日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
左派野党間ですら、協力できないのなら・・・

左派野党間ですら、協力できないのなら・・・

筆者は野党の議席が減ることを望まないが、立憲がれいわとの関係を明確にせずに、それでも多少議席が増えて満足するくらいなら、むしろ壊滅したほうが近道ではないかと思ってしまう。もちろんそのリスクはあまりに大きい。野党候補が複数出馬して自民党を利することは、本来最も避けるべきことだと思う。しかし左派野党は議論すべきだし、左派野党間ですら一致できなければ、何らかの方法で国民に判定をさせるべきだ(多くの国民がそれで良いとするなら問題ないが、その場合は、立憲民主党がれいわ抜きに過半数の基盤を持つ政権を樹立できるはずだし、できないのなら、政権交代を永遠に不要だとするのでない限り、国民にも責任がある―代案を用意し、選挙で実現させるべきだ―)。それを避けて共倒れをするなら、リスクが計り知れないとはいっても、民主系の壊滅が最後の劇薬だ。

その時は、民主政の終末が近いと言える状況になる。より厳しく危険な状況であるから、方向性を変えるきっかけにはなっても、大変な努力が必要になる。

選挙は政党の支持率以上に、政党の目立ち方、選挙資金、候補者の日々の活動に依存する。落選中の候補者には時間があるから(援助、支援が十分でなく、一般の人々と同じように仕事をしなければならない場合は別だが)、当選者、つまり現職の議員よりも、有権者に浸透するための時間が取れるという面もある。しかし現職の、特に与党議員のような活動のアピールはできず、そのために、選挙区においてすら目立たないという面もある。

一度議席がゼロになった政党は、ひどい窮地に陥ると考えられる。民主党系はゼロにならなくても、20議席くらいになれば、たとえ第2党の地位を守っても(20議席で第2党とは、本当に世も末という感じだが)、今の社民党のようになるだろう。政党助成金も減るし、自力で資金を集めることも、非常に難しくなる。その時には、自民党のライバルが別に現れるかも知れない。ゼロから始めるのは本当に難しいし、大きくなり過ぎた自民党が割れるということは、考えられる。強さをさらに増した分、自民党を離党するリスクは大きくなるが、巨大過ぎる政党が長期間まとまっていることも、分配可能なポストが大きく増えるわけではないだろうから、難しいのだ。さらに、権力が強ければ強いほど、そのトップの座は魅力的なもの、失うことを恐れるべきものとなる。権力闘争が熾烈なものになるのだ。

あまりに巨大になった自民党が政策で分裂する、というのならまだ良い。しかし実際には権力争いだろう。それで2つに分裂した政党の競争に、意味があるだろうか(追記:2021年の総裁選を見てもそう思う)。

自民党の分裂で1党優位が終わるのでなければ、自民党のライバルになりそうな芽を、探し求めることになるだろう。自民党との対決の舞台から落ちたに等しい民主党系を、再び第1党にするのは非現実的であり、多くの人が、他の選択肢を求めるに違いないからだ。そして見つけてから、コツコツ育てる。急に育てば、民主党政権よりもひどいことになってしまう。

こんな劇薬には、本当は絶対に頼りたくない・・・。

 

れいわ新選組と維新の会の連携は・・・→

Translate »