1.政権交代論

民主党→民進党の保守系

新進党の保守系議員が次々と自民党に移ったことを見たが、2019年、驚くべきことがあった(驚かされたという意味だと言いたいが、「驚かなければならないこと」という意味である・・・)。民主党内閣で閣僚を務め、野党に戻ってからも民主党幹事長、民進党幹事長を務めた細野豪志が、自民党入りを公然と模索し始めたのだ。

野党に戻った民主党→民進党から、自民党に移った議員はすでに多くいる。次の通りだ。

平野達男:自由党が民主党に合流したことで、民主党議員となり、菅内閣、野田内閣で防災担当大臣、野田内閣復興大臣。2013年の参院選では下野した民主党を離れて無所属で当選、新党改革と会派を組み、新党改革解散後、自民党入りして二階派に所属。

川上義博:郵政民営化に反対して自民党を離党し、民主党へ移り、野田内閣で総理補佐官。離党し、二階派入りしたものの、自民党復党は果たせていない。郵政解散で落選し、2007年に民主党候補として参院選に当選するも、民主党下野後の2013年に落選、以後、国会議員には戻れていない。

山口壮:かつて妻の親族が自民党の議員であったが、新進党から出馬して落選した後、無所属で初当選、一度の落選を経て民主党入りし、野田内閣で外務副大臣。民主党が野党に戻ると、限界を感じたとして離党、二階派入りしてから自民党入り。

松本剛明:防衛庁長官を務めた松本十郎の息子。松本十郎が、自民党から新生党に移った加藤六月派であった(その時には落選しており、そのまま引退)ためか、自民党ではなく無所属で立候補し、落選、その後民主党から初当選し、菅内閣外務大臣。野党に戻った海江田代表時代、内閣不信任案の採決を棄権、岡田代表時代、共産党との共闘に反対して離党、自民党に移り、麻生派に所属。

鈴木貴子:汚職の疑惑のために自民党を離れ、実刑判決を受けた鈴木宗男の娘。鈴木宗男が新党大地を結成すると、同党から立候補し、落選するも繰り上げ当選し、2014年の総選挙で民主党から立候補して当選するも、共産党との共闘に反対して離党、自民党入りし、竹下派に所属している。

藤末健三:民進党の左傾化を批判し離党、自民党と会派を結成。

鷲尾英一郎:民進党が希望の党への合流を決めて分裂すると、無所属として総選挙に臨み、当選後離党、2019年に自民党入り。

長島昭久:民進党が希望の党への合流を決める前に希望の党に移り、同党が分党される際、国民党(旧民進党系)にも新たな希望の党(日本のこころ・小池系)にも参加せず、会派として未来日本を結成したものの、長島の他に1人しか参加者を得られなかった。2019年に自民党入りした。

 

民主党系を離れた議員、離れようとする議員などの、自民党入りの仲介役に、二階派がなっているというケースが目立つ(細野の場合もそうである)。同派会長の二階俊博は、かつて自民党の竹下派に属し、小沢一郎と共に同派を離脱、さらに自民党を離党し、新生党、新進党、自由党と歩み、自由党の小沢代表が、連立(自自公連立)離脱に追い込まれていく中で、小沢から離れ、自民党の戦略に乗って自由党を割り、保守党を結成して連立に留まった。保守党は2000年の総選挙、2001年の参院選に続いて、2003年の総選挙でも惨敗し、自民党に合流して二階派となった。このような経緯から、二階派はごく小さな派閥であったが、小泉チルドレンと呼ばれる、2005年の郵政解散で初当選した議員達の一部を、批判を受けながらも吸収した。しかしそれでも規模はとても小さく、2009年の、自民党が惨敗した総選挙(民主党への政権交代が実現した総選挙)で壊滅した。二階と2人の参院議員のみとなった二階派は、中曽根派の本流を汲む伊吹派に入り、2012年に伊吹文明が衆議院議長となると、会長に就任した(つまり伊吹派が二階派になった)。自民党を飛び出した改革派とは言っても、二階はかつて自民党の中心的勢力に属した、数の力を重視する旧態依然たる政治家である。小泉改革には協力したが、公共事業のバラマキを志向するなど、どう見ても守旧派である。そのような出自である上、野党や小党で苦労したのだから、自派の議員を熱心に増やしていることは、ごく自然なことである。

自民党の政治を批判していた民主党系の議員が、少数ではあっても、自民党の中で派閥の拡大によって力を維持、拡大しようとする二階派(同様の麻生派)の数を増やす手伝いをしていることには、憤りを感じざるを得ない。自民党に入りたいのだとしても、せめてそのような派閥の力を借りず、正面から自民党の門をたたいたらどうかと思う。

これだけではない。民主党は与党となる前にも、個々の離党(自民党に移った鳩山邦夫など)だけではなく、二度の集団離党を経験している。一度目は2002年の年末、衆議院議員5名が離党、自民と連立を組んでいた保守党と合流し、保守新党を結成、与党となった。二度目は、2007年の参院選での大勝によって、同院の第1党となった民主党を離党した参院議員2名が、2008年8月、改革クラブを結成した(本当は参院議員3名が離党するはずであったが、参院選で自民党を下すなど好調であった民主党を離党しようとする議員は少なかった)。自民党も2009年に野党に転落した後、離党者を続けて出している。しかし民主党を離党して保守新党、改革クラブの結成に参加した議員達に特徴的なのは、明確に与党自民党に寄っただけではなく、自民党側の戦略の下、民主党を割っていると見られることだ。

かつて、日本社会党の右派は同党を離党し、民主社会党を結成した。この民社党は不振に苦しんだが、きちんとした支持基盤、組織を持ち、自民党に協力することはあっても、自民党の別動隊ではなかった。民社党系は、一部の議員を除けば、新生党が野党に転落しても裏切ることなく、新進党の結成に参加した。その解党後も自民党にすり寄ることなく、民主党に合流した。民主党の右派といっても、そのような社会党右派の系譜ではなく、保守系に、離党者は極端に偏っている。民主党結成前に政党に所属していなかった離党者を見ても、保守系とし得ない人物はいないと言って良いだろう。

もちろん、野党暮らしが長くなっても与党自民党にすり寄らない保守系議員も多くいる。しかし、立憲民主党が、自民党にいけなかった保守系、離党したことなどで自民党に居場所を失った保守系と合流するような再編を進めれば、党が不振の時に、少なくともポロポロとは、一定数の離党者が出続けるのことになるだろう。確かに、共産党との共闘に反発する気持ちは分かる。離党者が入党した時から、民主党が共産党と共闘していたわけではないからだ。しかし党の決定を覆せなかったのなら、従うしかない。どうしてもいやなら引退すればよい。安全保障についても同様だ。彼らの志は、自民党の候補者達が継いでくれるはずである。有権者は選挙において、自民党側の候補か民主党系側の候補を選ぶことが出来るのだから、野党第1党から、長年対立していた与党第1党に移って政治不信を増大させる行動は、厳に慎むべきである。彼らがした、民主政治の根幹を破壊するような行為の方が、彼らが問題としていることよりも(問題としていることとは違い)、はるかに罪深い。支持率が低い政党、逆境にある政党を離党する議員のことを、信用してはいけないとも、強く思う。人は逆境にあるときこそ試されているのだから、どんな理由はあっても、そこから権力へと逃亡する人間は、政治を託すに値しない。