日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
優位政党に振り回される、政権を狙う野党第1党の限界

優位政党に振り回される、政権を狙う野党第1党の限界

「終わった三つの物語」で、3つのうちの1つとして、「安保法制反対」を挙げたが、これはイコール反安倍・菅でもある。民主党政権ができると自民党は、谷垣総裁(自民党の中では左派とも言える、穏健派の宏池会の出身)の下ですら、右傾化した。2012年の改憲草案がその象徴である。そして安倍総裁期になると、それはさらに明確化した(経済政策については別だが)。

安倍自民党を前に、与党時代の右傾化した(とは言ったが右傾化というより現実に妥協、官僚に妥協した面が大きい)民主党は、再度左傾化した。これはもはや小沢によるものではなく(小沢はすでに党外―生活の党系―にあった)、多くが小沢に批判的であった、有力者達によるものであった。彼らは、それまでにないほど左傾化した(前原や細野は例外。野田は自身が代表の時の敗北に責任を感じており、少しでも議席を増やせるのなら―落選した仲間を助けられるのなら―、自分の主張に固執しないという姿勢であったように見える)。

そんな中で生まれた立憲民主党は、その名の通り、安倍・菅政治に反対するための政党であった。「その名の通り」とは、安倍・菅自民党の、解釈を変更し、安保法制を通す、憲法9条を軽視する姿勢(国防ではなく憲法の問題。理屈の上では改憲してからやれば問題ないという事になる)、公文書の改ざんや隠ぺいに見られる、オープンでない姿勢(個々の事件は内閣が直接起こしたとは言い難くても、そのような事が起こるような状況、空気をつくり、問題が噴出した時にも、向き合う姿勢を見せない。ただし、大臣を辞任するに至った小渕優子の事件では、関係者がパソコンをドリルで破壊した)、特定秘密保護法やテロ等準備罪など、国民の自由を犠牲にする姿勢。これらを非立憲的な姿勢だとして、改めるという事である(筆者はここで挙げた法案の趣旨には、必ずしも反対ではない。しかし実際の法案に問題があり、問題を残したまま成立したのは確かだと思う)。

ところがその安倍・菅が退場し、性格が異なっていそうな岸田内閣ができた。新内閣に安倍らの影響がどれくらいあるのか、まだ分からない。普通に考えれば、その影響力を排除するのは難しいだろう。

立憲、いや民主党が左傾化した時など、日本では印象の良くない「左派」だと思われたくない彼らはしばしば、自分達が、自民党で力を失った宏池会の路線の後継者であると誇示する(谷垣総裁も宏池会系であったが、その時の民主党は与党であり、自民党に対する挑戦者ではなく、挑戦を受ける側であった。挑戦者であった谷垣自民党は、(民主党と似ているように見えても)自分達の方が安定しているという姿勢と、右傾化する姿勢が混在しつつ、後者に流れ、安倍総裁への交代によって、それが決定的になったのだと言える―ただし最右派が権力を握ればこそ、最右派の有権者が望まない事も、あまり批判を招かずにできるという面もある―)。

しかし、民主党系が宏池会を気取っている間に、2021年、宏池会が総理を出す、自民党政権になってしてしまった(河野洋平、谷垣禎一は野党時代なので、28年ぶりである)。

反安倍・菅の国民の一部が、「宏池会政権」には期待した。「自民党が右傾化を改めてくれるなら、野党より自民党がいい」という人は少なくない。彼らには、立憲の出番が無くなったように見えたのだ。本当におかしな政党システムである。

一方、宏池会的な路線(本来新自由主義的な面がないわけではないと思うが、とにかく穏健な保守)に反発する保守~右翼的な人々、新自由主義的な人々は、「自民党でダメなら維新しかない」となり、これが維新の会浮上の一因になったと考えられる(他には改革派の保守政党を求める、無党派の有権者が多い事)。岸田の対戦相手には、立憲より維新の方が向いている面がある(維新を左翼だと見る人もいるが、維新の中には右翼的な人々を共感させる議員もいる。日本会議のメンバーもいる)。

以上は滑稽にも見えるが、軽視してはならない、1党優位の深刻な症状だと言える。

1党優位でなくても、時の第2党兼野党第1党は、第1党の在り方に制約を受ける。第1党が支持されている場合、その問題点を見つけて、そこを突きながら自らをアピールもしつつ、国民の意識を変える事を目指さなければいけない。これは足を引っ張るのとは違う。与党の点検になるのだ。普通過半数の議席を持っている与党は、それでも強引に自らの姿勢を貫くことができるが、反対に、修正に応じる事もできる。

