日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
安倍総理辞任

安倍総理辞任

安倍総理が辞任を表明すると、安倍内閣の支持率が急上昇した。これには2つの理由が考えられる。

1つは、その功績(金融緩和等。実体経済を反映していないとは言っても、株価も上がっている)を国民が冷静に考え、モリカケサクラの問題や、新型コロナ対応のまずさで低下していた時以外の、本来の支持率に戻ったということである。もう1つは、総理大臣が短期で代わることが多かった日本で、政権が長期に渡ったことが評価され、その点で国民が辞任を惜しんだということである。

前者には、安倍総理の辞任会見が同情を集めたことも関係している。辞めてくれてうれしいということで支持率が上がったという見方もあるが、安倍内閣やそのコロナ対応に批判的な人が、世論調査の質問に対して「支持する」と答えるだろうか、そういう人がいるのだとしても、かなり少数だろう(世論調査の設問自体が結果を誘導する面はある。そういったことがあると、やや極端な結果になる)。

筆者は安倍内閣を支持していなかった。それは何より、自民党1党優位の政治構造を変えなければいけないと思うからだ。しかし、「それでも」と言うべきか、安倍総理は良く動いており、それは外交と国防での一定の成果につながったと思う。ただし、それ以前の内閣の多くが軽視した(「軽視」せざるを得なかった)安全保障は前進したものの、それ以外では「日本は米国にこびればうまくいく」という範疇を大きくは超えてはおらず、あえて自ら期待をさせた北方領土問題など、長期政権となった割には(世界的には特別長期でもないのだが)、後世に名を残すような成果を上げることはできなかった。それでもなお、内向きな総理よりも、そうでない総理の方がずっと良いというのは確かだ。

よく発信し、よく動くというのは、維新の会に通じるところがある。安倍らと維新の仲が良いのも分かる。ただし安倍内閣の場合は、国政という、より複雑な舞台であることもあるが、維新ほどには動いていない。だから「やってる感」などと批判されるのである。金融緩和は、日本を生き返らせるかに見えたが、その後はぱっとしなかった。金融緩和自体は成功だったと言えるものの、インフレ率2%の達成など、それを次につなげることがうまくできなかった(もちろん容易な事ではない)。

保守的な日本(日本人)が、いくら供給能力が壊滅状態であった戦後と違うとは言っても、お金を増刷するのには勇気がいる。安倍総理はそれを、野党に転落し、自身も1年で総理を辞めていた、その逆境下に身につけた力によって成し遂げた。しかし政権が比較的長く続くと、かつての自民党政権に戻っていった。消費税増税に否定的であり、それを決めた自公民の3党合意にも否定的であった安倍が、結局10%まで引き上げることになった。なお、安倍内閣は雇用増を実現したが、それも、人口の多い団塊の世代が定年に達する時期に入ったことに、大いに助けられている。

民主党が野党に戻った頃、筆者は、自民党がより明確な保守政党になっているのではないかと期待していた(自民党の2012年の改憲案は国家主義的でひどいと思ったが、与党になれば穏健化すると考えていた。それで良いとも思わなかったが、日本の政党制をなんとかしなければという思いのほうが強かった。自民党の右傾化を含む政党制については、近く扱う)。とにかく自民党が、小泉内閣期以上に、伝統重視(明治以降のそれだが)・競争重視になっているのではないかと思った。そうであれば、壊滅状態であった民主党が、自民党と違いのある挑戦者として、生き残ることが出来ると考えていた。そして上り調子ではあったが、まだ不安定な存在であった第3極も、そのままでは変化した自民党との違いが分かりにくくなるから、自民党と違いのある挑戦者に育つ(変化する)と期待した(当時は第2次安倍内閣になったばかりで、自民党は小泉内閣期の一から、かつての何でもありに戻り、安倍内閣の位置に戻ったばかりであった。つまり右傾化したのだが、安倍は内外に警戒される右傾化よりも、経済政策を重視した。それには政府が経済に介入するという面がかなりあり、その点では決して保守系の政策ではなかった)。「民主党への再度の政権交代は無理かも知れない」と悲観的になっていたから、野党側に、再編等の新たな動きが起こることも期待した(以上について「政党マトリクス」参照)。

実際に第2、3極の再編は起こったが、第3極の団結力が非常に弱かったため、それは民主党の強化に落ち着いた。当時は、民主党の再度の左傾化が起こる前であり、今のような状況になるとは、完全には予想できなかった(そもそも簡単に予想できるものではないが)。

同時に、自民党が姿勢を明確にすれば、それを嫌う人々もいるため、自民党も優位政党にまでは戻らないと期待していた。これについては、実際には正反対の状況となった。

維新の会とみんなの党は、合計では、そして比例票だけなら維新単独でも、民主党を上回っていた。しかし両党は、合流できなかったことで、「第2極」となるチャンスを逃した。合流しなくても、もう少し選挙協力をしっかりやっていれば、維新の会は単独で、なんとか第2党(野党第1党)になっていただろう(ある程度差をつけなければ、組織票のある民主党に、抜かれる危険はあったが)。

