日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維新も嫌で、小池都知事と自民党へ?

維新も嫌で、小池都知事と自民党へ?

玉木・国民民主党が右の陣営に入る場合、まずは新参者として、「敵軍を離脱して良く来たな」と、受けれてもらう立場になる(なにせ、つき物がとれたと自己分析しているのだから)。だからと言うべきか、ついにと言うべきか、国民民主党は、岸田内閣の2022年度予算案に賛成した。筆者の玉木への好感情は完全に吹き飛んだ。しかし世間では、立憲が失敗した「悪者」になっている。左派野党には「なんでも反対」というイメージがあり、その反動で、野党が予算案に賛成しても良い、いや、「新しい!」、「いいじゃないか!」という声さえ聞こえる。過半数が支持しているという、世論調査の結果もある。しかしこれのどこが新しいというのだろうか。これを新しいと言う人は、日本の政治があまりに古く、遅れたところに留まっているために、後退するような変化でも、新しいと感じてしまうのではないだろうか。

野党が内閣・与党に、対案とも言える要求を突きつけ、国民にアピールするのは当然の事だ。政治とは、どうしてもショーでもある。「これをやらないのか、どうなんだ?」という野党に拍手喝采というのもアリだ。ショーとは言っても、民主主義の経験が豊富な国では、国民の多くは落ち着いている(騒がないという意味ではない。騒がずに何でも受容する方が遅れている。パニックにならないという意味だ。最近それが崩れ始めているようにも見えるが、それは時代の変化に直面しているからだろう)。しかし日本のような政権交代が定着していない国では、野党の立場は弱すぎる。

与党(自民党)が野党から突き付けられるのは、要求ではなく、「お願い」だ。これは言葉遊びではない。

対決より解決という、まさに玉木・国民民主党の言葉通りの姿勢を、立憲を含む各党が見せている(それでもまだ、立憲は反対ばかりと思われているようだが)。本当は「対決も対案も」であるべきだが(もちろん対案が不要、あるべきでないケースもある)、この、提案を重視してアピールする路線自体は、特にコロナ、ロシアの侵略行為によるダメージがある中、悪い事ではない。しかし構造としては、自民党は、各党の案から、自分に都合の良いものを選べばいいだけだ。都合が良いものがなければ、「みんな色々言ってるが、矛盾するものもあるし、全部は聞けない」などとごまかして、採用しなければ良いだけだ。自民党は衆議院で過半数を上回っているし、参院でも過半数に近い。他党の願いを聞く必要などないのである。自民党に組織票を献上できる公明党だけは、少しばかり別だとしてもだ。

他党が素晴らしい提案をし、それが自民党に採用されたとしても、野党は政権を取れないし、公明党が与党第1党になることもない。あくまでも自民党支配体制が補強されたり、ごく部分的なモデルチェンジをするだけなのだ。

確かにこういった事で、政策が実現する事はないわけではないのだが、それは、もともと自民党がやろうとしていた事、あるいはその延長に過ぎない。野党が提案していなくても、少しだけ遅れて、どの道やっていた、というような事だ(スピードも確かに大事だが・・・)。極々まれにそうでないケースがあったとしても、自民党政治の在り方、やり方を変えるものではない。自民党に不利になる事は、まず実現しない。「別に自民党が嫌がる事をやる必要はない」という人もいるだろう。しかしそれは、決断のできない、癒着、利益誘導政治を守る事につながる。

もともと自民党は何でも屋であり、財界、官界、アメリカが求め、自分達の野党転落につながる危険のないものには、応じる事を基本としている(応じていれば、それらの支持も期待できる)。さらに、国政選挙の前には(衆議院の総選挙、参議院の通常選挙を合わせれば、1、2年に一度、「選挙前」はやって来る)、国民の多くが喜ぶ事も、しようとする。そうである以上、他党(しかも自民党にすり寄って来るような政党)の求めと自民党の政策が、かけ離れる事は少ない。

