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新自由主義とナショナリズムと、維新の会の野合、独裁

「東京とそれ以外」から成り立っている日本において、東京から離れている大阪は、明らかに不利である(ITの発展とそれによる変化で、状況は少し変わってきているが、競争が激しくなれば、現在ある格差が広がるということもあり得るから、安易に有利になるとは言えない)。だからこそ大阪にはなお、強いアイデンティティ・愛郷心があるのだろう。欧米において、社民系と左傾化した保守系による政治が行き詰まる状況下、サッチャー政権やレーガン政権が現れ、新自由主義化したように、大阪では橋下政権が生まれ、新自由主義化したのだ。サッチャーやレーガンは伝統重視であったが(サッチャーの場合、新自由主義の負の面が、フォークランド戦争による愛国心の高揚で覆い隠された)、維新の会は愛郷心が土台となっている。だから反対の声が広がりにくい。大阪の外から批判されると、反対に支持、結束が強まるようですらある。

新自由主義的な政策は、やらざるを得ないと同時に、負の面も小さくはない。国政においてはすでに、新自由主義的政策による格差拡大が問題にされている(特に小泉内閣期)。だから社民的な政党も必要で、それらが互いにチェックをし、交互に政権を担うべきだというのが、筆者の立場である。欧米の基本である。この基本も崩れつつあるようだし、地方自治となると地域性があるので、国政のように左右の大政党が対峙しているわけでは、必ずしもない。しかしそこにも、その地域ならではの対立軸はあるものだ。全てではないし、確かめたわけではないが、筆者が知る限りではそういうところが多い。そして変化は、基本を踏まえてからでないと危うい。

このように基本を重視する筆者だから、維新の会について、次のことも問題視せざるを得ない。それは前にも述べたことだが、新自由主義とは正反対の鈴木宗男を、大阪以外への勢力拡大のために公認したことである。東京の音喜多駿のあたらしい党、北海道の鈴木の新党大地というように、他の地域政党との連携は、地域政党を基盤とする維新らしくもあるのだが、セクハラ疑惑で立憲民主党を離党した青山雅幸を会派に入れた(比例選出の議員なので入党はできない)ことについては、本当に分からない。

疑惑を持たれたことで離党した議員が、そのことがまだ解決していない(青山は事実無根だとして、訴訟を起こすとしていた)にもかかわらず、立憲とは政策等が大きく異なる維新の会派に加わったことには、本当に驚かされた。しかも立憲と書かれた票の力で当選した、比例選出の議員がである。維新の会は丸山穂高(「維新の会のカラーと丸山、長谷川「ダブル失言」」参照)、下地幹郎(カジノに関する収賄疑惑-本人は否定-)を除名したことで、法案提出に必要な10議席を割り込む危機にあったが(総選挙で11議席獲得したものの、丸山除名で10議席となり、自民党議員の死去に伴う補選の勝利で11議席に回復していたから、下地を除名してもまだ10議席で、ギリギリ大丈夫であったが)、原理原則に忠実な党であるというイメージ(筆者だけだろうか)を自ら壊すようなことをするとは、本当に驚いた。選挙に強い議員ではなさそうだから、次の選挙に特に有用だとも考えにくい。

このことはあまり報じられていないから、うまくやったと維新は思っているのかも知れない。かつての維新の会は、他党を吸収することによる党勢拡大に熱心であった(石原慎太郎を党首とした、たちあがれ日本系を吸収、これと別れて結いの党と合流)。それには懲りたようだが、こんな形で議員を一人ずつ入れていく作戦なのだろうか。立憲民主党中心の野党合流への不参加者を吸収することも、否定こそしているものの(松井代表が前原議員との勉強会に関して聞かれた時も、野党再編を選挙互助会だとして否定するような発言をしている)、あり得るのではないかと、筆者は見ている。このようなことは、リアリズムと言えば聞こえは良いが、それでは自民党と変わらないし、青山議員の件は、丸山を入党させたN国党を批判できない。

このことと関連して、候補者のリクルートについて、筆者が危惧していることを述べておきたい。人が群がってくる優位政党と違って、野党は当選しやすい候補者の発掘に苦労する。また、1強多弱なので、野党同士、なるべく候補者調整をしなければならない。さらには離合集散が比較的激しいので、同一政党内でも、候補者調整が必要になるケースが少なくない。

