日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
野党候補の統一予備選挙

野党候補の統一予備選挙

それでは、橋下徹らが唱える、野党による候補者予備選挙についてはどうだろうか。

予備選挙とは普通、一つの政党において、各選挙区の候補者を、その選挙区に住む党員等が、選挙で選ぶというものである。自公vs非自公という対立になり、非自公の諸政党が候補者調整をするのなら、党執行部間の話し合いによる調整ではなく、候補を立てたい党はとりあえず仮に立てて、あるいは各党から出馬したい人が名乗りを上げて、その「候補者候補」から、各選挙区の人々が、野党統一候補を選挙で選ぶというのが、野党全体の候補者予備選挙だ。これが、橋下の考えと完全にイコールか確認していないが、そういうことであると思う。

小選挙区制は普通は2大政党制をもたらすし、そうでなくても、例外は特定の地域を基盤とする、強い政党がある場合にほぼ限られる。その強い地域政党というのは、特殊な事情を抱えている地域に住む人々を、より全体的に代弁する政党であることが多い。維新の会の場合、【大阪が他の地域と違う民族、宗教、あるいは言語である】などということはないから、「特殊な事情」というのには当てはまらない。それに維新は全国展開に動いている。広く支持されてはいても、「全体的に」という面は、それゆえに小さい。

そして筆者が知る限りだが、強い地域政党を含む野党連合が必要になるほど、1つの政党が強い国はない(※)だから小選挙区制を採っているからといって、野党間の連携が日本のように重要であるという国はない。

小選挙区制の下での選挙協力と言えば、イタリアのオリーブの木が有名だ(現在では選挙制度が改正されている。イタリアについては『他国の政党、政党史』「イタリア」、『政権交代論』「日本と似ていたイタリア政治」等参照)。しかし優位政党が雲散霧消し、北部、中部、南部など、大政党にも地域的な偏りがある場合が多かったたイタリアでは、理念、政策が近い、つまり比較的「仲が良い」政党、あるいは最初から地域的なすみ分けが容易な政党が集まるものであった。強さが同じくらいの3つ、後に2つのブロックが争ったのであり、対等な1対1の構図にまとめることが難しい日本とは状況が全く違っていた。日本の場合、維新には大阪の政党という面が大きくはあるものの、前述の通り全国展開に動いている。そして民主党系と共産党も、【大阪は維新、他は民主党系と共産党】というすみ分けは、認めないだろう。それを認めるには、理念や政策があまりに異なるということも、当然ある。

日本の場合は、もともと優位政党である自民党に、強力な組織票を持つ公明党もぶら下がっている。だから他が全部まとまるくらいでなければ、とても自民党には勝てるものではない。そこで各選挙区で野党統一候補を決め、連立政権を目指すという考えがでてくるわけである。これなら、自民党のライバルとなる政党を無理に決める必要はない。

各選挙区で、非自民陣営全体の候補者予備選挙をやる場合、一つの政党だけで予備選挙をやるのと違って、誰が投票権を持つのか、各党の党員・党友(サポータ)なのか、全有権者なのか。といった問題がでてくる。全有権者だと、自民党員も投じることが出来て、例えば共産党の候補者候補を勝たせて、実際の選挙を自共対立という、自民党に有利な形に持っていく、というようなことも可能となってしまう。またそのようなことを可能にするために、自民党の支持者が、とりあえずハードルの低い、野党のサポーターなどになっておくということもあり得る。選挙権のない外国人が投票権を持つのも問題だが、こちらも大問題だ。まさに外の脅威と内なる脅威だ。

なお、補足として挙げると、維新の党が2015年に分裂した頃、代表選についても問題となっていた。国会議員の数では劣勢であったものの、地方議員の数では優勢であった大阪派(維新の会出身者が中心)と、その反対であった執行部派(結いの党、民主党出身者が中心)が、代表選のルールについて対立した。これは一つの政党の中で起こったことであるが、出身政党の違いによる対立でもあったから、参考になるはずだ。

筆者の考えは次の通りである。投票資格を、一定期間、共闘野党のいずれかの政党の党員・党友であった者とする。そしてそれだけでは党員・党友の多い(組織の強い)政党が有利なので、加えて、短期的に見れば党費より高い額の、参加費を払う者とする。この参加費についてはどの程度高くするか、良く考えなければならない。お金を取らなくても、与党側の人間ではないことが分かれば良いのだが、なかなか難しいだろう。一定の手間がかかる方法にしても良いと思う。一般の選挙では全ての有権者が簡単に票を投じられることが重要だが、野党内でのこの選挙は、費用、手間についてハードルが多少高くても、公正さを確保するための最低限のものであるならば許されるだろう。公正さを確保した上で、障害者や国外滞在者の参加を容易にする努力をする。

集まった参加費は、当選した候補者の選挙費用にすれば良いと思う(法的に可能か確認していないが、実現できないことではないだろう。そう考えると、特定の党ではなく、イコール共闘野党の枠組みである統一候補に献金する、「野党共闘サポーター」とでも呼ぶべきものをつくるのも良いだろう。

すでに述べたことだが、各党が結果を受け入れられるか、ということも問題である。維新の会が、共産党の候補、共産党が維新の会の候補を、予備選で勝ったからといって支持できるのか、支持したとして、支持者はついて来るのか。やはり難しい(維新は共産党を外すことを望むだろうが、それではそもそも完全な野党統一候補にならない。共産党を外して維新を入れた方が票が取れる、まだましであるという意見もあるだろうが、それはこれまでの野党の歩みを踏まえれば、不誠実極まりないことだし、左の票、維新を嫌う票がそうとう離れるはずだ)。

