日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
繰り返しの中の自民党の在り方と、野党の苦悩

繰り返しの中の自民党の在り方と、野党の苦悩

優位政党がクライエンテリズム(票や資金を出してくれる団体、または選挙区に、利益となる政治をする―利益とは、日本では許認可、補助金、税制優遇措置、公共事業、規制などだが、国によっては、もっと直接的なものもあり得る―)に染まっているのは、日本以外の先進国だと、かつてのイタリアくらいだろう。利益誘導政治というのはどこにでもあると思う。しかし通常は、政権を担う政党、遠くない将来担うであろう政党が、合わせて少なくとも2つあり、利益団体、あるいは規制の利益団体ではないものの、ある政策の実現を求めて集まった人々は、そこから、働きかける政党を選べる。自分たちの願いを聞いてくれる政党、つまり自分達と考えが近い政党を選ぶのだ。その分野に強いせいツ゚、議員を選ぶという事も当然ある。また、双方に働きかける事も多い。双方に働きかける事で、自分達の票を欲しいと思う政党を、競わせるのだ(政党、議員とは、確実に当選できるようにするために、また発言力を強めるために、よほどの相違がない限り、票はいくらでも欲しいものだ)。

これ自体は日本もそうなのだが、日本では優位政党があり、本格的な政権交代はないのが基本だ(筆者は国民が起こすものを本格的な政権交代と呼ぶが、ここでは、連立の、特に与党第2党以下の組み換えではない、【与党第1党の交代・前の与党第1党の下野】を伴うものだとする)。

そうなると、本当に実現させたいことを頼む先は、優位政党に絞られる(優位政党が決まっているのなら、他と天秤にかけるようなことはせず、そこに的を絞って頼む方が、相手からすれば感じがいい)。ただし自民党は保守政党であり、第2次安倍内閣以来、右傾化している。よって、右派的なお願い、金銭的な利益につながるお願いを優位政党が受け、それとは相容れないというものも含めて、左派的なお願いが、非優位政党に行く。後者は非優位政党に聞き容れられたところで、実現するわけではないから、政権への不満にもなる。

上で例に挙げたイタリアだが、「かつての」としたように、今では変化している。、本で自民党が分裂し、初めて非自民連立政権ができたころ、優位政党と、それにぶら下がっていた中小の政党がほぼ完全に崩壊した。万年野党であった共産党は、まずは自ら変化し、崩壊した政党の一部も吸収して中道左派政党(民主党)になった。そして新たな保守政党との間の、政権交代が定着した(ただし今は変化が見られる。イタリアについては『他国の政党、政党史』「イタリア」、イタリアと日本の比較については『政権交代論』「日本と似ていたイタリア政治」参照)。しかし日本はすぐに、自民党政治に戻ってしまい、1党優位制を抜け出せないでいる。

「自民党1党優位」と言うが、日本はその中でも1派閥優位である(イタリアのキリスト教民主党内の派閥については、筆者はほとんど知らない。いずれ調べてみたいと思う)。例外となる期間はあるものの、明治時代から優位政党であった自由党系が、自民党結成後も、早期に自民党内の優位派閥となり、その地位を長く守った。佐藤派→田中派→竹下派→小渕派→橋本派である(もう1つの自由党系が、池田派→前尾派→大平派→鈴木派→宮沢派→加藤派-加藤の乱で分裂-である)。小沢一郎らは竹下派の後継争いに敗れ、自民党を離党するに至り、非自民連立政権の中心を担った。さらにその後、民主党においても、外様ながら代表になっている。民主党が政権を獲得できたのは、小沢一郎の豊富な与党、優位派閥の経験によるところが大きい(ただし検察に狙われ、さらには自身に近い鳩山が総理を辞したことで、非主流派に転落した)。なお小渕派は、小沢らと別れたことで、他より小さめの派閥となったにもかかわらず、党総裁、総理の地位を得たことで、多くの議員(新人や復党者)を吸収し、早期に優位派閥に返り咲いた(総理獲得は、竹下元総理らの実力者が派に残っていたことと、橋本龍太郎の一定の人気によるところが大きい)。

2001年、小泉総理の誕生によって、田中派(佐藤派→田中派→竹下派→小渕派→橋本派)の系譜の優位は崩れた(その後は→津島派→額賀派→竹下派)。しかし今度は、その少し前に森喜朗が総理になっていた福田派の系譜(岸派→福田派→安倍派→三塚派→森派→町村派→細田派。当時は森派)が、優位派閥となった。優位派閥が交代しただけで、選挙制度が変わっても、自民党の1派閥優位は変わらなかったのである。

確かに、派閥の力は以前よりは弱くなり、新人教育等の機能も、結束力も低下している。しかしそれには濃淡があり、大派閥の求心力には、まだそれなりのものがある。細田派の安倍、それに続く第2派閥の麻生派の麻生、外様でありながら中曽根派の系譜を継いだ、二階派の二階。彼らを中心に自民党は動いている(追記:それは2021年の総裁選でも大きくは揺るがなかったが、二階の力は確実に弱まり、他の面でも今後本格的な変化は起こるかも知れない)。

優位派閥が交代しても、特に田中派系のお家芸であった利益誘導政治は、選挙に有効なので引き継がれている(小泉内閣期に少し弱まったが、構造自体は変わっていないと見られる)。