自民党政権が、選挙前に国民が助かる負担軽減や給付を実現させてアピールするのは、買収と似ている。他国でも起こり得る事だが、日本は1党優位だ。優位政党がさらに強く、しかもそのような手段で強くなる事、国民を従わせる事は危険だ。これに対して新自由主義政党は(時には他の政党も)、「ずるい」というより、「無駄」だと批判する傾向がある。これは大人な振る舞いに見えるかも知れないが、対等な競争を自ら求めるのも、ゲームのプレーヤーの重要な使命だと思う。

もう少し述べると、自民党の「右派」は右派野党と、自民党の「左派」は左派野党と、志向が近いところがある。代表的な例としては、自民党の安倍総理(当時)らが改憲を目指す姿勢を明確にしても、少数派の野党が反対するだけで、憲法審査会すら開かれないようになる。これは自民党内に反対派(慎重派)がいるからだ。これでは賛成、反対の前に、まともな議論ができない。自民党は何でもありで、野党には改憲派の政党と、改憲反対の野党がある。これらは姿勢が明確である分、自民党のように多くの議席は取れない(利益誘導が難しいからでもあるが)。これでは政党間の議論にはならず、駆け引きばかり、先送りばかりになる。

本当は、与党にはある程度の一貫性があり(幅が広くても、その時の党首の路線が党の路線になる)、それを越える変化は、国民が選挙で起こす(状況の変化が激しく、どうしても間に合わないような場合は、与党が変化を起こし、その後の選挙で有権者が判断する。その時には、その変化の是非だけでなく、その局面で政権を交代させる方が合理的かも含めて、判断する)。時代が全体的な変化を求めるような場合には、その求められる像に近い政党が与党となり、遠い政党は野党となり(与党になれず)、野党時代に自らの姿勢を修正する(絶対に修正しなければいけないわけではない。変化を危険だとする場合は、それを訴える事も大切だ。しかしその場合も、選挙で負けたのだから、訴え方などを点検、修正する必要はある。説得力のよりありそうな人物を、党首にする事が有効である)。

日本にはこれがない。だから弱い。危機に適応できない。急がば回れができず、安易に形だけの(名称だけ?)、事実上はあまり変わらないような変更で、なんとかやり過ごそうとする。時代の変化を前にしても、その場しのぎでごまかそうとする。

こういった話をすると、筆者ができない事を目指している、あるいは話を極端にしていると言われることがある。日本には日本のやり方がある。それで日本国民が助かれば良いではないかと(「選挙結果を否定するのか?」と言われることまである・・・)。気持ちは分かるが、これで皆が黙ってしまえば、一切の改善が期待できなくなる。改善とは、国民の投票行動も含めて、自然に起こるものではないのだ。

だいたい、「日本のやり方」とは何だろう。これまでに良い結果を出しているのだろうか(高度経済成長期はどうだと言われれば、ある程度の事はなされたが、他の先進国等も大方調子は良かったし、政党政治以外の多くのアクターがいた。良き時代を思い出して自らを過信するのは、戦争に負ける国のする事だと思う)。そしてこれから先、良い結果を出すと、期待できる状態だろうか。

この構造についてさらに続けたい。自民党が野党の主張を、特に一つの政党の主張を、いつも容れるわけではない。例えば、トリガー条項凍結解除を支持する有権者が、積極財政を望んでいても(どちらも国民民主党の路線)、消極財政を望む別の野党(場合によっては公明党)の声を、自民党が聞き容れる(本当は日本国民にお金を使いたくない自民党が、その声を利用する)、という事もあり得る。その場合は、消極財政を主張する、その政党の支持者が喜ぶ。

民主主義だから、多数派の意見が通るのは当然と言えば当然だ(それでも少数派への配慮は必要)。しかしこれでは、そもそもどちらが多数派なのかも分からない(自民党内に、違うことを言って当選してきている議員も多くいるはずだ)。選挙を経た、国の路線の決定でもない。こんなことをずっと続けるのが、良い事、新しい事なのだろうか。

