日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
8. 第6回総選挙後~第15総選挙以前までの諸勢力の分類

8. 第6回総選挙後~第15総選挙以前までの諸勢力の分類

第6回総選挙から、大正期最後の総選挙となった第15回総選挙の前までについても、同様に分類した。表補-Eである。

 

表補-E 第6回総選挙後から第15回総選挙前までの、第3極に該当する政党、会派
・「親薩摩閥」に該当する政党、会派、「吏党系」の離脱者が結成した政党、会派は無い。
・第6回総選挙後の中立倶楽部は、実業家でない議員が他の中立実業派と比較してやや多いが、山下倶楽部の流れを汲むことから中立実業派とした。
・壬寅会には実業家でない議員が約半数いて、実業派の主導であることを確認できないが、他の会派との連続性、都市部選出議員中心の会派といえる点を勘案して中立実業派とした。
・上記の他にも分類することが難しい勢力があった。この点については『キーワードで考える日本政党史』参照。

中立の類型 左の類型に属する政党、会派
・()内は存在していた時期が、第何回総選挙の後であったのかを表したもの(総選挙後の初めての議会までに再編を経たものについては、再編後の政党、会派のみを記した)
・太字は自由党系、改進党系、吏党系の離脱者が結成した政党、会派
一般的中立 議員同志倶楽部(⑥)、同志倶楽部(⑧)、政友倶楽部(⑧)、交友倶楽部(⑧)、維新会(⑬)、新政会(分裂前まで:⑬)、清和倶楽部(⑬)、無所属団(⑬)、正交倶楽部(⑬)、庚申倶楽部(⑭)
中立実業派 同志倶楽部(⑥)、日吉倶楽部(⑥)、中立倶楽部(⑥)、壬寅会(⑦)、中正倶楽部(⑧)、有志会(⑨)、甲辰倶楽部(⑨)、戊申倶楽部(⑩)
新民党 三四倶楽部(⑥)、同志倶楽部(➇)、同志研究会(⑧)、無名倶楽部(⑨)、政交倶楽部(⑨)、猶興会(⑨)、又新会(⑩)、無名会(⑩)、同志会(⑪)、亦楽会(⑪)、立憲国民党(分裂し第2党から転落した後:⑪~⑭)、政友倶楽部(⑪)、亦政会(⑪)、中正会(⑪)、無所属団(⑫)、公友倶楽部(大隈系のみ⑫)、公正会(⑫)、純正国民党(⑬)、無所属倶楽部(⑭)、革新倶楽部(⑭)
吏党系 国民協会(⑥)、帝国党(⑥~⑨)、大同倶楽部(⑨、⑩)、中央倶楽部(⑩、⑪)、公友倶楽部(大浦系のみ⑫)、(新政会―分裂後:⑬―)

※第7回総選挙後と第8回総選挙後の同志倶楽部を同一のものとして扱ったが、同派は内外の状況の変化によって、性質が変わったといえる(『キーワードで考える日本政党史』第7~8章参照)。

 

第6回総選挙の前後で決定的に異なるのは、第6回総選挙以降、薩長閥と民党の陣営を上下に縦断する動きが、政党の再編に至ったという点である。第6回総選挙後に伊藤系や自由党系が立憲政友会を結成し、第11回総選挙後、それに対抗する新たな縦断の動きでもあった桂太郎の新党構想が、立憲同志会の結成に至った。第6回総選挙以後は、政党内閣の定着、2大政党制へと、日本の政治が本格的に歩みだした時期である。つまりこの当時の第3極には、戦前の日本の2大政党制の特徴が、その主役であった2大政党を見ても見過ごしてしまうような点を含めて、映っていると考えられる。

この時期の第3極の再編は、より長い期間であるにもかかわらず、黎明期だといえる第6回総選挙前までのものほど複雑ではなく、多くの勢力に、その本流を断定しやすいような連続性を見出すことができる。ただし政権の姿が変わるにつれて、また大政党の変化に応じて、新民党、そして中立の勢力の姿が、一定の連続性を見せながらも変化することに、注意しなければならない。

第2次山県内閣から第3次桂内閣までは、山県系と立憲政友会(自由党系・伊藤系)が時に協力し、交互に政権を担当していた時代、そして改進党系が迷走していた時代であった。第3極には、吏党系(親山県系)、中立系、新民党が存在した。しかし中立派と新民党系は、官僚閥と呼べるものとなっていた山県系、党利を優先させているという批判のあった優位政党の立憲政友会、そのどちらを唯一の敵、あるいは主要な敵とするかによって、改進党系と同様に、分裂を起こした。

この分裂が起こって間もなく、薩摩閥と第1党の立憲政友会が協力して政権を担う、第1次山本権兵衛内閣が成立した。第2、3極は再編され、改進党系と第3極の、それぞれ立憲政友会を唯一の、あるいは主要な敵とした勢力が桂と合流して立憲同志会を結成した。同党派は誕生と同時に、第2党となった。第3極には、桂の政党に属そうとしなかった、あるいは政党に属することそのものを嫌う、新民党の残部が残った。勢力が半減した立憲国民党は、第3極に位置する勢力となったから、本稿では新民党に分類した。さらに立憲政友会の離党者による政友倶楽部も、新民党であったといえる。政界縦断型の大政党が2つ存在するようになったことで、それらと異なる左の極にも、一定の注目が集まった。

立憲同志会は桂が計画した政党であったが、山県が支持していたわけではなかった。さらに結成を見ないまま桂が死去し、山県系との関係が、より弱くなった。こうして、山県系の会派が存在する余地が広がった。そして実際に維新会が誕生した。これは拡大して新政会となったが、山県の3党鼎立構想を受けて当選した議員ばかりではなかったため、分裂した。新政会から離脱した議員達が中心となった清和倶楽部→無所属団→正交倶楽部については、一部が立憲政友会寄りであり、一部が新政会以前の新民党的な性格を見せたが、全体としては中立的な面があったことから、一般的中立に分類した。維新会、新政会は吏党系の本流を汲んではいない。しかし 山県系の意図を受けて当選した議員を中心とした会派であったことを重視し、()付で吏党系に分類した。

山県の3党鼎立構想が新政会の分裂によって失敗し、原政友会内閣が誕生すると、存在意義を失った新政会は総選挙を経て消滅した。つまり吏党系に準ずる勢力も、存在しなくなった。正交倶楽部と新政会が合わさった庚申倶楽部の系譜には、新民党的な議員と政権に寄る議員がおり、立場の異なる無所属議員の集まり、つまり一般的中立派であった。

詳しくは後述するとして、最後に第3極を担った勢力の連続性を確認したい。図補-B、図補-Cの通りである。

 

図補-B:第6回総選挙後の第3極の変遷①

  は本稿で第3極に該当すると考える政党、会派。ただし国民協会が該当するのは第3回総選挙後。

・2名以上が共通する会派を「→」で結んだが、2名が共通するに留まるものはない。

図補-B:第六回総選挙後の第三極の変遷①新

 

 

図補-C:第6回総選挙後の第3極の変遷②

  は本稿で第3極に該当すると考える政党、会派。ただし国民協会が該当するのは第3回総選挙後。

・2名以上が共通する会派を「→」で結び、2名が共通するに留まる場合は、(2名)と付した。

※誤字がありました:誤:交友倶楽部 正:公友倶楽部

図補-C:第六回総選挙後の第三極の変遷②

 

 

 

 

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