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印象に残っている2つの都議選

東京都議会議員選挙が、あとひと月と迫っています。都議選は衆院選(総選挙)の前哨戦と言われます。都会中の都会である東京では、傾向の変化が分かりやすく表れ、その後遠くない時期に衆院選が行われる場合、それが都議選と似た結果になるのです。つまり都議選が、衆院選の結果を先取りする形になるのです。

本当は国政と都政は別なのですが、首都であり、財政的に苦しいなどといった、切羽詰まった問題もないので、その区別はどうしてもかすみます。

都会では「変化が分かりやすく表れる」としましたが、都会ではない選挙区も少しありますし、都会の出身ではない人も大勢います。何より、衆議院と違って大選挙区が多いことで、極端な結果になることはありません。日本では中選挙区と呼ばれることも多い大選挙区では、1つの選挙区の当選者が、衆院選(1位しか当選しない小選挙区が中心)のように1人ではありません。複数の候補が当選するので、またそのために、そして政党が目立つ国政選挙ではないために、人物で選ぶ面が大きくなることからも、その時に支持率が高くない政党、小さめの政党の候補にも、チャンスがあります。結果が衆院選(の小選挙区の部分)のような大差になることもありません。

話を戻し、「先取り」の代表的な例を挙げます。1993年の都議選は日本新党の躍進と社会党の凋落を先取りし、2009年の都議選は、民主党の大勝を先取りしました。

当然と言えば当然ですが、都議選と衆院選が全く異なる結果になったこともあります。2017年、前回の都議選・衆院選です。

この都議選では、自民党が惨敗し、公明党と並びました。一方で、わずか数議席(元みんなの党、現維新の音喜多氏ら)でスタートした都民ファースト(小池新党)は、他を引き離す第1党となりました。民進党は、国政の第2党としては信じ難い5議席となりました。

こなった原因はもちろん、小池ブームです。支持率が低かった民進党は、小池都知事に切り崩され、都民ファーストに移る都議会議員が続出していました。

この選挙で注目されるのは公明党です。ずっと自民党と連携してきたのに、小池ブームを見るやいなや、都議会に限り、小池・都民ファに乗り換えました。このことは小池ブームそのものに負けないくらい、結果に影響を与えたと考えられます。いつも強い政党につく

公明党も、組織票という「みやげ」をもらってそれを許すほうも、どうかとは思いますが、ここでの主題ではありません。

さて、同じ2017年に行われた総選挙はどうなったか。小池人気が失速したこと、公明党が自民党から離れなかったことで、自民党は大勝しました。他は軒並み不振(公明党が議席を減らした背景には、自民党支持者の反発もあったのだと想像します)。ただし、小池新党(希望の党)参加者、残留者、そして立憲民主党を結成した枝野氏らに分裂した民進党は、

合計では議席をある程度増やしました。特に立憲民主党は躍進したと言えます。リセットされ、むしろ活気を取り戻したようにも見えます。

小池都知事の排除発言(民進党系の左派や総理経験者を希望の党に入れないという話)による、予想されなかった小池人気の失速によって、結果が大きく変わったのです(話ができ過ぎているような気もしますが)。この2017年の都議選は、忘れられないものとなりました。

もう一つ、私には記憶に残る都議選があります。それは1997年のものです。次の総選挙は2000年でしたから、前哨戦にはなりませんでしたが。

前年の総選挙(定数500)は、自民党が239議席で復調、第2党の新進党は156議席で微減、民主党は52議席で変化なし、というものでした。1993年に非自民連立政権ができたものの、社会党や自民党による自社さ連立ができて、社会党等を除く非自民連立の諸政党は合流して新進党になりました。その新進党が政権を取り戻せなかったわけです。民主党は社会党等から生まれた第3党であり、野党なのかも分からない状況でしたが、都議選の時には野党らしくなってきていました。

そして都議選(定数127)。結果は自民党54、共産党26、公明24、民主党12、社民党1、新進党0というものでした(一部省略)。そう、第2党であり、野党第1党であった新進党は、ゼロだったのです。それまでも、国政の第2党(社会党)があまり強くはなかった都議選ですが、衝撃的な数字でした。民進党の前にも、こんなことがあったのです(ちなみに小池知事は当時、その新進党の衆議院議員でした)。

共産党が都議会第2党というのも驚きですが、共産党はいつも、社会党が不振の時に、代わりになるように支持を伸ばします(都議選では昔から、公明、共産両党が強かったということはありますが、この時の共産党は倍増でした)。この都議選の前年に、社会党は社民党になっており、そこから多くが離党して民主党を結成していました。社会党の不振、その多くによる民主党の結成(しかし思ったほど人気がでなかった)、つまり、当時の社会党系の不振、右傾化とも取れる動きが、共産党を伸ばしたわけです。

話を新進党に戻します。公明が24議席取っていますが、独自の支持団体があり、自民党と近い面もあった、一定の歴史を持つ公明党は、全てがすぐに新進党の結成に参加しませんでした。意図的に参加者(一時的に公明新党を結成)と不参加者(公明を結成)に分党しました。都議会議員は後者であったのですが、それが公明党時代と変わらぬ議席を確保し、新進党はゼロ・・・。これでは新進党は、東京では公明党そのものであったのだということになってしまいます。

確かに、公明党系を除く新進党は自民党離党者と、以前から弱かった民社党、その他であり、自民党離党者は東京以外の国会議員が多かったので、東京に根を下ろせていなかったという事はあったのかも知れません。しかし新進党には、新党ブームを起こした日本新党も参加していました。農村部ほど自民党に甘くなく、新党ブームが起こりやすい東京で、ゼロというのはやはり衝撃でした。その後、弱って動揺した新進党からは離党者が続出、公明党系も離れようとする姿勢を見せました。そしてついに12月、新進党はバラバラになってしまいました。

新進党には、その前の1993年の都議選で躍進していた、日本新党が参加していましたしかしそうは言っても、例えば今でも東京1区選出の議員をしている海江田氏など、離党して民主党の結成に参加した衆議院議員もいました(他には枝野氏や前原氏)。だから新進党が取るべき議席は、民主党が得たということかも知れません。民主党は社会党の組織、支持基盤もある程度受け継いでいましたから、その合わせ技といったところでしょう(しかしそれにしては弱かった)。そしてその民主党は、衆議院においてわずか52議席のまま、第2党になりました。新進党がバラバラになったからです。

私が1997年の都議選をよく思い出すのは、結果を先取りしたというより、国政を変化させた面が大きいためでしょう。政局的な話ですが、今は維新の躍進、民進党の分裂で揺らいだ政党システムが、まだ固まり切ってはいません。だからどうしても都議選が気になります(その影響で立憲民主党は、国政の第2党としては候補者が少なめなわけですが)。