今回、国民民主党が成功するとしよう。成功というのは、トリガー条項凍結解除だけでなく、国民民主党が少し議席を増やし、上昇トレンドに乗り続けるという意味だ。そうなると、他の政党、特に第3党以下はどうなるか。

なお、2021年4月現在、自民党はトリガー凍結解除を先送りし、国民民主党もそれに合意している。自民党の先送りは、かなり「やらない」に近いのだが、何か密約があるのだろうか。密約があれば密室政治だし(密室で国民全体のためになる事を相談するならまだ良いが、何らかの取引があると考えるのが普通だ)、密約がないのなら、国民民主はただ、自民党に盲従していると言わざるを得ない。

1党優位の日本では、野党がどんなに支持を広げても、政権交代は難しい(公明党が第1党、与党の中心になるのも難しい)。それを実現させる力を本来持っている日本国民に、変化の芽が見える気もするが、まだまだだし、偏った変化かも知れない。第3党以下は当然として、優位政党(自民党)よりもずっと弱い、第2党(野党第1党)だって、政権の獲得は期待し難い。それなら第2党の(の陣営の)ナンバー2、ナンバー3になるより、国民民主党のような小党の党首になって、優位政党にお願いをし倒すほうが、政策が実現する可能性は高いし、少なくとも注目される。相手が天下の優位政党であれば、軽く見られたところでプライドも傷つきにくい。小党であれば、優位政党(自民党)には警戒されにくいだろうし、野党第1党を弱める分だけ喜ばれる。

だからこのままでは、「国民民主党に続け」、「国民民主党以上に自民党と仲良くなろう」と、自民党へのすり寄り競争、自民党へのお願い競争が始まるだろう。野党は政策体系を全体的に練り上げるよりも、目立つ政策を1つ、前面に押し出す。これ自体は、1党優位を改めるために、筆者も必要だと考えている。やや低俗だが、仕方がないと思う。郵政民営化、大阪都構想(住民投票で否決されたが、維新の知名度向上、国民への浸透には、大きな効果があっただろう)など、日本人は、「これだけはやりたい」と言う政党、政治家を応援する傾向がある。しかし、それを選挙で実現させるのではなく、自民党に頼み込む事で実現させようとするのは、さすがに弊害が大きすぎる。

国民民主党が自民党と連立を組む事で、公明党が野に下る。もしそうなれば、右傾化したままの国民民主党なら、政権の性格は明確化するかも知れない(フニャフニャした政党だから無理だと思うが)。しかし、公明党と国民民主党の、自民党を巡る三角関係の緊張はあっても、公明党が自ら野党になる事も、自民党が創価学会票を手放す、つまり公明党を切って野党にする事も、まず考えられない。自民党からすれば、立憲民主党と支持基盤が共通する国民民主党が、維新と同じく野党陣営を分断する事、分化した状態にとどめる事が、最も都合の良い事なのだ。

【どの中小政党が、自民党に良いお願いをして、政策を実現させることができたか】という競争。選挙では自分が実現させたと主張する弱い野党、いつの間にか「うちも主張した」と言い出している公明党、そして実現させた自民党が、競争をする(選挙協力をしても、比例代表では競合する面がある)。しかも、物事には必ず反対の声もある。このようなやり方で実現させるのに否定的な人もいる。この人々の票を、他の野党が得る。これでは選挙が選挙にならない。皆それぞれの支持者+αを満足させ、議席は大して変わらない。同じお願いをした政党が複数ある場合、「ウチが頼んだからだ」という、アピール合戦が始まる。しかしそんなものに興味がない多くの国民は、自民党がやったと思うだけだ(国民も変化を迫られていると思うが、これを見分けられるようになるという変化で済ませるのも、問題だ)。

この状態が続けば、最初は良い政策が実現するかもしれない(そうでもないと筆者は思うが)。しかし競争はすぐに、「良い提案競争」ではなく、「提案を実現競争」になる。実現が求められるのは当然だから、どうしてもそうなる。そして間もなく、「自民党が受け入れやすい無難な提案競争」になる。自民党に多くの政党が、利益団体のようにぶら下がる状況になる。