それだけではない。落選した候補者候補には、無所属でも出馬するという者もでてくるだろう。第1、2党が対等な場合、これはたいした問題ではないが、そうでない日本では、野党統一候補の票がそれによって少し目減りするだけで、自民党にさらに勝ちづらくなる。落選した候補者候補が、やはり結果に満足しない党(の支部)の支持を受けて、出馬するという危険もある(各党執行部による非民主的な調整で決まるよりは、そういったことがしにくくはなるだろうが)。こういったことが起こると、予備選をやらなかったのと同じ状態になりかねない。

さらに付け加えれば、2016年の参院選で左派野党の統一候補となった桜井充は、左派野党間の連携を進めて仲介した市民団体との協定書に、調印までしているのに、自民党の会派に移った。民進党の分裂、立憲民主党と国民民主党の再統一を巡る駆け引きの中で不満を強めたのなら、そのこと自体は責めるべきことではない。しかし参院選の時からの対立陣営に移るというのは、信じ難いことである。協定書には重要政策について、自民党と正反対の内容の記述が並んでいる。新型コロナを理由にして移るというのは、不謹慎でもあるし、論外だ。選挙を冒とくしているということで、筆者はそのような議員を「反選挙派」と呼んでいる。こんなことが起こるようでは、予備選以前の話だ。筆者はなんらかのペナルティを課す法律があっても、1党優位の日本の場合は仕方がないと考えている。

以上のような問題があるのだから、それを少しでも小さくするため、たとえ「非民主的」、あるいは強引であっても、各党幹部の調整によって、信用できる人物に一本化しようというのも無理はない。橋下の主張はもっともだが、野党の苦境に対する理解が足りないという面がある。予備選もやるが、徹底はしない。そのような自民党は、良くはなくても賢いとは言える。それに対して、非自民陣営はここでも、2つの路線に割れてしまう。これが現実だ。だから皆が妥協したり、工夫したり、とにかく努力をしなければならない。

また、地域ごとに非自公の状況は大きく異なる。例えば、近畿地方の予備選で維新の会がほぼ全勝するようなことがあれば(現職優先としなれば、民主党系の現職が維新の候補者候補に敗れることもあり得る)、それは維新以外の野党の、近畿地方における勢力を著しく弱めてしまうだろう(もっとも共産党はある程度持ちこたえるだろうし、すでにそのような状態になっているとも言えるが)。長期的に協力し、合流も視野に入れるのならそれでも耐えられるかも知れないが、そうでなければ厳しいだろう。

他にも、左派野党の組織票、維新側の橋下らのテレビ出演による、それぞれの候補者候補のサポートについて、組織と人気でバランスがとれるとするか、不公平だと捉えるか、といった問題もある(予備選に公職選挙法は適用されないから、それ以外にも多くのことができる)。国民の関心を引き付けるには、非自公一体の「メディアジャック」が最も有効であるが、それを自民党が許すか(つまり「中立であれ」、「バランスをとれ」と、報道に圧力をかけてこないか)、非自公の各党にできるか、なども問題である。

非自公を応援する有権者も、理念、政策に関係なく、共産党の候補に決まれば共産党の候補に、維新の候補に決まれば維新の候補に投票しなければならない。「とにかく自民党を崩壊させて、新しい段階に進むためだ」とか、「維新から共産までを含む連合を長く継続させて、それぞれの理念を生かした連立政権を形成し得る」というビジョンや希望がない限り、不自然さばかりが目立ち、野党にもその支持者にも、特に自民党を倒した後に不満が広がってしまう。

公明党が、本来中道左派政党(つまり社民的)であるにもかかわらず、自民党と組んでいるという、ねじれも本当に問題である。本来、公明党が右傾化して自民党について行く場合、従来の支持者の多くが離れるはずが、信仰に基づいた支持であるため、あまり離れない。公明党が自民党にブレーキをかけているから、極端な右傾化等がおさえられているという理屈で、本来は比較的近いスタンスの有権者(公明党支持者の多くと、左派野党の支持者の多く)の票が、左派陣営に結集することが阻まれている。これは野党統一候補の予備選挙の結果をも、本当はねじ曲げるものである。もはやしかたのない事だし、筆者はあきらめてはいるが、このような大変な矛盾が、広く受け入れられていることを、もっと問題視しなければいけないのかも知れない。しかし現実的には、公明党を「何でもありの自民党政治」という枠に入れて、対抗するしかないと思う。そうであればなおさら、非自公の「野合」が重要になる。

「第2党コンクール」をするにしても、候補者予備選挙をするにしても、本来は「何を目指すのか」というのが重要だ。だから筆者は非現実的であることを認識しつつ、各選挙区で結果が異なる候補者予備選挙よりも、第2党コンクールをすべきだと思うのである。自民党(自公連立)のあまりに何でもあり、何でも屋の姿勢では、それに対抗する勢力が、路線を定めるのは難しい。それでは、自民党は一応は保守系なので、人権を守るためにも、監視役としては左派勢力が必要なのだと、個人的には思っている。五十五年体制に戻り、政権交代が余計に遠のくというリスクは、確かにあると言える。それを小さくするためにも、人権を踏みにじる危険がある社会主義は、捨てる必要がある。共産党は変わったと思うが、野党がまとまるためにも、さらに一歩も踏み出すべきである(追記:社民党が消滅したに近い状況となると、なおさらそう思う)。

Translate »