日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
補足~桂新党(立憲同志会)結成までの出来事~

補足~桂新党(立憲同志会)結成までの出来事~

2012年(大正元年)

12月 5日 第2次西園寺内閣の総辞職が決定

12月14日 交詢社(福沢諭吉らが結成した社交クラブ)の有志が憲政擁護会を結成。立憲国民党、立憲政友会の議員も参加し、護憲運動が広がっていく。

12月17日 桂に大命降下。桂の、立憲政友会の協力は望むが働きかけはしない姿勢を受け、同党が護憲運動に傾いていく(有志が参加していたが、執行部もそれを容認、事実上同調する方向へ)。

12月21日 第3次桂内閣成立。

12月23日 旧又新会残留派を含む無所属議員36名が衆議院会派、同志会を結成。

2013年(大正2年)

12月27日 第30回帝国議会開会。年末年始のため1月20日までの休会を議決。

1月19日 立憲国民党が党大会。宣言について立憲政友会と薩長閥のどちらを主敵とするかで数日前より混乱。非改革派の犬養らが後者の色を強めた修正をし、強硬姿勢をとった事で、改革派等の離党が決定的になった。

(19日)の宣言に関する不一致を露呈(薩長閥と立憲政友会)。

1月18日 幸倶楽部(貴族院の山県-桂系の連合体)が桂新党参加見送りを決定。

1月20日 桂総理が記者会見で新党結成を発表。立憲国民党からの参加者が離党を決定。この頃、衆議員の党派にも切り崩し工作等(21日付読売新聞は立憲政友会から60、立憲国民党から65名、同志会の大部分、中央倶楽部全員が参加すると予想・・・この通りなら合計195弱―弱は同志会の一部不参加者の分―で衆院の過半数である191と同水準)。

1月21日 桂総理、議会に向けた準備を整える事を理由に2月4日まで帝国議会を停会に。この頃、同志会が桂新党参加について一致できず解散が決定的に。

2月 4日 立憲国民党の桂新党参加者が離党。

2月 5日 立憲政友会が内閣不信任決議案提出。桂総理は議会を9日まで停会に。

2月 7日 桂総理が立憲同志会の組織と宣言を発表。

2月 8日 桂総理が西園寺立憲政友会総裁に不信任案の撤回を要請。

2月 9日 内閣不信任案の撤回を求める事を意味する勅語(総理大臣、関係大臣の副書が必要な詔書とは異なり、直接の法的効力はない天皇の言葉)が出される。

2月10日 山本権兵衛(海軍・薩摩系)が桂総理に辞任を要求。西園寺が立憲政友会の総裁辞任を決断(原敬が慰留。明確な辞職は原が総裁に就任した1914年6月18日)。立憲政友会が内閣不信任決議案に賛成する方針の維持を決定。桂総理が内閣総辞職を決意し、12日まで3日間、帝国議会を停会に。その決意を知らない国民が警察署、交番、桂内閣寄りの国民新聞社を襲撃、焼き討ち。

2月11日 第3次桂内閣の総辞職が決定。

2月12日 山本権兵衛に大命降下。

2月15日 桂新党結成の基盤となる衆議院会派、無所属団結成(87名)

2月19日 立憲政友会が議員総会で山本内閣援助を決定。

2月20日 第1次山本内閣成立。

2月24日 政友倶楽部結成。桂新党(立憲同志会)の議員総会で綱領と政策案議決。

3月17日 同志会が亦楽会に改称。

10月10日 桂太郎死去。

10月31日 後藤新平が桂新党を離脱

12月19日 亦楽会と政友倶楽部が合流し、亦政会を結成。

12月23日 立憲同志会(桂新党)結党式。加藤高明が党総裁に就任。

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