筆者は、自民党に対する挑戦者は社会民主主義政党であるべきだと考えているが、今述べた通り、民主党が壊滅状態になった当時、心が揺らいでしまっていた。第3極が、左傾化する前の民主党のような、【自由重視・規制改革+弱者にも配慮】という路線で、実行力を強化したものになれば、とも思っていた。これについては、そうなっているとも言えるが、グローバル化・競争の激化の中では、より平等重視の政党が必要なのだと、筆者は気付かされた。何より、第3極はまだまだ不安定な存在であると思う。確かに、【第3極=新しい維新の会】でほぼ決まりと言える状況で、維新は一定の評価を得ている。しかし民主党系は、みんなの党の多く、それと重なる部分も含めて維新の党を吸収している。維新の会はそんな民主党系の、足を引っ張ることはできても、渡り合う存在にまではなれていない。

繰り返すが、実際の自民党政治は、明確なものとはならなかった。安倍内閣の経済政策は、左派的だとすら言われている(※)だから、政治主導というそれまでの流れに乗りはしたものの、自民党政治の本質を変えることはしなかった安倍総理を、肯定する気にはならない。

モリカケ、サクラについても同じだ。これは安倍総理だからこその問題ではなく、1強の弊害である。1党優位(自民党の中の派閥政治と1派閥優位の組み合わせ)が変わらなければ、自民党の総裁が代わっても、無くならない問題である。今はまだ騒がれているから良いが、騒がれなくなった時、政治の独裁化、政権の私物化は進み、中国やロシアの独裁的な政治を、恐がったり、笑ったり、していられなくなる。

民主主義を大事にしながら、かつ、時代の変化に応じた素早い決断をすることは、矛盾しているのだろう。しかし中国のやり方がいつまでも通用するとは思えない。いや、通用したってどうにもならない。人権がろくに認められないような国に、住みたいという日本人はほとんどいないだろう。

確かに、他国に攻め込まれるよりも、国内で監視社会を生きる方がまだましだと、思う人もいるだろう。一方で、他国に本格的に攻め込まれるような事態は、国際社会が許さないという、期待もし得る。だがこのようなことを考えると、国内が独裁、恐怖政治に向かっていった時、それだけで他国が助けてくれるだろうか、またそうなって他国に介入されることを、恥ずべきことだと感じることも含めて、日本人が耐えられるだろうかと、不安になる。警告されたり、笑われることはあっても、国外に害を及ぼさない限り、他国は助けてはくれないだろう。そして助けてもらった時には、日本はもう一人前の独立国とは言えない状態になる。だからやはり日本人が自ら政権を選び取る訓練を続け、野党に責任を持たせ、変えるべきところを変えるべきである。

ここからは、より安倍総理個人の批判となる。それはまさに、今回の辞任についてである。安倍総理のように持病を持つ人であっても、要職に就くことはあって良い。上から目線にならないために私事に触れるのだが、筆者も持病に苦しめられ、仕事を辞めたことがある。だから、激務を7年半以上も続けた安倍総理を、尊敬する気持ちがないわけではない。

しかし安倍は、祖父が総理、父が総理を目前に病死した、「最上級」の世襲議員だ。そういう人には最初から優秀なスタッフがつく(新型コロナ対応を見るとそうでもないが、安倍の初当選からは25年以上がたっているし、平時と有事では違うということも大きいのだろう)。そういったレールを敷かれていない人、そしてコネもない人が、あえて言うが、「一人」で道を切り開く人生とは全く違う。安倍は若くして、超がつく順境の中、小泉総理が敷いたレールに乗って、自民党の総裁選で大勝し、総理大臣になった(安倍の初当選が、自民党が初めて野党になる時であったり、自身が勝利した総裁選で、獲得した票数が予想よりは少なかったり、ということはあったが、逆境とはとても言えない。自分の選挙はいつも超のつく楽勝。総裁選だって全戦全勝、それも2012年のそれ以外はすべて楽勝だ)。

しかし第1位次安倍内閣は失敗が続き、参院選で惨敗した。それでも続投する意思を示し、内閣を改造したにもかかわらず、安倍はすぐに辞任を決めた。最初はテロ対策特別措置法の延長について、小沢民主党の協力を得られないことを理由としていた(参院選惨敗でねじれ国会となったため、アメリカ軍などへの給油等の協力が不可能になる状況であった。ただし自公両党で衆議院の3分の2を上回っており、次の福田内閣は衆議院で再可決させた)。辞意表明が、内閣改造も行った安倍総理の、所信表明演説後、それに対する代表質問が行われる前のことであったため、逃げだという批判が起こった。それもあってか、すぐに持病のためだという理由が出てきて、安倍総理は入院をした(最近の状況を見ると、同情を引こうとすることも考えられるが、政治家とは本来病気を隠すものである)。

参院選惨敗の責任を取って辞めたのではなく、逆境を実感したから辞めたという面が、大きかった。本当に病気による辞任であったのだとしても、それは以前からの持病であり、精神的なダメージを受けたからこそ悪化したのだから、結局は同じようなものである。

