ったのは、第一には、民進党と希望の党が並び立つような状況になれば、政権交代が遠のくと思ったからだ。住み分けも可能ではあったが、希望の党は強硬であり、民進党が首都圏で全面的に候補者を降ろすというのは、しかも理念、政策が異なる(何より方向が異なる)政党に譲って、というのは、全国政党としての死に近い行為であった。

しかし希望の党には、かなりの勢いがあった。合流すれば政権交代も可能かもしれないと、筆者は一瞬、根拠もなく気分が高まってしまった。政権交代の定着を願うあまり、目が曇っていたのだと思う。希望の党を民進党の色に染めようという前原らの考え方についても、どのような点で「実を取る」のか、定かではなかったにもかかわらず、次善の策だと思ってしまった。合意文書を交わしていないどころか、口約束すらないらしいことなど、交渉のしかたに首をかしげたが、党崩壊の大ピンチと、政権交代の大チャンスが一度に訪れたこと、しかも短期間での決断が求められたことから、止むを得なにと思ってしまった。

しかし、厳しい国際環境の中、政権を目指す政党であれば、そのような言い訳は許されない。そもそも、希望の党への合流自体が、政党という存在への信頼を、(さらに)失わせる行為であった。本当は、自らの理念を堂々と掲げ、負けてもその結果を受け入れる覚悟を示すのが、政党の正しい道だと思うが(路線変更はその後であるべきだ)、筆者はゆがんでいて、有権者が左派を消し去る決断を、しかも自民党を勝たせつつしてしまったら、優位の自民党、劣位の「第2自民党」だけしか、ほとんどなくなってしまうと、あせってしまった。総選挙の結果を見れば分かるように、日本の有権者は、そんな選択はしなかったのだが。

希望の党サイドが上から目線で、第2党の議員達の選別を宣言したことも、ショックであった。同時に、そんなことをしていては、結局野党がつぶし合う状況は変わらないと、悲嘆にくれた。そんな時、立憲民主党が誕生したのだが、同党について述べる前に、もう少し、希望の党と民進党の合流について述べておきたい。

民進党の前原代表は、最左翼の共産党との共闘には否定的であった。保守系、共産党との共闘に反対の民進党離党者から成り立っていた希望の党は、共産党とは絶対に、共闘できなかった。その希望の党が誕生してしまえば、民進、自由、社民、共産の枠組みが民進、自由、社民、希望となっても、大きくは変わらない状況であった。共産党との選挙協力によって得られる票が離れても、人気のある希望の党との協力で得られる票があった。どちらが有利かと言えば、希望の党の人気が地方にあまり及んでいなかったとしても、やはり、勢いのあった希望の党と組んだ方が有利であったと、筆者は思う。真の左派ではない、非自民の有権者は、希望の党が自民党に勝ちそうであれば、政権交代の実現を優先させ、(多少嫌でも、)希望の党に入れていたと考えられる。それにしても、前門の自公両党、後門の日本維新の会、希望の党または共産党という状況下にあった民主党→民進党の苦しさは、察するに余りある。以上から、民進党にとって、共産党を捨てて希望の党を取ることは、理念、政策、そして人情(それまでの協力関係の破棄)を別とすれば、良い策であった(右派主導になったと捉えれば、理念、政策についても、犠牲になってはいないと見ることもできた)。

清新さの演出と、小池優位の維持のためだというのは分かるが、三権の長を経験した議員を、それだけで排除するのは、おかしなことであった(総理大臣、議長経験者が引退するべきだということは、小池も、細野も、それまで言っていなかったと記憶している)。一方で、政策の一致する議員を個々に受け入れるという主張は当然である。民進党が合流することを嫌って、希望の党の支持をやめたという、有権者もいたであろう。民進党という、金も組織もある大政党との合流は、メリットも大きかったが、もちろんデメリットもあった。しかし、元々民進党を切り崩したのは、小池側である。相手を選んで切り崩したのかも知れないが、それで抱きつかれて動揺したのだとしたら、みっともない話だ。すでに述べたが(「希望の党結成の光と影」参照)、悲壮感をたっぷりと出して、選別せざるを得ないことを述べれば、こんなことにはならなかったと思う(実際につらくないのであればただの嘘になるが、戦術としては、その方が良かった)。

さて、立憲民主党の誕生である。枝野幸男は民進党の代表代行であったのに、前原代表の希望の党への合流に反対しなかったという、批判を耳にする。しかしそれは違うと、筆者は思う。意見は言いながらも、代表の決断に従ったのであって、これこそが、民主党→民進党ができないでいたことだ。確かにもっと民主的に決めるべき問題であったし、合流の交渉がどの程度まとまっているのか、明確にする必要があった。しかし、前原が主張したことに反発して追及をしたとしても、民進党内がますます混乱し、それが報じられるだけだ。良い策ではなかったとしても、またもう少しだけ、前原を追求したとしても、認めるのが無難であったのだ。どうしてもついて行けないのなら、離党するしかなく、排除問題が浮上した後ではあるが、実際に枝野は離党した。

もう1つ、立憲民主党結成に関する批判として、当初は希望の党に行こうと思ったくせに、自身が排除されそうになると急に批判的になった議員、候補者が少なからずいたというものがある。これはその通りだと思う。つまり立憲民主党の弱点である。立憲民主党には、理念、政策の一致によって参加したのではない議員(結成時、衆議院はすでに解散されていたから、正確には前議員)、候補者もいたと考えられる。しかし、政治はきれいごとではない。立憲民主党が民進党左派というイメージ、民進党系が大部分を占めた希望の党、その後継の国民民主党が、民進党右派だというイメージができたし、実際に、それぞれ左派、右派が多数派ではあるだろう。新たな入党者が個々に、立憲民主党の理念に形だけでも賛同して加わる分には、同党が今更ガタガタすることはないはずだ。希望の党と民進党残留派が合流した国民民主党については、なお、立憲民主党に移るべき議員が含まれている。不本意ながら、党の決定に従って希望の党に入った議員、民進党にとりあえず残留した、参議院議員達がまだいるのだ。そのような議員達が離党した後、残部がまとまるかと言えば、政策的にはまとまっても、支持率の低さを見て逃げ出す議員が出てくるかもしれない。同党については改めて述べる。

最後に付け加えたい。2009年より前の政権交代は、国民が手の届かないところで起こる、分裂、再編などの政局によって起こっていた(それですら数は少なかったわけだが)。そして社会党~民主党の関わる再編によって、リベラル(筆者はそのような呼び方はしないが)の勢力も、選挙がなくても増えたり減ったりしている。「リベラル」な議員の数は変わっていないはずなのに。これも全否定されるべきことではないが、おかしな話ではある。国会の勢力を決めるのは、基本的には有権者である。社会党が左派と右派に割れたのは分かりやすかったが、社民党が民主党と残留派に、民進党が立憲民主党や希望の党に割れたのは、明確に左派と右派に分かれたのではなく、有権者が選挙で国会の勢力を決めることを、阻んでいる面が小さくはなかった。その中でも2017年には、有権者が一応の審判を下せたのだと言えるから、不幸中の幸いなのだが、繰り返すべきことではない。