2020年の再編前を含め、国民民主党の政策を調べていた時、筆者は自動車関連が多いと感じた。国民民主党が連合の旧同盟系を支持基盤としており、その中でも超特大の労組がトヨタと関連企業の労組であるからだろうか(自動車産業の労組全体では、もちろんさらに大規模)。当然の事だが、ガソリンが高いと困る業界は多くある。そのような業界にも、民主党系を支持してきた労働組合があるだろう。政治はきれいごとではないし、筆者は利益団体を否定しない。しかし日本の場合、政府の策を決定できるのは、超長期的に(半永久的に?)優位政党の自民党だけだから、利益団体は自民党に固定的に結びつく。

確かに他国でも、政党間の志向の違いから、利益団体と政党の結びつきが固定的である(利益団体が支持政党を変更しにくい)例はいくらでもある。しかし日本の場合は、政策の一致に基づく協力とはなり難く、政党が上の、上下関係ができてしまう。自民党が表面上は横柄な振る舞いをしないため(している例もあるとは思うが)、あまりそうは見えないが、事実上の主従関係だ(反対に民主党系は、連合が「主」、政党が「従」となりやすい)。

政権交代が定着している国なら、利益団体は、「A党に考えが近いと思ってA党を支持してきたが、最近要求を呑んでくれないので、B党にかえよう。」ということもできる。これはA党への脅しにもなる。対等な関係だ。しかし日本の場合は、「自民党がお願いを聞いてくれない。いっそ立憲を支持しようか。」と言ったところで、自民党からすれば「へー。いいんだ? 万年野党を支持すれば今後ますます希望が通らなくなるよ」で終わりだ。何せ、自民党にお願いしたい利益団体はいくらでもある。予算が限られる中、いくらでもあるのだ。もちろん自民党はそんな表現はしない。表面では腰が低い事も多い。しかし、実態はそういう事だ。

今、自民党以外の政党が、利益団体と同じようになろうとしている。公明党には創価学会(宗教団体に不利な政策は困る。影響力を強めて信者を増したい。でも政教分離を追及されたくない)、維新には大阪(IRや万博を誘致したい。副首都になりたい。特区にしてもらったり、優遇されたりしたい)、国民民主党には連合の旧同盟系(勤め先の企業、業界が有利になるようにしたい。待遇が良くなるような政策を内閣に実現させて欲しい)という基盤がある。その基盤を満足させるには、優位政党に取り入るしかない。そうでないと、トヨタの労組が直接自民党にぶら下がろうとしているように、政党は支持基盤に見放されてしまう。大阪で例えるなら、「維新が自民党の要人と仲良しじゃなくなったら、自民党をまた強くしないと、大阪が国に見棄てられる」という事である。

これはまさに1党支配。優位政党以外の政党の、衛星政党化の完成だ。良い提案ではなく、媚びる競争、限られた支持基盤を中心に満足させようとする、中小政党の競争の定着だ。中小政党としたが、それは自民党以外の全ての政党が、中小政党である、または中小政党になる、という事だ(2012年からの4回の総選挙は、全て自民党が大勝しており、第2党は100議席にも届いていない。うち2回は50議席台で、定数の1割強にすぎない)。

これを新しいとするのは、中国やロシアを、素早く決断できる国として高く評価する場合に限られるはずだ。しかし今、両国の明暗が分かれているように、これは行政のトップの性格、能力に左右される。中国が明暗の「明」であるような言い方をしたが、それは当然、全てにおいてではない。民主主義の国と同様、不安もある。その不確かな「明」のために、民主主義を捨て、自由を奪われる事を受容するべきなのか。世界には独裁(的な)国家が多い。民主的な政治を定着させるための土台が弱く、貧しさなど、深刻な問題を抱える中、独裁へと進む国は確かに多い。しかしこれだけの力を持っている(少なくとも持っていた)日本が、そんな道を行くのは、本当にもったいないし、安易である。

