1-33民進党の分裂に就いて1.政権交代論

国民民主党、無所属の会とは何か、新しい希望の党とは何か

2018年5月、民進党と希望の党が合流し、国民民主党が誕生した。多党化を止めるためには、分裂した旧民進党系の整理は必要であった。特に民進党、無所属の会は、とりあえず残留した議員達という以上のものではなかった。2017年、自民、公明、こころ、民進、希望、維新、立憲、共産、社民、自由と、またまた1強多弱に逆戻りをし、さらに無所属の会、国民の声という会派も生まれた。民進党と希望の党が合流はしても、その前に希望の党が、国民党と希望の党に分裂していた(希望の党は、国民党―衆院のみ36名-と希望の党―衆院2参院3名―、無所属―衆院のみ13名―に分裂し、国民党が民進党に合流し、それに伴い、民進党が国民民主党と改称した)から、1党多弱は変わらず、むしろ、第3党だと言える希望の党→国民民主党が縮小し、無所属議員が増えたという点で、1強多弱化が進んだという面すらある(無所属の会のうち、離脱して国民民主党の結成に参加した3名、民進党出身でない1名、すでに民進党を離党していた議員を除く全員が民進党を離党した。希望の党にも合流に参加しない議員が多く、野党-非優位政党-合流の際の、取りこぼしの伝統も健在であった)。今後、立憲民主党に合流する議員が続出すれば、1党優位性が、非常に強い中でわずかに弱まることになるが、弱い党派の数が多いという点は変わらない。

希望の党の失速についてはすでに見た。簡単に言えば、自分が総理大臣になることしか頭にないように見えた小池知事の思いあがった振る舞い(あるいは少しの失敗も避けようとしたことによる振る舞いか)のせいで、希望の党は失速した。散々小池と若狭を持ち上げたマスメディアが、突然手のひらを返したのだが、小池、若狭のあのはしゃぎ方を見れば、マスメディアを責める気持ちも、多少薄まるというものだ。責めるべきは、「落とした」ことよりも、その前に「持ち上げた」ことだろう。1党優位の枠組みの中で、自民党の混乱に興奮するのは、「1党優位病」の深刻な症状だ。

希望の党の不振は、同党の、数多く用意された小池系の候補者達の当選を許さなかった。当初から民進党の候補でもなく、民主党→民進党出身でもなかった当選者は、伊藤俊輔、比例区の順位で優遇された井上一徳(比例の順位で優遇されたため、自身より惜敗率が高かった候補を差し置いて、復活当選をした)と中山成彬(比例単独1位という優遇を受けた)だけであった。ただし中山は日本のこころ系である。参議院議員は3人のままで、皆小池系だと、言おうと思えば言えたが、2人は民主党→民進党の出身であった(1人は日本のこころ出身)。

さっそうと登場し、民進党に乗っ取られそうになり、かろうじて主導権を維持したところ、本当の仲間がほとんど当選を果たせず、本当に「第2民進党」になってしまった。しかも有権者の判断によって。コメディのような話だが(いや、悪夢か?)、希望の党を笑おうというのではない。重要な問題を確認したいのだ。それは、自民党に対抗する政党をつくるためには、少なくとも現行の選挙制度の下では、結局、既存の第2党を排除することも、軽視することも許されず、その力を借りなければならないということである。「ぽっと出」ではだめだということである。既成政党の議席、基盤を継承し、既存の第2党と合流せずとも衆議院第2党となることができた新進党ですら、それができなかったから、1996年の総選挙で、かつての第2党の後継政党だと言える、民主党と共倒れをし、躍進することができなかった(1995年の参院選は、民主党結成前であり、以前の第2党であった社会党があまりに弱っており、共倒れは少なかったが)。

