1.政権交代論

オーストラリア

オーストラリアは当初、保守的な自由貿易派、自由主義的な保護貿易派という、やや特殊な2つの勢力と労働党の、鼎立状態であった。しかし当初やや劣位にあった労働党の伸張に対抗して、自由貿易派と保護貿易派が合流して自由党を結成したことで、同党と社会民主主義的な労働党による、2大政党制となった。第1次世界大戦中、労働党内閣は徴兵制を採用しようとしたが、党内の反発が大きく挫折、首相は離党して国民労働党を結成した。この国民労働党と自由党が合流し、国民党を結成、首相が交代しないまま、政権党は労働党→国民労働党→国民党へと変わった。しかし、都市型政党への変化を危惧した地方の勢力が同党を割って、新たな保守政党、地方党を結成した。同党の協力がなければ政権を維持できなかった国民党は、同党の圧力を受けて首相を代えた。3党制となったものの、基本的には保守派・自由派と、労働党の2つの陣営に分かれた競争、政権交代のある政治が現在まで続いている。労働党内閣期の1931年、同党右派が離党して国民党と合流、統一オーストラリア党を結成し、総選挙の結果、政権を得た(党首、首相は労働党離党者)。統一オースラリア党の単独政権から地方党との連立となり、地方党が首相を出したこともあった。統一オーストラリア党は労働党内閣期の1944年、自由党に刷新され、地方党も1982年、国民党に改称した。1957年に右派の離党者達が民主労働党を結成したことで、労働党の野党暮らしが23年間と長引いたものの、政権交代のある政治が終わることはなかった。1970年代には、オーストラリア民主党(ベトナム戦争に反対して自由党を離れた中道左派のオーストラリア党―労働党に協力し、政権交代の実現を助けた―が、同じ自由党分派の新自由運動と合流して結成)が議席を得るようになったが、2004年以降、議席を獲得できなくなった。クイーンズランド州で自由党と国民党がクイーンズランド自由国民党を結成したが、保守陣営ないぶのことである。

2019年の総選挙はほぼ現状維持となり、自由党政権が維持された(緑の党、国民党から分裂してできた右翼の、カッターのオーストラリア党が2010年代に入ってわずかに議席を得るようになった)。