そのような未来を避けるために、衛星政党化の傾向が比較的弱い、野党第1党の立憲民主党に育って欲しい、育てたいと思う。短期的に見れば遠回りでも、実は一番確かな道だ。

自民党と裏でつながるような国対政治が仮に残っているのだとしても、上に挙げた例よりは対等性が高いし、与党第1党と野党第1党の調整自体は必要だ。その中身に問題があれば、もちろん正さなければならない。しかしそのために、代わりに第2党となる体力のある政党がない中で、野党第1党を弱めて1強多弱化を進めるのは、逆効果だ。

玉木国民民主党代表は、正のエネルギーも負のエネルギーも、政策等の発信で評価されようという方向に行っている。

玉木は、本来自民党から出馬したかったというのはあるだろうが(イデオロギー的な違いが小さくなってからは特に、野党にはそういう議員、候補者が少なくないようだ)、初当選が2009年の総選挙である(初出馬はその前の2005年の総選挙)。だから玉木は、与党第1党として、議員生活を始める事ができた(「できた」と言うほど良いものではなかっただろうが)。しかし民主党が下野してからは、一転して、万年野党になる危険と背中合わせである。そんな中でも玉木は、非自民を貫かないと恥だと考えていたのだろう(筆者にはそう見えた)。自民党入りして傍流、小物扱いされるのも嫌だったのだろう。

そこで玉木は、まずは民進党の代表選に、わずか当選3回で、立候補する事にしたのだと思う。これ自体は悪い事ではない。場合によっては素晴らしい事だとも言える。問題は、十分に経験を積んでいるか、あるいはそうでないとしても、自分にしか本格的には目指せないものがあるのか、という事だ。玉木の場合は、それが人、特に子ども、若者への投資であったのだろうか。子ども国債を発行するという事であるが、その後の全体的な主張を見ると、積極財政への転換であったように見える。

政策が先であったのか、展望を開くことが先であったのか、分からない。そんなものは、どの政治家の場合にも分からないだろうし、分けて考える必用もないのだろう。しかしこの場合は、その後の玉木の歩みを理解する上で、答えが出ないと分かっていても、考えざるを得ないところがある。

国民民主党分党後の玉木の目標は、【非自民を貫く事】、【嫌な思いをさせられた人達の風下に立たない事】、さらに【良い環境で発信できる地位につく(これまでの発信のレベルを維持し、さらに注目される)事】。そしてそれがさらに確実となるような【新政権】であったのだと思う。

しかし、立憲に従う事よりは、まだましであるのだとしても、維新の会も、企業献金の禁止や、文通費の使途限定と残部の寄付などを、たとえ法案が通らなくても自ら実践する、厳しい姿勢を求めてくる。何より感情的で危うい維新は、既成政党の流れを汲む国民民主党にとっては、格下に見える存在だ。そんな維新に従うのも、実は大変な事だと思う。連合も、少なくとも全体としては、決して良い顔をしていないように感じる。

そんな維新に従う事への躊躇、さらにはコロナの大阪での惨状、そして大阪維新の法律顧問であった(※)橋下徹、日本維新の参院議員である鈴木宗男の、ロシアを利するような、親ロシア的な発言から、維新の支持率が下がり始めたのを見て、玉木はもはや、自民党との連立、自民党入りを目指すようになったのかも知れない。いや、もっと前から、何かあったのかも知れない。自民党が2019年の参院選後、国民民主党に連立入りを打診したという話も聞く(亀井静香が語っているが、当時、報道もされたと記憶している。自民党がなぜそんなんな事をするのか。憲法改正のために、両院で3分の2以上のまとまりとなる事を目指しているからだと、考える事ができる。ただし筆者は、それ以上に、野党を分断するためだと感じる。

※ 維新はこれを半ば隠していたように見える。そうすれば橋下がテレビに出て、それが維新の宣伝になっても、表面上は無関係だと言い張れる。橋下がロシアのウクライナ侵攻に関して、日々問題発言を連発する中、彼が2021年3月末、大阪維新の会の法律顧問ではなくなったという事を、突然維新の会が公表した。