希望の党に参加した民進党系の議員には、民進党の決定に従ったという面があることは、忘れてはいけない。入党の条件も、小池サイドが譲歩し、安保関連法案については「容認」から「憲法に則り適切に運用」となり、「不断の見直しを行」うことが付け加えられた。しかし、法律を適切に運用するのは当たり前であり、具体的にどういうことであったのかは分からない。それをよく確認すべきであった。協定書にあった外国人の地方参政権に反対することは、かつての民主党の姿勢とは明らかに矛盾していた。筆者は、民進党からの全参加者が完全に変節したとは、言わない。しかし、変節した議員もいるはずだ。民主党を離党して維新の党に流れ着き、民進党を経て今度は希望の党に、特に意気揚々と参加した議員については首をかしげたくなるし、その上、早くも国民民主党から立憲民主党に移ろうとするのなら、疑問を呈さずにはいられない。

協定書にサインをした議員は、それを貫く主張をするか、不本意であったのなら、サインしたことを、国民に謝罪するべきだ。安全保障政策について、小池側が多少譲歩しようと、大事なのは理念である。確かに、民進党系は希望の党を乗っ取った。しかし、それは結果論であるし、小池側を支持して比例票を希望の党に投じた有権者もいるのだから、そのような有権者に対する裏切りである。小池、そして日本のこころをはなれた中山恭子と民進党とでは、あまりに距離が遠い。片方の一方的な解釈だけではなく、双方が同席して、このことについて記者の質問に答えるなど、するべきであった。なんでもありだというようにしか見えなかったことが、民主党政権の失敗に負けないくらい、国民を失望させたと思う。だからこそ、左派(立憲民主党)が躍進する一方、右派(希望の党→国民民主党)がいつまでも、ほとんど支持をされないのだ(新しい希望の党についても、同同様である)。

国民民主党の玉木雄一郎代表の路線には、筆者は共感を覚えた。それは、平等を重視しつつ、外交、安全保障では専守防衛の枠内で現実的な路線を採り、「対決より解決」を掲げたことである。ただし野党陣営では、信頼があればこそだ。国民民主党の議員達は、希望の党という保守政党の人気を見て、自由、社民、共産党との「左派共闘」を勝手に反故にしようとした議員達である。そのような議員たちが「対決より解決」と言い、立憲民主党等が採決を拒否している法案に、採決を容認して反対すれば、賛成するのでなくても、自民党、あるいは日本維新の会に寄ろうとしていると、思われても仕方がない。本当に、自民党に対抗しつつ「対決より解決」したいというのでなければ、まずは、左の陣営における、信頼回復に努めなければならない。それだけの失敗はしたのだ。

民主党はもともと、保守2大政党制への移行に抵抗するものとしても、誕生したのだと言える。立憲民主党も同様であったから、離党者による政党であるとは言っても、民進党が改称する形で結成された国民民主党よりも、正当な、民主党の系譜だと言える。国民民主党はそれを認めた上で、野党陣営における、自らの主張の反映を図るべきだ。また国民民主党には、2016年の参院選において、共産党の協力を得て当選している議員がいる。彼らは特に、共産党に配慮する必要がある。

共産党といえば、共産党を含めた、野党間の協力(民主党、維新の党、共産党、生活の党、社民党の協力体制)を築き、離党した大阪派を除くものの、維新の党との民進党の結成を実現させた、岡田克也民主党→民進党代表(当時)の功績は、大いに認められるべきである。そして、当選するために戻りたいというような、民主党出身者でないにもかかわらず、維新の党を共産党との連携、民主党との合流に導いた、つまり第2極と第3極を結んだ江田憲司も、高く評価されるべきだと思う(両氏とも、批判される点がないという意味ではもちろんないが、これらの功績は格別である)。

しかし、今は本来の第2極の再統一+そこにできる限り多く第3極を取り込むことが課題だから、以前とは違う。民進党の結成と、新たな形での再興とでは、求められる動きも違うのである。無所属の会や無所属の民進党系のベテランには、プライドも理念も捨てることを厭わず、立憲民主党への合流、自身の政策の立憲民主党への注入の試みによって、他の野党議員の模範となることを期待したい。それは小池百合子や、早々と民進党を離党して小池の陣営に移った議員達の「またをくぐる」のとは全く違う、崇高かつ合理的な行動だと思うのだ。

