日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維新よ、公明党に候補者をぶつけてくれ

維新よ、公明党に候補者をぶつけてくれ

維新が公明党を自民党から引きはがせば、自民党は一気に弱る(その兆しとも感じられるものが見えてきているが、それについては、公明党について述べる際に考えたい)。

公明党が候補者を出し、当選させている選挙区の約6割が大阪・兵庫だ。ここで維新が候補者を出せば、どのような構図でも、選挙では維新候補が当選すると考えられる(維新が近畿地方で失速しない限り。兵庫は自民党が候補者を立てれば分からないが、大阪では自民党が候補者を立てても、維新が勝つ可能性が高い)。また、公明党が候補者を擁立した選挙区(今回は全員当選)の総数(9)の約1割にあたる選挙区が(といっても1つだが)、東京にある。ここも維新の動向に左右されるようになるだろう。つまり維新は次の総選挙で、公明党の小選挙区での当選を、約3分の1にし得るのだ(民主党は、新党日本も合わせてだが、2009年に公明党を、小選挙区当選ゼロに追い込んだ。しかしそれは、次に逆転され得るものであった。しかし大阪の地域政党という面もある維新に奪われる場合、大阪と兵庫、特に前者の選挙区は、もう公明党には戻らないという可能性がより高い)。

信仰と結び付いた選挙活動のメリットは、票読みが比較的正確にできる事だが、デメリットは、敗けた場合、信仰に関して傷がつきかねない事だ。公明党は1つも落とさないような戦略を立てられるが、その分、1つでも落とすとダメージが大きいのである。それが例えば半分になるなら、かなり深刻な事態だ。かと言って、維新が怖いからと言って、自民党を裏切って、自民党に候補を立てられるのも恐い(もっとも、票読みができるからこそ、公明党は勝てないと見て、候補者を降ろすかも知れない。しかしそれはそれで、信者にはショックな事だろう。それに自党の票は読めても、他党の票、全体の投票率に関しては、そうはいかないという事もある)。

ただし自公の協力関係は、これですぐ変わるほど、浅いものではすでにない。自民党も公明党が裏切ったように見える段階で、直ちに対立候補を立てる勇気はないだろう。だから公明党は、目の前の危機に血迷い、維新の言いなりになるかも知れない。そしてそれは、変化のための大きなてこにもなる。このような変化を起こせるのは、現状では維新の会だけだろう。

公明党が自民党から離れれば、1党優位は以前より容易に壊しやすいものとなる(農村部では遅れるだろうが、それでも)。政権交代の定着を願う筆者としては、これができる維新には注目せざるを得ないし、これができるのにしないことについては、これができる条件を自らの努力で手に入れたことを割り引いても、失望してしまう。

このままでは、自公に対して1人区であろうと多くの政党が候補者を擁立し、自公が、いや自民党ばかりが笑うことになる(自民党はいったいいつから笑い続けているだろうか―国を思って真剣にやっているからこそ、今の状態が維持されている、守られている。そんなことがあるだろうか―)。1強は国民のダメージにもなる。一応は民主主義国なので国民にも責任はあるが、直接ここまでひどい状況にしたのは、しているのは、維新を含む野党である。コミュニケーション能力があまりに低い野党である。「なんとかしてくれ」と思っても、バチまでは当たらないだろう。

 

維新はもう少し大人になれ→

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