日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
歴史・冷戦後編No.8~13

歴史・冷戦後編No.8~13

歴史・冷戦後編No.8

こうして見るとやはり理念や政策よりも感情で物事が動いていたと思います。変化の時代にあり、争点は本当はあったのに、争点がないと言われていた事を思い出します。変化の時期にすら、総選挙による変化が起こらなかった(起こせない制度、状況だった)ことが背景にあると感じます。

 

歴史・冷戦後編No.9

1997年頃には、自民党も分裂し、理念や政策に基づくいわゆる「ガラガラポン」が起こる事を期待していました。しかし結局自民党は優位政党の地位を守り、守ることを優先し、非自民側でのみ離合集散が続きました。

 

歴史・冷戦後編No.10

1998年の参院選は自民党の勝利が確実で、93年頃からの変化もほぼ無駄になったと当日まで思っていました。選挙権を得て初めての国政選挙だったので、その結果と合わせて感動、興奮したものです。その後はまたハラハラしながら見ることになりましたが・・・。

 

歴史・冷戦後編No.11

振り返ってみると2大政党制への移行がうまく進んだ時代でしたが、実際には野党は厳しい状況にありました。それを乗り越えて進めたのは、55年体制終焉の記憶が新しく、変えなければいけない、与野党を対等にしなければいけないという考えが根強くあったからでもあると思います。なお、2大政党制とするには公明党の議席がやや多いという見方もあると思いますが、どうであれ公明党は自民党陣営として良いと考えます。

 

歴史・冷戦後編No.12

民主党が曖昧さを持ったまま、野党間の協力で、なんとか守旧派っぽく見える自民党に勝利し、早期に一度与党第一党を経験するという事があっても良かったと思います(加藤の乱が成功しても良かったかも知れない)。何でもありの優位政党の存在が前提のはずが、体力もある優位政党がいきなり変化したのだから、野党第一党には酷な状況であり、日本の政党制の進歩が妨げられた面はあると思います。

 

歴史・冷戦後編No.13

公明党が常に強い政党に協力する事の例としては東京の都ファ、限定的とは言え大阪の維新が挙げられます。民主党政権が安定的に続けば民主党にも接近していたと想像します。加藤の乱について、私自身は自民党の分裂に期待せず野党を育てるべきだという考えです。

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