希望の党の分裂によってできた、新しい希望の党は、分裂前と同名ではあるが、ミニ政党であり、問題にする必要もない。メンバーを見る限り、「第2日本のこころ」である。政策はそうでもないことが、また分かりにくいのだが、ともかく、自民党の右にミニ政党は2つもいらない(と言っていたら、日本のこころの、自民党への合流が決まった)。

最後に、総理大臣候補を明確にしなかったことも、希望の党の失速に貢献している。排除発言との二本立てと言って良いだろう。この事象には、日本の政党政治の悪いところが凝縮されている。

希望の党は、定数の過半数の候補者を擁立し、自民党に対抗し得る政党になろうとした。それなのに、総理大臣候補は内緒というのでは、有権者は自民か希望かという選択をすることが出来ない。悪質なのは、まだ決まらないというニュアンスではなく、まだ言えないというニュアンスであったことだ。少なくとも筆者はそう受け止めた。いずれにせよ、有権者を馬鹿にしているといえるが、ワイドショーはわくわくするというスタンスで、当初取り上げていた。これは古いセンスである。希望の党が総理大臣候補を決めなかった理由の1つは、自民党を割る、1993年の政権交代劇に似たものを想定していたからだとみられる。昔はこのような駆け引きを楽しみ、政治家の腕の見せ所だと、好意的に見る向きもあった。しかしそれでは、政権選択の選挙にはならない(細川内閣成立の時は、その前の総選挙が行われる前に、自民党がすでに分裂していた。しかし2017年の場合は、希望の党が伸びて、自民党と非自民党陣営がある程度拮抗すれば、という前提があった。そそしてそれでも、自民党が分裂するかは定かでなかった)。それに小池は、細川、羽田両非自民連立内閣よりも、自社さ連立政権を例に挙げた。筆者の見解は異なるが、一般的には、与党になるためなら何でもありの代名詞となっている連立政権である(小池は当時、非自民党陣営にいた)。これは自民党(の一部)と組み得るというだけではなく、右派左派関係なく組むと言っているようにも聞こえるものであった。左派を排除する姿勢が、単に自分の主導権を脅かす議員を容れたくないのだと見られるのに、一役買った。単に希望の党が自民党と組むということであっても、それこそ、その可能性があることくらいは、選挙前に明言すべきであった。自民党に対抗するのと協力するのでは、票を投じる人が違ってくるはずだ。あいまいにしておいて、どちらの支持も得ようとするのは、あまりに不誠実だ(築地市場の移転について、築地も、移転先の豊洲も、両方活用すると発表した、小池らしくはあったわけだが)。

総理大臣候補を明らかにしなかったもう1つの理由は、知事になって1年余りの小池が国政に転ずることが、小池、小池新党の支持率を大きく低下させる危険があり、それを乗り越えるだけの、新たな都知事の候補も見つからなかったことにある(小池は国政に出る気がなかったという見方もあるが、筆者にはなかなか信じられないし、それならそれで、誰を総理大臣候補にして国政を任せるのか、明確にすべきであった。その人物を共同代表にしなければ、政権を得た場合、総理大臣が、党内では都知事の部下であるということになってしまう)。小池が、自分より支持される総理大臣候補を生むことで、自らの人気や影響力が、低下することを忌避していたのか、そのような優秀な議員が希望の党にはいなかったのか、どちらであっても、困ったことだ。

一方で、若狭勝の、政権奪取は次の次の総選挙で目指すという発言自体は、とても真っ当なものであった。有権者に政権選択の機会を与えないことは、小池サイドが民進党をぼろぼろにするのに一役買っていたことを考えれば、非常に無責任ではある。しかし、中身の無さを人気で覆い隠し、チャンスばかりうかがって、はじめから他党に手を突っ込むことばかりに興じるくらいなら、一気に政権を得ることなど考えないで、着実に一歩ずつ、歩むべきであった。次の次で政権交代を目指すということ自体は、1党優位の日本では、(残念なことではあるが)許されなければならないことだし、むしろ覚悟と根気を示すことになる。民進党に手を突っ込んでおいて、若狭のこの発言を問題視したらしい小池百合子は、やはり不誠実である。