第2次安倍内閣以降はむしろ、自民党が右傾化したという批判が目立つ。1党優位であるから問題はあるのだが、本当の意味で政権選択が可能であるなら、度が過ぎたものでない限り、本当は問題ではないと筆者は思う。穏健保守という、無難ではあるかも知れないが、「僕たちの事が何だかよく分からない政党に見えても、とにかく悪いようにはしないから、とにかく任せてくれ」という政治よりは良いとすら思う(あくまでも政権交代が定着すればである。最近のアメリカのように、2大政党が左右に離れ、かつ拮抗していると、敗者の不満が、万年野党の支持者の不満とはまた違うエネルギーを持って、不安定になるという危険はあるが、それでも)。

極端ではないが、理念などが異なる複数政党から‘(小選挙区なら2党もしくは2陣営)、必要に応じて国民が選択できるほうが良い。国内の分断が深刻でない日本こそ、実はそれに適していると、筆者は考える。

あきれるのは麻生副総理だ。麻生派を、安倍の細田派と並ぶ派閥にして、自民党内で政権交代していくという考えを見せている。何度も述べているが、日本は小選挙区が中心だ。1位しか当選しない小選挙区には普通、自民党の候補は1人しかいない。国民は選挙に行っても、派閥で選ぶことはできない。自民党が擁立した何派かの所属議員(あるいは無派閥かも知れない)に投票するしかないのである(まさか、指示しない派閥に属する自民党候補には投票しなくていい。つまり棄権して良いということなのだろうか)。しかも細田派と麻生派は近い。つるんでもいる2つの派閥が2大政党の代わりをする。国民は派閥に注目せよ。選挙では選べないけど。というのは、いつの時代の話かと思う。

そもそも、派閥ごとに明確に理念や政策の違いがあるわけではない。傾向は確かにあるが、それ以上に、人間関係が多くの事を規定している。政党とはやはり違う。

上で、自民党をクライエンテリズムとしたが、それは多くの場合、理念を重視しないということでもある。自民党は、結成時資金的に世話にもなったアメリカの、意向を汲む政党である。当然反共なわけだが、連立を組むというようなことでなければ、共産党とも連携できる。日本は資本主義国だし、社会民主主義だって資本主義を認めているのだから、資本主義を肯定するというだけでは、あまりに幅が広すぎる。その上、権力を維持するためなら、どの政党とも組むのである。要はアメリカの機嫌を損ねないように気を付けるということ以外(それも田中角栄など、時には「してしまう」わけだが)、何でもありなのだ。

社会主義が力を失うまでは、国内の資本主義勢力が結集している意味はあった。しかしそれももう無い(あるとはとても思えないし、少なくとも優位政党の方を、気を付けて見ていかなければいけないと思う。東アジアの情勢は厳しさを増しているが、国防については本来、左右の別には関係ない―遠くさかのぼれば、また極端な社会主義勢力を除けば―)。

権力を握り、そのうま味を関係者、支持者と分け合う、何でもありの政党と、非優位政党は対峙しなければならない。このことだけで、理念、政策などと言っていられないことが分かる。理念や政策を多少なりとも明確にすれば、支持しない人もでてくるからだ。もともと少ない票が、さらに減りかねない。

自民党も明言を避ける政党ではあるが、避けることができない時には、権力のうま味でカバーしている。なんでも「前向きに議論します」などと、とにかく期待させる。いや、支持者は不満を持ったとしても、自民党と敵対することのリスクを恐れ、期待し続けるしかないのだ。そのような癒着・支配に組み込まれない国民もいるのだが、少なくとも投票所に足を運ぶ人々の中では、少数派であったし、経済が確実に成長していた時には、うまく回っているものを、壊すこともはばかられた。自民党のライバルが社会主義をなかなか捨てられなかったことも大きい。そのために不利になったのか。不利になったからそうなったのか。これは「卵が先か鶏が先か」という話である。だが、社会党に不利な条件が皆、社会党がだめだから生じたとは言えまい。

中選挙区制(1925~1994年。ただし終戦直後は一度別の制度で総選挙が行われた)も、社会党を非現実的な左翼政党に長くとどめた要因である(『政権交代論』「疑似政権交代の背景にある自民党の多様性と中選挙区制」参照)。中選挙区制は比例性が比較的高いと言われる。しかし比例代表制とは全く異なる制度だ。もし、選挙制度が完全な比例代表制であれば、新党も議席を増やしやすかったはずだし、自民党すら過半数を上回るのは非常に難しく、今とは違った展開があったかもしれない。

こうして野党だけが、現実路線か対決路線か、規模を重視するか統一性を重視するか、保守か社民か、新自由主義か利権の維持か、と態度を決めることを迫られ、合流による統一性の弱さ、逆境における動揺から、離合集散を繰り返すのである。

何でもありの自民党ではない政党に、経験不足や人材不足からうまくいかなくても、ある程度長く、あるいは何度も政権を任せ、経験を積ませ、有利な立場で人材を集められるようにすることが重要だ。これをすれば、自民党は一定期間不遇の存在となり、姿勢を明確にしたり、自己採点をする。実際に自民党は野党に転落した時、そのような傾向を見せた。野党である期間が短く、時間が足りなかっただけである。

繰り返しとなるが、自民党が右傾化したと言われることについても、筆者はあまりに極端でなければ、国民が選択しやすい分、何でもありよりもましだと考える。優位政党でさえなければ、自民党も批判を受けて危機感を持ち、右傾化自体がブラッシュアップされたはずだ。

 

冷戦後の自民党の派閥政治の、3大転機→

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