そしてもちろん、時の与党が支持を受けていない場合、第2党兼野党第1党は、それとは明確に異なる路線を見出さなければならない(同じ事をよりうまく出来るというアピールは難しい。他国ではそもそも、時の野党第1党にも、政権運営の経験が蓄積されている―大連立期の小さな野党第1党など、例外がないわけではないが―)。挑戦者である限り野党第1党は、与党第1党の在り方に制約されるのだ。スポーツにも、似た面がある。挑む側は、相手を倒すためのスタイル、戦術を模索するものだろう。自分達が力を付けるのも重要だが、相手に応じた戦い方も、勝つためには重要だ。

与党が自らと同じ路線であった場合、「自分達は不利になってもいいから、支持されている与党を支えよう」という第2党兼野党第1党があっても良いとは思う。ただしその状態が長期に渡れば、代わりに政権を担い得る政党が他にない限り、国民は選択肢、選択権を失うような状態になる。そして小選挙区制(中心の制度)だと、その代わりの野党が政権を取るのが極端に難しいのである。それどころか、第2党(野党第1党)になるのも難しい。

国民が事実上選べなくなる状況を回避するには、第2党兼野党第1党が、与党とは別のビジョンを示す必要がある。民主党系の左傾化、「立憲」民主党の結成とは、まさにそれであった。

ところが1党優位の日本では、優位政党が存在し、もちろん下野もせず、疑似政権交代などという、国民の選択とはほぼ無関係の(世論調査の支持率、それから自民党員の、総裁選におけるウエイトの小さい投票によって、多少の影響を及ぼしている)、見せかけの変化でごまかそうとしている(疑似政権交代で、本当の政権交代のような変化が起こった事がないとは言わない。しかし稀だし、権力闘争を勝ち抜く力は別だとしても、政治家、国民を真に成長させるものではない)。

与党はいつでも、衆議院の解散→総選挙ができる。衆議院議員の任期満了が近づいて、有利なタイミングでの解散が難しくなれば、党首(総裁)兼総理大臣を、党内の別の誰かに変更することができる。これらには批判を集め、逆に議席が減少するリスクもあるのだが、日本の場合は違う。ある程度批判はされるのだが、議席の減少にはつながらない。党首(総裁)選びは、総選挙が近かろうが、メディアで大々的に報じられる。むしろ、これをしなかった麻生自民党は、自民党の歴史上でただ一つの、第1党の地位を失う例となっている。

前者(好きな時に解散)も、野党にはあまりに不利なものだが、後者の場合は、野党第1党が相手の転換を見て姿勢を変える暇もなく、総選挙を迎える。今回の総選挙がそれである。野党は別の選手(前総裁・総理)、チーム(前内閣)の戦い方を研究し、攻略するために練習を積んでいる。これで優位政党に勝てるはずがない。それで議席を減らせば落ち目だと言われる。欧米の政党(特に社民系)が落ち目だと言われるのは分かる(相対的には落ち目だと言えない例も多々あるが)。しかしろくに勝った事もない(勝たせてもらえない)、一度勝っても経験なき政権運営で自滅する政党に、落ち目も何もないはずだ。

 

ここで改めて補足しておきたいことがある。弱い野党は、資金や人材についても苦労するという事だ。政党助成金はあるが、自民党は野党第1党よりずっと多く受け取っている(イギリスでは不利さを補うため、政権交代に備えるために、野党が受け取る助成金があるなど、野党第1党が優遇されている)。自民党には他にも資金が集まりやすい。民主党がめちゃくちゃ弱くなり、後継の民進党も崩壊し、民主党系の党員、地方議員の数も減った。国会議員、党のブレーンについても、人材難は深刻だろう。かつての社会党には、社会主義政党という面もあったから、党が低落傾向にあっても、「優秀な社会主義者」が集まった(社会主義者という段階で優秀ではないという人もいるだろうが、時代が違うという事はある。もちろん頭でっかちではあったかも知れないが)。しかしイデオロギー対立の面が小さくなった冷戦後は、自民党という第一志望に行けなかった人が、他の党に行くということも多い(優秀な信者を議員にできる公明党はまた別かも知れないが)。もちろん、野党を良くしたいという理想に燃える人もいるだろうが、希望の党騒動など、幻滅するための機会は、残念ながら少なくない。それと当選が難しいから、せっかく民主党系に優秀な人が来ても、世襲やコネもなく、落選すれば活動継続が難しくなってしまう。

 

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