 

理念と「意地」が混ざっている国民民主党には、2020年の分党で小さくなったにもかかわらず、まだ不一致が見られる。代表的なものとしては、玉木代表の積極財政と、他の一部の、財政再建重視があるが、そこに選挙結果も受けて、新たに連携相手という問題が浮上した(旧国民民主の時代である2019年の参院選後にも一度浮上していたが、ここまで縮小してもまた浮上するのは問題だ。政党の力は規模か団結、特に前者なのだから)。

小さな勝利に酔いしれて、他の左派野党と手を切ったところで、国民民主党の現実はまだまだ厳しい。参院選では、元々少ない議席が、さらに減るという危険がまだある。そこで協力相手が非常に重要なわけだが、その相手としては、小池系(玉木)、維新(前原)、自民(玉木? 可能なら)、立憲(「枝野執行部の面々の影響力が弱った、泉立憲なら良い」という議員。連合も立憲と国民の協力を求めている)がある。これがまだまとまっていない。絞れていない。【立憲憎し+反共産党】は概ね共通しているのだろうが、その先のところでゴタゴタしていて、まとまらない。「その先」というのがまさに、自己主張の強い、目立つ政治家を(事実上の)トップに戴く政党同士が仲良くできないという、第3極がぶつかってきた壁なのである(「連合が第3極、第3極の第2極化を狙う?」参照)。野党の中で、立憲、維新の支持が下がってきて、いつか自分達が野党第1党になれるという期待、も、国民民主党内では膨らんでいるのかも知れない(期待というよりまだ夢に近いし、現状が厳しいのは、彼らも自覚していると思うが、危機感の中での期待感というのもあると思う。ただしやはり、筆者は不可能に近いと思っている)。

最新の状況(2022年4月段階)としては、国民民主党は小池系と組みつつ自民にすり寄り、立憲とは敵対する事を決意しているように見える。

小池都知事も自民党と敵対まではし難い状況だし、チャンスがあれば、自民党に戻って総理大臣になりたいのだろうから、小池・国民民主連合が、自民党に接近するという事は、十分あり得る話だ。玉木と小池では、頼りとする自民党の要人は異なるのかも知れない。ただ、玉木はずっと安倍元総理と敵対してきた。その安倍と近い維新より、二階と近い小池と組む方が、つまり、維新・玉木で自民党に寄るより、小池・玉木で自民党に寄る方が、話はスムーズにいくはずだ。

維新について玉木・国民民主は、あまり近付きたくないが、敵に回すことは避けたい、維新の勢いにはあやかりたい、といったところだろう。ただし、代表代行兼選挙対策委員長の前原誠司は維新と近い。すでに何年も、維新と地方分権の勉強会をしている。前原は民主党、民進党でそれぞれ代表になっており、与党時代には国土交通大臣と外務大臣を経験している。玉木代表にもなかなか抑えられない。同調者がいればなおさらだろう。

国民民主党は、言葉の上では立憲の名を挙げたり、立憲民主党を一番信用しているとまで言うが(榛葉幹事長2022年4月22日会見)、立憲の一部と協力したい(一部となら協力できる)というような、かつての維新の会(2012年結成)と同じような表現も出て来る(例えば榛葉幹事長、同上。共産党と連携しない改革中道の議員とした)。それはつまり立憲の左派とは組めない、あるいは、左派が強い今の立憲とは組めないという事だ。

小池系との接近は比較的順調だが、小池人気は小池本人にかなり限定されるし、維新の人気よりも脆い。国民民主党が東京を、元々勝つのが難しいからと言って、小池に差し出してまで得られるものは、少ないと思う。連合右派、連合東京は双方の協力、合流を望んでいるのだろうが、6人も当選する選挙区、泡沫とされる者も含め、多くの候補者が立候補する選挙区で、国民民主党が候補者を立てられない、他党に譲るというのは、いずれ合流しようというのであっても、情けない事だと筆者は思う。

 

予想通り自民党にぶら下がった、政策軽視の国民民主→

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