その後安倍総理は、民主党政権が支持を失う中、持病が新薬で抑えられているとして、自民党の総裁選に出馬、ついには総理に返り咲いた。それは自民党全体に求められてのことではなかった。2012年の総裁選では石原伸晃や石破茂が有力候補であり、安倍にはマイナスイメージが残っていた。

意地悪でこんなことを言っているのではない。皆に頼まれたのではなく、自らの強い意思で、日本の行政の責任者になったということが重要なのだ。それが今回また、逆境に陥ったとたん、持病を理由に辞めたことを、筆者は問題視するのである。

確かに、今度は7年半以上連続で総理を務めている。これは(残念ながら)日本では信じられないくらい珍しいことで、安倍総理は最長記録を達成した。しかしそのうちの7年、つまりコロナ禍が深刻になるまでは、安倍は順境にあった。モリカケなどというのは、安倍総理から言わせれば大きな問題でもないし、責められる問題でもない。選挙をやれば、敵失もあるとはいえ、軽蔑する左派野党に勝てていた。

ところがコロナ対応への批判は、それとは明らかに違っていた。左側、反対勢力ばかりではなく、もっと多くの国民が怒っていた。そこで安倍の心が折れたのだろう(理由は他にもあると考えられるが、後述する)。仕事量の増加、それまでにたまっていた疲れも深刻であったのだろうが、ストレスで持病が悪化したのだと言われているから、もしそれが本当なら、心が折れて辞めたという面は、やはり小さくない。

そのことを批判するのであっても、筆者にためらいがないわけではない。しかし、民主党政権という前任者を、「悪夢の」などとののしっていた姿を見ると、批判しなければと思うのだ。

民主党政権は問題だらけであった。しかし経験不足の中、民主党は大変な時期に政権を担っていた。リーマンショックの後遺症、原発事故を含む東日本大震災、安倍も党首討論において、野田総理をねぎらうようなことを言っていたはずだ。その民主党政権を全否定するのなら、自分自身も逆境に強くあるべきだと思うのだ(消費税の引き上げに本当は反対であったのなら、それも貫くべきであった)。薬で抑えられるはずの持病をストレスで悪化させたのなら、そう言わざるを得ない。コロナ対応を見て、安倍内閣こそ悪夢だとする声もあった。しかし悪夢などという表現はそもそも、ごく限られた期間しか見えていないか、過度な単純化をしなければ出てこないはずだ。

内閣総理大臣は自衛隊のトップでもある。全国民の命を預かっている。「強いストレスに耐えられる心と体を持つ人がなるべきだ」というのははたして差別だろうか。行政、立法(過半数を上回る、与党第1党の党首として)を動かす人物、しかも強力なバックボーンがある人物に対して、このようなことを言うことができないのなら、すでに恐怖政治が始まっているのだと言わざるを得ない。

たしかに安倍内閣を否定する人、そうでなくてもただ茶化したい人達の中には、ひどい表現で病気を揶揄する人がいた。彼らにも問題はある。総理個人に関する「風刺」ならばよほどのものでない限り許されるべきだと思うが、同じ病気を抱える一般の人々が傷つくような表現には、慎重であるべきだ。やり過ぎれば、かえって自民党に対する支持を強めたり、政治的な自由を失わせる格好の材料を提供することになりかねないから、注意が必要である。

最後にもう一つ、物事は誰が得をしているか、ということも見なければいけない。安倍は総理の最長記録を「無事」に達成し、後継を決め(その過程でどの程度影響力があったのか、正確なことは分からないが)、その後継に影響力を持つだけの余力を残し、トランプ敗北、オリンピック中止、新型コロナのさらなる深刻化、それによる、得意分野だった経済における不振、さらには自らのスキャンダルの再浮上といった、内閣に大ダメージとなる事が起こったとしても、直接向き合うことを、辞任により回避できた(自身のスキャンダルで自民党離党、議員辞職、逮捕といったところに追いつめられることはないだろうから、安倍個人は超有力議員ではいられるだろう)。さらには内閣の支持率が上昇すらした。考えすぎかもしれないが、でき過ぎている。

また最後の最後で、批判を招く(筆者は賛成だが)敵基地攻撃能力の保有に道を少し開くこともできたようだ(本当にそう言えるか、まだ分からないが)。改憲勢力が両院で3分の2を超える中での(公明党が怪しいとはいえ)、憲法改正の未達成を、批判する声も目立たない。民主党系の体制が整っていないうちに(これは民主党系にも問題はあるのだが)、かつ内閣支持率が高い中、衆議院を解散できる状況(本来は解散権の乱用だし、新内閣がしばらくは続いていなければ、選挙になっても評価できないのだが、日本ではなぜか、就任直後の解散は、「国民にも選んでもらう」という良い事として受け入れられる。本当は選挙で政権を選んで、しばらくしてから、それを評価するべきものなのに・・・)。

以上である。とにかく安倍の辞任は、自身にとって良いことずくめなのだ。菅義偉内閣成立後については、また改めて述べる。

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