日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
小さな勝利に舞い上がる国民民主党

小さな勝利に舞い上がる国民民主党

今回の総選挙において、国民民主党が8から11議席に伸びた事、総選挙前からの小選挙区選出議員5名以外に、1名が小選挙区で当選した事は、確かに誇れる成果ではある(※)。

※ 当選したのは浅野哲。「支持政党に牙をむいた連合」で述べたように、共産党が候補者を立てても勝てるのだと主張したくて、連合が頑張ったのかも知れない。ただし浅野の茨城5区は、日立労組の力によって、2000年から2014年まで、社会党出身の大畠章宏が当選している(それ以前、小選挙区導入直後までは自民党の世襲議員が強かったが、死去した)。大畠と同じく日立労組の出身で、大畠の後継者となった浅野は、所属する民進党の決定を受けて希望の党から出馬し、比例復活で当選していた。

 

筆者は国民民主党について、微減~現状維持と予想していたので、やや驚いた。多少なりとも増える事が当然視されていた立憲民主党が減ったのと、対照的な結果になったのも印象的である。しかし、国民民主党の浮かれた様子(もともと明るさを売りにしているところはあるとしても)、手のひら返し(後述する)には違和感を覚える。

野党共倒れ回避のため、国民民主党が候補者擁立を遠慮したケースもあるだろうとは思うが、そういった所に立てていたとしても、当選はしなかっただろうし(立憲が擁立を控えない限り)、それで比例票を何議席分も掘り起こせたという事は、さすがにないと思う。そんな、わずか11議席の政党が、96議席を獲得した政党に勝ち誇れるだろうか。立憲は当然負けを認めるべきだが、それとこれとは話が違う。国民民主党が選挙前から急に批判しだした共産党も、13議席から減らしたとはいえ、ほぼ同数の、10議席を獲得している。

総選挙後の国民民主党は、確かに浮かれていた。気持ちは分かる。立憲民主党との合流協議の際、立憲の態度に悔しい思いをしたのだろう(実際にそうであったと言うべきかは別として、所属議員の多くを、立憲に奪われたという感情もあるのだろう。また民進党時代、玉木の香川県は、参院選で民進党が唯一、共産党に譲った1人区であった。衆議員香川1区を選挙区とする小川淳也は、この決定を受け入れ、順応した。しかし玉木はそうではなかったようだ)。

しかし立憲の態度の背景には、玉木が喜んで参加した希望の党の、排除騒動がある(希望の党に排除された議員が立憲民主党を結成、参加したという面がある)。こうやってさかのぼれば、どっちもどっちという事になるはずだ。国民民主党を民社党の流れだと捉えるなら、さらにどんどんさかのぼることができる。1998年、党名も党首も変えない民主党(社会党系)に、新党友愛(民社党系)が合流したとか、1959年、社会党の左派が、西尾派(民社党)を社会党から追い出したのではないのかとか(この時も、社共共闘路線を採用する事に、右派の西尾派が反対するという事があり、時代が繰り返されている面がある)、いやそもそも戦前に、などと切りがなくなる。

 

昨日までいた陣営をけなして見せる玉木代表→

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