危惧するのは、この候補者選定において、民主党系から出馬できなくなった、または落選してしまい、他の党から出れば当選しやすいと考えた候補者、あるいは、希望するのとは別の選挙区からの出馬を求められ、それを拒んだ候補者を、維新の会が擁立するということである。その逆もあり得ないことではない。いずれにせよ、そんなことがあっては候補者調整の意味がなくなってしまう(無所属で勝手に出馬されるのも困るが、一定の支持を得ている、別の政党から出馬されるのは、野党各党にとって大ダメージとなる)。

左派野党と維新の会は理念が異なるのだから、党同士の戦略的な協力はあり得ても、候補者、議員の行き来が起こることは本来あり得ない(政党同士の合流であれば、たとえそれが吸収であっても、ある程度の調整、合流後の影響力行使があり得るから、必ずしもこの限りではない)。しかし議員の行き来は起こるのだから、現実を、この理屈に近づけていくしかない。

さらに、これは国民民主党についてだが、同党は、合流するに至らなくても、立憲民主党と選挙協力をするのが既定路線である。しかし他の左派野党がそれを信じて、国民民主党の候補者がいる選挙区に候補者を擁立しないでいると、選挙前に突然、同党が左派野党に対立候補を立てる維新の会と組む、などということがないか、心配になってしまう。

本来、国民民主党と維新の会の間にも壁はある。どれだけ現実的、あるいは改革重視の姿勢であっても、労組の党・社民系の党(国民民主党)は、新自由主義の党(維新の会)とは相容れない点が少なからずある。玉木代表の柔軟さ、明るさに好感を持っている筆者だが、心配になる(不器用な歩みをしているから、全て計算だということはさすがにないと思うが)。

国民民主党には、維新の会の影響力が強まる可能性がある大阪、その周辺の府県で選出されている議員もいる。例えば、大の共産党嫌いである前原誠司だ(京都府選出。共産党嫌いの背景には、共産党が強い京都府の事情もある。革新自治体の時代、知事が事実上社会党から共産党に乗り換えたことで、共産党が強く、社会党が弱くなったことから、社会党の流れを汲む民主党系自体にも元々、共産党アレルギーがある)。彼ら大阪周辺の議員にとっては、立憲よりも維新を敵に回すほうが怖いだろう。

まだ分からないが、国民民主党(の一部)が変節すると、他の左派野党の候補者擁立が間に合わなくなる選挙区が、少なからず出てくる。

以上の事を防ぐためには、やはり、政党がしっかりとし理念を持ち、個々の政策などについて違いはあっても、その理念や路線に、本当に共感している人物を候補とするしかない。過去のSNS等での発言(著書がある者もあるだろう)で確認することができない場合、そこからは変化しているのだという場合は、「見習い期間」のようなものを設けるべきだと思う。そんな余裕が野党にあるのかとも思うが、候補者を党員として育てる必要はある。もちろん「YESマン」を育てるのではない。一定の一致、決定したことの尊重(党首を選挙で選ぶからと言って、その党首の決定が過度に独裁的であったり、考えをコロコロ変えたりしてはいけないが)、他党、特に対立している政党へ移動しないこと。これらは政党政治家として、最低限必要なことである。時に破られることはあるとしても、それが日常であっては話にならない。

候補者予備選挙も良いのだが、他の野党に支援を求め、協定書にサインまでしながら自民党に移る議員がいることからも分かる通り、有権者、支持者に縛られる気など、内心ではサラサラないという候補は出て来得る。だから人柄、信念を確かめることは重要だ。それで、全て解決するわけではないにしてもだ。

候補者予備選挙について言えば、民主党系や維新の会で統一候補を立て、その候補を選挙で決めるという橋下の考えは正しく、全く取り合わなかった枝野立憲民主党代表の姿勢には問題があったと、筆者は思う(「これからの立憲民主党」参照)。しかし、安易にそうとばかりも言えない事情があるのかも知れない。どうであれ、「その前に自分達がちゃんとしろ」と言いたくなることがある。それは維新の党首の選び方だ。

日本維新の会→維新の党→おおさか維新の会→日本維新の会の系譜は、その地域政党大阪維新の会も含めて、党首選(維新は代表と呼ぶので代表選挙)をしたことがない(追記:地域政党の方の大阪維新の会は、都構想の再度の住民投票が否決となり、松井大阪市長が代表を辞任したことから、2020年11月に代表選を行い、吉村大阪府知事が、選挙を行うために立候補したと言える、大阪市議を破った)。大阪派の離党・除名後、維新の党は分裂前から実施が決まっていた代表選を行った。しかしこれは、今の維新(大阪派)とは関係の無いものである。なお、党首選の規定のないことが批判されていた立憲民主党も、その規定を設けた。

