1-20期待の星、第3極の新党の問題点1.政権交代論

維新の失敗

その維新について見る。「維新」とだけしたのは、日本維新の会も、維新の党の残留派も、おおさか維新の会も対象とするからだ。

大阪維新の会は、2010年4月に結成された。政治経験はまだ浅かったが、熱心な改革派であった橋下徹大阪府知事や、それに賛同した、自民党の地方議員達が、離党して結成した、実行力のある地域政党であった。実際に橋下大阪府知事→大阪市長と、大阪維新の会がリードする大阪府議会、大阪市議会は、改革を大きく進めた。もちろん、その内容に対する異議がないわけではないし、財政状況等についても、異なる評価があり得る。しかし、実際に改革を進めながら国政に進出した点ではやはり、彼らが生んだ日本維新の会は、それまでの新党、いや、あらゆる第3党以下の勢力にもない、実績を持つ政党であったと言える。

ただし、2012年9月に国政進出用に結成された日本維新の会には、ゼロからのスタートという面もあった。橋下が代表には就いてはいたが、市長の職を最優先にしており、国政は事実上、所属国会議員に任された。当然ながら、その質が問題となるのだが、これは決して良いものではなかった。沈みそうな民主党から逃げ出した議員(それでもまだ、最初に逃げ出した部類ではあったが)、すでに述べたみんなの党の議員、そして大阪府の、しかも辻本清美という有名な民主党議員と同じ選挙区であった、自民党の松浪健太が参加したに過ぎなかった。もっと人数を増やそうと思えば、民主党をさらに切り崩すことはできたであろうから、参加した議員達は厳選された者であるかのような印象を与えたかもしれないが(そうでなかったら、日本維新の会の支持率はもっと低くなっていただろう)、実際にはそうではなかった。

そして、2012年11月(衆議院の解散後)、石原を正式に迎えて太陽の党と改称した、たちあがれ日本と合流した。そして約1年8ヶ月後(2014年7月)、すでに見た通り分裂した。しかし、旧たちあがれ日本と分かれてまで合流した結いの党(みんなの党の離党者達)とも、1年半(正式に合流した2014年9月から正式に分裂した2016年3月)で、再度分かれることになる。しかも大阪派、つまり元祖維新だといえる人々が離党する形で。この分裂も、路線を巡るものであった。

次世代の党の、日本維新の会からの分裂は、野党再編を重視する橋下らと、自民党に寄ることを重視する石原らとの決裂であった。ただし、橋下は民主党丸ごとと合流する気はなく、これが次の分裂の原因となる。石原らは、自公両党の間に割って入り、公明党を脱落させた、右寄りの政権の実現を目指したのだと言えるが、公明党が自民党にもたらす利益を考えれば、実現し難い構想であり、実際に失敗した。自民党は理想よりも損得で動く政党だし、右寄りの議員ばかりが属していたわけでもない。

大阪派の離党は、野党共闘を重視し、民主党丸ごととの合流、共産党との共闘も排除しない執行部(大阪都構想の挫折で、大阪派から結い、民主両党出身者に主導権が移っていた)派と、自民党に寄っていた大阪派との分裂であった。みんなの党と変わらない。

大阪派は2016年、おおさか維新の会から、かつてと同じ日本維新の会に党名を変えたが、2017年の総選挙では、大阪府内でも3つの小選挙区を制するにとどまり、11議席しか獲得できなかった。