日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
そして今も・・・(2019年2月に追加)

そして今も・・・(2019年2月に追加)

政治家を辞めた橋下徹と、国民民主党の前原誠司、自由党の小沢一郎の関係が話題になっている。3人が会食をしたことが報じられ、橋下のインターネット番組に、小沢と玉木雄一郎国民民主党代表が出演した。政権交代の必要性を唱え、今も一定の人気がある橋下と、剛腕で有名な小沢、日本維新の会、自由党よりはかなり多くの国会議員を擁する国民民主党(貯めている政党交付金もある)、これが合わされば、左寄りの立憲民主党に代わる、あるいは立憲民主党を従える、自民党の超有力なライバル政党になるだろうと、一部で期待をされているのである。左寄りでない有権者にとっては、喜んで票を投じることができる、自民党に代わる選択肢が誕生するというわけだ。

橋下の手腕を評価し、また、小沢なくして政権交代は実現しなかったと考える筆者も、これには期待しない。野党の右派と野党の左派が対立し、右派政党の自民党が漁夫の利を得るという戦後の歴史が、ただ続くだけだと思うからだ。それでは、維新の政策を自民党がのむということすら、より難しくなる。このことについては後述しているが、この事象にはまた別の、一つの思いが筆者にはある。民主党政権末期、民主党を離党した小沢は、日本維新の会を結成した橋下と組もうとしたようだ(当時の報道、当時について扱った著作を読んだだけだが、小沢ならばそうしていないほうが不思議だ)。その後の衆議院の総選挙、参議院の選挙の結果は、日本維新の会が民主党に迫った(比例代表の得票率では民主党を上回った)とはいえ、自民党が優位政党であり、民主党がその最大の挑戦者であるという状況が、変わることはなかった。もしも当時、橋下と小沢が組んでいたら、2大政党がともに信頼を失っていた中、野合だという批判はあっても、また小沢に対する批判的な声はあっても、状況を大きく変えることができたはずだ。両者には様々な、小さくない差異があったが、小沢は現実主義者であるから、橋下中心の、新たな第2極、場合によっては第1極が誕生していただろう。しかし、自民党が優位政党の地位を回復した(長期的に見れば手放していないことが明確になった)後になっては、弱い野党がつぶし合う結果にしかならない(選挙制度が比例代表制になれば別だが)。物事はタイミングが大事だということだ。

小沢、小泉、橋下、そして小池百合子の、敵をつくって世論を盛り上げるという意味でのポピュリズムは、注目を集めたという意味では成功していても、自民党という優位政党を基盤としていた小泉以外は、短期で崩れている(大阪に限れば、橋下は長期政権を築くことに成功したが、国政で同じ結果を得るのは、さらにずっと難しい)。いずれも、強力な敵である優位政党(自民党)を抑えるために味方とすべき人物を、理由があったとはいえ、敵に回したことが災いしたのだと言える。

さて、2019年に入り、国民民主党は、自由党を吸収する前提で、同党と統一会派を組んだ。このことによって、政党、会派同士の合流に否定的な立憲民主党も、社民党と統一会派を組まざるを得なくなった(国民民主党に第1会派の地位を奪い返される危険があった参議院に限り、自由党が離れた希望の会―自由党と社民党の統一会派―の残部と会派を組む、それも、会派名には「希望の会」が付け加えられたものの、いや、だからこそ、社民党との統一会派とは違うという、不自然な形で)。そんな、みにくい第1会派争いなどではなく(筆者は、衆議院第2党の立憲民主党が参議院でも第2会派であった方が良いと思うが、民進党やその後継-届け出上同一政党-である国民民主党から、立憲民主党が議員を奪う形になっていることには問題もある)、最初から社民党と一つになっていれば、選挙における票のロスも、より少なかったのではないかと、思ってしまう。

社会党と新党さきがけの時代からの、さまざまな事情が背景にあるのは分かるが、立憲民主党の枝野代表は、当時当選1回であったが、民主党が結成される際、その母体となった社さ両党の、村山元総理や武村元大蔵大臣を排除することに反対であったようだ(枝野幸男『それでも政治は変えられる』(マネジメント社、1998年)149頁)。このような排除をしなければ、民主党はより大きな現実的左派政党として成長していたのではないだろうか。排除したことで総選挙における獲得議席が増えた(減らなかった)ということも、新進党系からより多くの議員を得たということもなかったと、筆者は考える。結成後初の1996年の総選挙における民主党の獲得議席は、現状維持の52議席に過ぎず、ボロボロだった社民党も15議席を獲得している。また、与党としての経験を積んでいた社民党が先祖返りをしたのは、1996年の総選挙よりも後のことであり、それは回避可能であった。新進党と民主党の選挙協力は必要であったが、そもそも、自社さ連立がなし崩し的に続いて、民主党と新進党が野党同士争うという構図にはならなかったかも知れない。当時も今も結局、イメージを過剰に気にして(政策等が近い政党が合流するのは屋号とは違う)、議論は避けて、成り行きの再編をしているだけだ。

以上は、単なる「たられば」の話ではない。過去に判断ミスがあったという面が、少なからずあり、それを教訓とすべきだということである。具体的には、合流可能な面があれば、無理をしてでも合流すべきだということである。

ただし、今はもはや、非自民の部分的な再編のタイミングではない。立憲民主党と社民党の合流まではすべきだが、それ以外は、あまりに無理がある上、望まれてもいない。立憲民主党と国民民主党の丸ごと合併は、そう無理なことだとは思わないが、小池百合子に踊らされて分裂した上、数年で再統一というのでは、笑いものである。両党で徹底討論を公開で行い、双方が改めるところは改めて、一致した理念、政策を導き出すというような、パフォーマンスにもなり、実もある成果をあげられるのなら別だが、そうでなければ、個性を出しつつ連携するなど、分裂したことによるメリットを生かす方が得策だ。

これまで、非自民の無理な合流は失敗したと言えるが、それは取りこぼしもあった上で、さらに失敗しているのである。あえて共産党から維新の会まで、全党が取りこぼしなく合流するか、公明党も巻き込むというのでなければ、再編は過去の繰り返しに過ぎなくなる。実験にすらならないのである。非自民勢力の離合集散とは別の形で、自民党に代わる挑戦者を育てなければならないと考える。

今度こそ非自民の大同団結の成功を! という人もいるのだろうが、それは、これまで明らかになった問題点に目をつぶって、楽な方に逃げているだけである。過去の失敗を徹底的に分析して、克服できる方法を見つけたというのなら別だが、そうでなければ、別の戦略を用意しなければ勝てない。仮にもし、まぐれで勝てたとしても、政権交代は定着しなければ意味がない。国民を何度もうんざりさせる余裕はない。

 

繰り返しが示すもの→

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