2017年総選挙での不振を理由に、当時まだ維新に属していた丸山穂高衆議院議員が、代表選の実施をツイッター上で求めた。すると橋下は激怒した。橋下と松井によって維新が誕生し、彼らの功績によって、大阪では必ず一定の支持を得ているのは確かだ。しかし2017年の総選挙において、大阪府の小選挙区ですら当選者がさらに減って、わずか3議席しか得られなかった不振ぶりを見て、代表選をすべきだした丸山の主張は、もっともであった。ただしそれを表明したツイートは、ちゃかすような表現であった。橋下は松井をかばうと同時に、丸山をしかったわけだが、その橋下のツイートには、「ボケ」という言葉が繰り返し使われていた。

確かに、党首選を行うかどうかと、候補者予備選挙をやるかどうかは、別問題だとも言える。しかし国民をまきこんで力にするという橋下の考えからいえば、党首選もすべきだろう。何せ政党の党首とは、その政党が第1党になれば基本的に、そして過半数になればほぼ確実に、総理大臣になるのだから。第1党になっても、党首以外の人物を総理にするということでは、あるいは他党に総理のポストを譲るということになれば、国民が選択した意義はかなり失われる。日本では国会議員しか総理大臣になれないし(変な制度ではないし、それだ特別問題だとは思わないが)、地方自治体の議員や首長は、その国会議員にはなれない。だから維新の場合、国政政党の方(日本維新の会)は、首相候補として国民に薦められる人物を代表、あるいは松井大阪市長と並ぶ、共同代表にすべきである(現在は松井が代表で、85歳の片山虎之助参議院議員が共同代表である)。

希望の党の時は、小池代表が都知事を辞めて総選挙に出るのか、または出ないのか、皆が関心を持った。しかし維新の場合はそうではなかった。それは維新の会が政権を取ることがないと、断定されたようなものである(確かに候補者数を見れば第1党になるのは無理なのだが)。だが政権を目指すというのであれば、いずれこのことが問題となるだろう。そう考えると、橋下か松井か吉村が、総選挙に出馬する可能性は、低くはなさそうだ。

橋下が言ったように、松井代表あっての維新であるというのは、確かなのだろう。だがそうであれば、党首選をやっても、維新の党員は松井を代表(党首)に選ぶはずだ(そうでないなら、よほど人望や能力がないということになる)。上で述べた問題は残るが、結果が見えているのなら、とりあえず安心して代表選をやるべきだ。そこでの議論は、絶対に党にプラスになる。松井・吉村にかわるリーダー候補がいない中で、代表選をプラスにできないのなら、あまりに質の低い政党だ(筆者はできると思っている)。

橋下は国政の維新を批判するが、これにも当然意図があるのだろう。急成長した維新には、大阪、国政を問わず、質の低い議員、あるいは優秀であっても、他の面で問題がある議員が少なからず含まれているように見える。これは2005年、そして2012年以降の自民党も同様だし、議席が大きく伸びた後には、このような問題で悩まされるものなのだ(創価学会の信者から、自ら議員を志望しないような、かつしっかりした候補者を選ぶということをしやすい公明党は、それほどではないだろうが、同党には議席を大きく伸ばす力がない)。しかし、大ベテランである片山共同代表が、熊本地震の時に大変タイミングが良いと言うくらいである(『政権交代論』「感情的なののしり合い」参照。安倍内閣にとって有利という意味。片山は、参議院の岡山県選挙区で落選した後、定年がある自民党から比例で出馬することが出来なかったため、たちあがれ日本から参院選の比例代表で立候補、当選し、日本維新の会、維新の党、おおさか維新の会と歩んでいる)。数ある国会議員の失言の中でも、筆者はこれを、最も問題のある部類だと考えている。被害に遭った国民のことを考えたら、出てくるはずのない言葉だからだ。他でいくら優秀であっても、なかなか受け入れがたい。だから新人だけの問題ではない。

橋下は、大阪の維新が国政の維新とは違う、あるいはもっと絞って、大阪府知事、大阪市長は他の党員とは違うと、印象付けようとしているのだろうか。大阪維新の人気、いや橋下や吉村の人気で勘違いをしてしまうことがないように、活を入れているのかも知れない。どうであれ、「正直に言っているな」と橋下の人気が上がることが、維新にとって、その発言自体のマイナスイメージを上回るプラスになるということは、あり得る。