日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
歴史・冷戦後編No.38~44

歴史・冷戦後編No.38~44

歴史・冷戦後編No.38

2021年の総選挙は、自民党が総理を取りかえて直ちに選挙という、挑戦者の立憲が非常に不利な中で行われました。安倍、菅総理の辞任、新自由主義的改革の需要もあり、民主党下野の頃からの流れが一度断ち切られたような状況になりました(希望の党騒動でも断ち切られなかった流れで、実際にはここで明確に断絶したわけではありませんが)。

 

歴史・冷戦後編No.39

社会党に問題があったという話と保守二大政党制が良いという話は全く別なのに混同されている感があります。また、図のような対立軸がないと国家像に関わる議論は難しいと感じます。それでは鍛えられない。もう左とか右とかいう時代じゃないと言っても、それでは逆に冷笑系の新自由主義と、無責任な積極財政要求・依存に、国内が分化する危険もあると考えます。

 

歴史・冷戦後編No.40

このような構図や自民党に過度に有利な制度、状況について野党が問題視すれば、「愚痴らず頑張れよ」と思われてしまうかも知れません。しかし何らかの形でもっと広める必要はあると強く思います。

 

歴史・冷戦後編No.41

民主党にも1強2弱化の責任があるとしたのは、与党時代に国民の支持を失った点に限ります。政権獲得直前にすでにみんなの党に注目が集まりかけていたので、民主党が政権を得ていなければ、野党再編も含めて1強2弱化していた可能性は低くないと想像します。総選挙=決勝戦である以上、大同団結で準決勝を決勝の後に回すか、今の小選挙区制をやめるしかない。それらが実現しないのなら、有権者が決勝戦だけに集中するしかないと思います。支持政党に関係なく。

 

歴史・冷戦後編No.42

民主党系ではさきがけ出身者がトップに立つ事が多く、菅、枝野が左派、鳩山、前原が右派に分かれるという、必ずしも各氏の志向と一致しない分化も見られました。また、旧立憲は結成当初保守を自称し、れいわでも代表選で保守という言葉が出ていました。民主党系には自民党宏池会に近い面があり、また左右の印象の逆転も言われますが、それ以上に保守=普通、保守=現実的、保守=極端でないもの全て、という印象が強くなり過ぎて、保守の輪郭がぼやけ過ぎていると感じます。

 

歴史・冷戦後編No.43

時代の変化で、その時点までの少数の不満がクローズアップされ、多数派だと思っていたのが実はつくられたイメージだったという疑いも広がった時、ポピュリズム勢力には一定の広がりが出てくるのだと感じます。

 

歴史・冷戦後編No.44

大政党の民意との乖離に警鐘を鳴らす存在として、ポピュリズムには意味があるのですが、その性質上、歯止めがかかりにくいのは確かだと思います。これに関しては、反対に民意を批判しにくいのも厄介です。一般の国民として知識に限界があるのは当然で、それを恥じることなく自覚し、可能な限り政治家や専門家の主張を、疑いつつもしっかり聞いていきたいと思っています。

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